#おっさんずラブinthesky は武蔵エンドではないと思っている

おっさんずラブintheskyは武蔵エンドではないと思っている。
天空不動産は「人を好きになるとはどういうことなのか」、in the skyは「人を愛するとはどういうことなのか」で描こうとしているラストが全く違ったのではないかという妄想。

■ラブが描きたかった天空不動産と、ラブだけでは言い表せなかったものを描きたかったin the sky

in the sky(以下s2)のラストを見てから、このドラマの描きたかったものは一体何なのだろうとモヤモヤする日々が続いていた。
「武蔵エンド」という言葉は自分の中でいまひとつしっくりせず、天空不動産(以下s1)と別物としながらも、ふたつの世界はメビウスの輪のように、どこか捻じれてつながっているような違和感を覚えていた。
こうした中、s2の最終回を何回か見返すうちに、この二つの作品は同じ「おっさんずラブ」というタイトルでありながら、描こうとしていたテーマは全く異なるのではないかと思うようになった。

それぞれ公式HPのイントロダクションには、ドラマの説明文が次のように書かれている。

「“常識”で考えたら、あり得ない。
でも、その“常識”ってそもそも何? “人を好きになる”って…何!?
多くの人が普通だと思っている価値観を改めて問うラブストーリー『おっさんずラブ』」
おっさんずラブ(2018年)
「物語は、大地から空へ。
CAとなった“はるたん”が挑む、新しい空のお仕事ドラマ開幕。
“人を愛する”とはどういうことなのか――?
2019年、令和最初の冬に、新しい恋の嵐が吹き荒れる!」
おっさんずラブ in the sky(2019年)

s1は「人を好きになるとはどういうことなのか」、s2のテーマは「人を愛するとはどういうことなのか」がテーマであり、「好き」「愛」「恋」という感情を扱っているのは同じでありながら、その中身が微妙に異なっている。
この一見すると微妙な違いが、実は二つのドラマの方向性を全く違うものにしたのではないだろうか。

結論から言うと、s1で描きたかったものは「ラブ」の部分が強くs2で描きたかったのは「ラブ」以外、例えば「ライク」「リスペクト」など、狭義の「ラブ」を包括する人を愛する気持ちが強いのではないかと感じるようになった。

■天空不動産における「人を好きになるとはどういうことなのか」

s1は春田創一が後輩である牧凌太への恋心に気が付くまでの過程を描く物語である。
田中圭は最終回後のインタビューで春田は当初から牧のことを好きだったのだと振り返っているように、春田は牧に恋するのではなく、牧への恋に「気が付く」というのが最大のポイントである。

春田の牧に対する想いを考えるうえで重要なのが2話だと個人的には思う。

この回では春田が牧にどのような気持ちを抱いているのかを、わんだほうにおける言い争いのシーンやモノローグなどで表現している。
春田は「牧との生活は楽しかった」「牧が女の子だったら、あの告白は嬉しかったのか?」と振り返るが、彼の中には「男同士でキスとかマジであり得ない」「俺はロリで巨乳が好きなんだよ」など、同性同士の恋に対する固定観念や常識があり、牧への気持ちを友情というカテゴリから出すことができない。
春田にとっても牧が大切な存在であることが2話では描かれるが、春田はその気持ちを「俺にはお前が必要なんだよ」「友達として、今までみたいに普通に暮らせないのかな」としか言い表すことができない。その気持ちは、「春田さんのことが好きなんですよ」と感情を昂らせ、キスをしてしまう牧がいう「好き」とは異なっている。
そこには何か悪意があるわけではない。その時点で同性である牧に対する気持ちを表現する言葉がそれしかなかったのだ。

こうした「普通」「常識」という固定観念を改め考え直し、純粋に「好き」「一緒にいたい」と思う気持ちを、そのまま「恋」なのだと気付き認められる物語、それを「恋だと認めても良いのではないか」と背中を押す物語がs1だった。

■in the skyにおける「人を愛するとはどういうことなのか」

一方でs2の世界では、同性だから友情で、異性だから恋愛というような、「普通」「常識」という固定概念はほとんど存在しない。この世界観においてはシンプルに、キスを意識する相手=恋する相手として描かれていく。

s2においては、前半を中心にキスを意識するシーンが多用される。1話での成瀬の「キスくらい誰でもできますから」「1回寝たくらいで本気にしているんじゃねーよ」、春田から四宮への「シノさんは俺とキスできますか?」「できるよ」という即答、成瀬と春田のキスシーンを目撃した黒澤の動揺、2話での春田から緋夏へのキス未遂、5話での春田から成瀬への強引なキスなど、キスは気持ちが動くきっかけとして使われる。

s1を踏まえたうえで一見すると随分とキスシーンが安売りされているように見えなくもない。また、恋の背景よりも、こうした衝動を先行して描くところがs2がBLに走ったと批判を受ける一因ではないかとも感じるところはある。
しかし、キス=恋する気持ちを多用するのは、それが物語の本質ではないからだ。
つまり、キスを多用し三角関係、四角関係と一方通行の想いを描くことで、キスしたい相手とお試しで付き合う、恋愛感情がない相手に想われる、そして失恋するというプロセスを通じて、恋とは異なるけれど大切な人がいること、そういう気持ちが存在することを描こうとしたのだと考える。

in the skyにおける「恋の嵐」は結論ではなくて、その嵐の先に「恋ではない、人を愛する気持ち」を見つけるための過程にすぎないのだ。

■成瀬に振られる春田

こうした「恋ではない、人を愛する気持ち」を描こうとしたときに、重要となるのが成瀬と春田である。
特に成瀬が春田を「今までの俺だったら軽く付き合っていたかもしれないけれど、大切な人だからそれはできない」存在として描くのはこのドラマにおいて非常に重要なポイントであると考える。

1話では「キスくらい誰とでもできる」と人のことを大切にできなかった成瀬は、春田との出会いを通じて、本気で恋することができる相手を見つけ、彼自身も変わっていく。
それを「春田さんのせい」と「感謝文句」だと笑う成瀬は、春田のことが大切で、大事にしたいからこそ、それまでのように簡単に「1回寝る」なんてことはできない。1話の元カレのように、キスして1回寝て、そのまま関係性を断つようなことは春田に対してはできないのである。
それは四宮に対する「あんたとしたキスしたくない」という気持ちとは異なるものの、「自分を大切にしてくれた人を、大切にしたい」という想いであり、それはこれまでの成瀬にはなかったものである。
春田からの想いを受け取り、四宮に恋する三角関係の中で、成瀬は恋することと、恋ではないけれど大切にしたい人がいることに気が付いたのだ。

■黒澤に告白する春田

また、これは最後の春田も同様であり、春田は黒澤に対し「好き」なのだと告白するものの、その気持ちは「尊敬なのか友情的なのか恋愛感情なのか分からない」と吐露する。
春田は「キャプテンがくれた愛情が嬉しくて……」と涙ながらに伝えるが、成瀬にしても春田にしても、相手が自分のためにしてくれたことを受け止めて、それが決して自分の想いとは一致しなかったとしても、想いを寄せてくれたことに対して感謝しているのである(ただし、個人的にはこのセリフは田中圭のアドリブも少し入っていると思っている。)。
私はこれが恋愛感情なのだとは思っていない、むしろ恋愛感情なのか分からないと、断定しなかったところに大きな意味がある。

■恋ではないラストの大きな意味

s1のとき、おっさんずラブというドラマの企画意図を、貴島プロデューサーは次のようにインタビューで答えていた(太字は筆者加筆)。

天空不動産のテーマはあくまで“働く今どきの男女の恋愛観”であり「好き、結婚したい、という感情とは果たして何なのだろう」ということ。(中略)
“王道の恋愛ドラマ”
https://realsound.jp/movie/2018/06/post-201379.html
男女ともに働く時代に、価値観のすれ違いや、そこから生じる恋愛関係のもつれはどこにでもあるもの。今作は、そういった同世代の女性も共感できるポイントがたくさんある、ふつうの恋愛ドラマなんです。最初の企画意図にも結婚できない男女の今を切り取りたいという気持ちが第一にありました。なので、男性同士の恋というところでの社会的なメッセージを声高に伝えようとしているわけではありません。
https://www.oricon.co.jp/confidence/special/51066/

一方で、s2の物語について、田中圭は雑誌のインタビューで次のように答えている。

“ラブ”の意味において、ラブストーリーですってだけじゃ言い表せないところに対して、みんなが一生懸命になっている作品だと思っているので、本質は変えちゃいけないと強く感じていて。
デジタルTVガイド 2019年12月号

s1はドラマにおいて「人を好きになるとはどういうことなのか」を王道の恋愛ドラマとして描き、映画では一般層への浸透を目指しながらも「結婚するとは、家族になるとはどういうことか」まで深掘りすることができた。
だからこそ、s2では恋とは異なる愛の形を描きたかったのではないか。

私は、おっさんずラブは何かに偽装した本質が別のところにあるドラマだとことあるごとに思ってきた。
s1ならば「コメディに偽装した恋愛ドラマ」だったし、劇場版は「ラブバトルロワイヤルに偽装した、春田と牧が二人の関係性を深め合っていく物語」だった。
s2は1話から恋の嵐をセンセーショナルに描いていること、おっさんずラブとは「春田は誰に恋するのか」を楽しみにする物語と先読みしてしまうことが、今作における最大のミスリードだったのではないだろうか。
つまり「おっさんずラブ(恋愛ドラマ)に偽装した、新しいおっさんずラブ(恋ではない愛を描く物語)」だったのだと思う。

だから、私はs2のラストを「武蔵エンド(春田と武蔵が恋愛関係になる)」とは思っていない。
むしろ、自分から動き、キスすることはできる春田が、キスではない、「尊敬なのか友情的なのか恋愛感情なのか分からない」気持ちを知ったことに意味がある。
誰とでもキスできた成瀬が、キスしたからといって春田と付き合わなかった、それほどに春田が大切な存在なのだと、二人の関係の中でその気持ちが生まれたことが重要なのである。

■それでも成瀬に心が動くからおっさんずラブは凄い

一方で、そうは言っても田中圭が成瀬への想いを強く感じていたのはまさにおっさんずラブならではだと思う。
ここがこのドラマの凄さであり、らしさだとすら思う。

彼は座長であり、物事を俯瞰的に見ることができるタイプだからこそ、私は彼に全体を見た冷静かつ客観的な意見をつい期待してしまう。
ただ、彼は座長とはいえ俳優であって、プロデューサーや脚本、演出という立場とは異なる。

本記事は全て私の妄想であるが、仮にs2が恋愛関係に収まらない「人を愛すること」を描こうとした作品であるとすれば、人を大切にできなかった成瀬の中に「大切だからこそキスしても付き合えない」という気持ちが生まれたことこそが重要で、成瀬が春田に恋する「成瀬エンド」では物語の軸がぶれてしまうことになる。

それでも、田中圭が一瞬でも成瀬とのラストを望んでしまったほどに、春田と成瀬の関係を作ることができていたのだと思うし、春田であれば成瀬に自分の想いが届いて欲しいと願うことはむしろ自然だとすら思う。

田中圭は比較的自分自身と役を切り分けて客観的に分析できる人だと思うが、おっさんずラブに関しては春田の感情をそのままに語り、物語を作っていこうとする。
そのリアリティが、まさにおっさんずラブが人の心を動かす所以だと思う。

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