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あの頃ハロープロジェクトが好きだったヲタクが映画「 #あの頃 。」を観た話

私は「あの頃」、ハロープロジェクトが好きだった。だからこの映画を観に行こうと決めた。


とはいえ、この映画は、決してハロプロが好きでは無くても、何かをすごく好きになったことがある人、特にその好きなものを通じて仲間や友達ができた経験がある人は、何かしら共感するところがある映画では無いかと思う。

学校や職場という「同じ空間にいたから」成り立つ人間関係ではなく、仕事のように利害関係があるものでもなく、ただただ「好きなものが一緒」であることを起点として仲間と盛り上がる楽しさ。

誰にも「あの頃。」は存在し得るし、だからこそハロプロと一見するとニッチな題材を選びつつ、広い層へ訴求する映画になっているのだと思う。

(ただし、この映画の友達/仲間とは、ホモソーシャルな関係というか、要は男性にある、相手を雑に扱うこと、女性にモテないことこそ仲間の証みたいな描写の仕方をするので、こうした人間関係の構築に共感できるか否かはあるかもしれない。)

しかし、そうは述べつつも、私はハロプロが好きなので、その観点からこの映画を俯瞰したい。

ハロープロジェクト自体が創設から20年を超え、四半世紀近く経っていることが、この映画独特のノスタルジーを生み出すことに寄与していると感じる。

仮にハロプロのことを現在進行形で知らなかったとしても、あやややモー娘。(あえて松浦亜弥、モーニング娘。ではなく「あやや」「モー娘。」と呼びたい)の存在は、2000年代全般の時代の象徴であり、否応なく観客の「あの頃」を想起させる。この映画のテーマはハロプロでなくても成立するが、そこにハロプロでなければならない必然性が存在すると感じた。


(とはいえ、ハロプロにこうした歴史と文化が生まれたのはここ5年くらい(もっと言えば道重さゆみのモーニング娘。卒業、Berryz工房の活動休止あたり。ハロプロの長い歴史を実感させるメンバーの卒業が相次いだ頃)からだと思うので、この映画ができたのはそうしたタイミングもあってだろう)。

映画の中身に言及すると、とにかく仲野太賀の一人勝ちである。誤解を恐れずに言うと、仲野太賀が主役では無いかと思わせるほどの存在感

先日まで「この恋あたためますか」で人の良い当て馬をやっていた彼からは想像もつかないほどに人間臭く、なによりも嫌な奴である。

しかし、その嫌な奴に、救いようの無い嫌な奴だからこそ、我々観客は心動かされる。仲野太賀演じるコズミンに共感なんて一ミリもしないのに、それでも心動かされてしまう。

そこに仲野太賀の骨太さ、泥臭さを大いに感じた。また、こうした泥臭い人物像が、ただのノスタルジー映画、またアイドル映画とは一線を画す点であり、今泉力哉監督作品であることへの納得感に繋がってくる。

長々と書いてしまったが、最後に、ハロヲタとしてこの映画の好きなところを挙げて終わりたい。


・ロマンティック浮かれモードを映画館で一人黙って見続けるのは拷問に近い。コールがしたくてうずうずする。前半だけ応援上映にして欲しいレベル。何回声を上げそうになったか分からない。

ロマモーといえばこの動画のイメージだった。「あの頃。」に出てくるヲタクたちの様子は決してオーバーリアクションで描いているわけではない。

ちなみに、藤本ミキティは一見すると怖そうに見えるけれど、デビュー10周年記念の藤本コンで、ヲタクたちがロマモー(ロマンティック浮かれモード)で大盛り上がりするのを見て、まさかの同じ歌を2回歌ってくれたヲタク想いの優しいアイドルです。


・私は2011年から2017年にかけて最もハロヲタをやっていたヲタクである。つまりハロプロの長い歴史からすると限りなく新規に近いのだが、これまで諸先輩方が「今の現場は変わった」とよく言っているのが印象的だった。

この映画でその意味が分かった。現場にやばいヲタクしかいねえな!(褒め言葉)


・特に2011年から数年間は、とあるOG( ^▽^)←のことを追いかけていたので、2021年に彼女の名前を呼びサイリウムを振るシーンが新撮されたと思うと震えたし、まさかあのシーンを今大きなスクリーンで観られるとは思わなくて泣いた。

なお、映画に出てきた石川梨華卒コン「第六感ヒット満開」武道館は独占欲が最高だからみんな見て


・藤本のヲタクのコズミンがあななしの魅力を語っているうちにつんくの素晴らしさを語り出すのがマジハロヲタ分かりみ×1000000

ちなみにあななしは公式YouTubeで見られるからこの映像を見てコズミンのセリフの意図を納得して欲しい。

結局ハロヲタというのはつんくのヲタクという説あるよね(今は違うのかもしれないが)。

ハロヲタとしては新規の私のようなヲタクでも当時のハロプロトークに共感できてしまうの、ハロプロは普遍なのだと感じた。


・恋INGが名曲であることは今更言うまでもないが、この映画は恋愛の歌であるはずのこの曲の世界を広げたように感じる。もともとつんくが作る「恋」や「好き」は必ずしも恋愛ではなくて、「歌」や「グループ」のことを指しているとも思うのだが、元からあるそうした恋愛ソングを超えた想いみたいなものと、この映画のテーマが上手いことリンクしているように思った。


・この映画のテーマのひとつは「あの頃。」とノスタルジーに浸りつつも、「今が一番楽しい」と思えるポジティブさ、その「人生の素晴らしさ」だと思う。

劇中では、劔さんのハロヲタとしての推しは松浦亜弥が大々的に登場し、最後の道重さゆみとBEYOOOOONDSまでその他の推しの話は出てこないが、この「今が一番楽しい」というマインド、まさにハロヲタならではではないかという気がする。

ハロプロというアイドルは、メンバーがどんどん入れ替わることから、誰か一人を推し続けるような応援の仕方ではハロプロ自体のヲタクになることはない。新しいグループに推しを見つけ、推し増ししていく。あの頃が原点だったとしても、あの頃が良い思い出だったとしても、"今の在り方を一番楽しむ"。それこそ、ハロプロで培われた部分もあるのでは無いかという気がした。その証拠に、モーニング娘。のファンはよくこう言うものだ。

「モーニング娘。は、いつでも今が一番最高」


・前述の内容とも重なるが、この映画で時の流れを感じさせる会話に登場するのが「道重さゆみ」であるところが、まさに道重たる所以だなと思った。

「あの頃。」の道重さゆみ、そして今の道重さゆみ。ハロプロがこういう映画の題材として成立するのも、彼女のような「ハロプロの歴史を一人で語れる存在」「ハロプロの歴史を一人で見せられる存在」が生まれたことと切り離せないだろう。あの頃と今の道重さゆみを登場人物がどのように語るのかは是非映画を観て確認して欲しい。

道重さゆみ:「劣化という言葉は私にはない」
https://mantan-web.jp/article/20191128dog00m200032000c.html


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