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あの頃「日本の未来はWowWow」していた大人たちに今 #モーニング娘 を推したい
私の中で第三次モーニング娘。ブームがきている。
1988年(昭和63年)生まれ、現在36歳の私にとって、モーニング娘。ことモー娘。は小中学校で友達と聴いたJ-POPの原風景。
モー娘。黄金期とともに楽しい子ども時代を過ごしてきた。
ハッピーサマーウエディングでは、全国で「杉本さん」がからかわれたと思うし、恋愛レボリューション21の流行で「超超超いい感じ!」との言葉遣いが悪いと怒られたのは、きっと私の学校だけではないだろう。
加護ちゃんと辻ちゃんの影響でエンジェルブルーをはじめとしたナリミヤブランドが流行し、つんくが歌を作ればモー娘。とその派生グループがミュージックステーションに呼ばれ、タモリから「お前ら世の中を舐めているだろう」と突っ込まれていたあの時代。
そんなモーニング娘。が、私の人生においてこのたび三度目のブームを迎えている。
このひとつ前、二度目のブームは2012年~2017年頃、道重さゆみさんがグループのリーダーを務め、ファンの間では「ワンフォー」「カラフル期」と呼ばれる時期だった。
この頃を中心として、コンサートに通ったりFCイベントに参加していた。
その後も完全に離れていたわけではなく、YouTubeにアップされるMVは見ていたし、思い入れの深かった10期メンバー、佐藤優樹さんの卒業コンサートは家で配信を見ていた。
生活の中からモーニング娘。がゼロになったわけではなかった。
ただ、モーニング娘。をはじめとしたハロー!プロジェクト(ハロプロ)はサブスク配信をしていないし、積極的に手を出さなければ出会う機会が早々ない。そうした中で「ファン」と呼べるほどの熱意が無く、私生活に占めるハロプロは著しく減っていた。
ハロプロは興行がメインとなるアイドルなので、コロナ禍でコンサートに通うハードルが高かったことも遠ざかることとなった大きな理由のひとつだと思う。
それがまたモーニング娘。に戻ってきた。
そのきっかけは2023年秋に開催されたハロー!プロジェクト25周年記念コンサートと、その前にアップロードされたハロプロの数々のMVである。
(その時のことは、別のnoteに記載したのでここでは割愛させていただく。)
それからあっという間に1年が過ぎた。
自分の中で「やっぱりモーニング娘。って良いな」と思ったのがこの1年間。
それも「私と同世代にとって、今のこのグループって物凄くありがたい存在なのではないか」とすら感じたのがこの1年間だった。
せっかくなのでその気持ちを言語化したく、このnoteを書きしたためた。
モーニング娘。を全く知らない人たちや、後藤真希をはじめとした黄金期、あの頃のテレビのモー娘。のイメージを持っている同世代からすると、このグループはどう見えているのだろうか。
私と同世代だとギャルか、あるいはヤンキーが入った可愛い女の子集団だろうか。
あるいは、モー娘。には不祥事や不幸な出来事のイメージもあるかもしれない。
モーニング娘。を全く知らない人たちからすると、AKB48や坂道グループ、あるいは他のアイドルもいる中で、「懐かしいグループ」だったり「(あの頃の懐メロを歌い継ぐ)老舗アイドル」という遠い存在かもしれない。
だが、36歳になった私から見た「モーニング娘。」は、バリバリの体育会系で、自分の役割や立ち位置を見つけようと藻掻く立派な社会人で、その応援はある種のスポーツ観戦に近いものを感じる。
長年続いてきたグループの中で「モーニング娘。」としてのアイデンティティを見つけようと藻掻くさまは「とてつもなくプロの仕事人」。
そして現在のハロプロメンバーはいずれも「育ちがとても良くて努力家」。
さらに言えば、不祥事や不幸な出来事があっても、いやもしかしたらあるからかもしれないが、「人生の弱さや後ろ暗さを受け止めて明るく照らすグループ」である。
同世代の加護ちゃん辻ちゃんとキャーキャー言っていたあの頃。
やはり同世代の道重さゆみさんを中心としたエネルギッシュなメンバーに惹かれたあの頃。
もしかしたら、年下メンバーしかいない今の方が、「同じ社会人」として共感できる要素が強いかもしれない。
私と同世代のヒトビトは、もともとモー娘。を見てきた世代なので、「モー娘。」といえば、「はいはいゴマキね。カゴちゃんツジちゃんね」だったり、もしかしたら「うたばん見てたよ。ケメコね、ジョンソンね」かもしれないが、そんな私と同世代たちよ。
社会に出て10年を超えて、結婚したり出産したり、楽しいこともあれば難しいこともある毎日。
そんな私たちが一番、モーニング娘。がいてくれてよかったと思える世代なのかもしれない、とも思う。
そんなモーニング娘。のことを本日は全力で紹介したい。
1 とてつもなくプロの仕事人
ひとつ目はまずこれである。
モーニング娘。というグループは、体育会系だとよく評されるが、社会人目線で見ると「とてつもなく仕事のできる女性たち」だと思う。
最近のモーニング娘。はアイドルグループとはいえ平均年齢が高い。
20代のメンバーが普通であり、25歳前後のメンバーも多数在籍する。ちなみに、令和6年10月時点の平均年齢は21.69歳で、16歳から27歳の13人。中央値は22歳である。
歴史ある活動内容を腹落ちさせて、それをパフォーマンスに還元しやっていくためには、ある程度の年齢や経験が求められるのではないかという気もする。
アイドル活動と言えばキラキラして見えるが、興行を中心とした彼女たちの在り方はとてつもなく会社員的でもある。
それを記述すれば次のようになるのではないだろうか。
・毎週のように泊まりで地方出張(毎週末に地方を回ってコンサートツアー)
・仕事上、日々お客様への接客、コミュニケーションが必須(FCイベント、取材対応、グループでのグッズ撮影等)
・毎週のようにお客様へのライブ(生)でのプレゼンテーション(ダンス、歌唱、ファンイベントへの対応)
・前任者からの引き継ぎ資料が膨大にあり、それをすべて学び得て、自分事とする(一説には、モーニング娘。の楽曲だけでも500曲程度存在すると言われる)
さらには、遥か昔に卒業したけれど未だに影響を与える先輩や上司が多数いる。
歴史と伝統を重視した規範の中で、歴代のメンバーと被ることなく自分自身のアイデンティティ(役割や立ち位置)を作っていかないといけないという制約もある。
同じ社会人という立場で捉え直すととてつもなくタフな方々である。
それでも、アイドルである彼女たちは、そうした仕事の裏にある泥臭い側面を一切出さない。
オーディションを通過しているので、こうした素質を見られた上で選抜されているのだろうが、それでも例えばお客様への接客(お話し会をはじめとした、ファンとのコミュニケーション方法)などはある程度PDCAを回して身に付けないといけないだろう。
さらに、活動の中心であるパフォーマンスは、自己啓発(自宅での復習や、自費でのスクール通い)も含めて、日々の中で繰り返される練習があって初めて成り立つものだ。
モーニング娘。をはじめとしたハロー!プロジェクトは、ほぼ年間のスケジュールが決まっている。
春・秋はグループでのツアー、冬・夏はハロー!プロジェクトでのツアー、合間にCD発売とそれに紐づくリリースイベント、野外フェス、グループによっては演劇やミュージカルが入る。
そうした点はさすがの老舗グループで、活動内容が非常に安定していることから、「会社員アイドル」「公務員アイドル」なんて言われ方をすることもある。
逆に言えばアイドルとはいえ、初々しさによるフレッシュさを求められる期間はごくわずかで、ルーティン業務の中でひたすらPDCAを回し、一回一回確実に成果に結び付けるパフォーマンスが求められる仕事なのである。
そう考えると急に自分の仕事と親近感を感じてしまう。
黄金期のあの頃、アイドルって良いななんて憧れていた気持ちよりも今の方がよほど共感を感じてしまう。
ルーティンの中で発生する悩み、ある世界の中で安定しているからこその焦り……様々な葛藤と向き合いながらもアイドル活動を行っているに違いない。
これは社会人だからこそ苦労が見える部分であり、それでもファンにキラキラと夢を売る彼女たちに尊敬を抱かずにはいられないのだ。
2 育ちがとても良い
私の時代のモー娘。、いやもしかしたらモー娘。に限らないかもしれない。
当時芸能界で活躍する人たちは、少しヤンキーが入っているような、どの学校でもギャルで名を轟かせていそうな、そんな人たちが多かった。
しかし、今、彼女たちが大人になって思うのは、そうは言っても育ちが良い子が多いのだということだ。
両親に愛される中で、しっかりと自己肯定感を育み、努力すること、挑戦することができる環境にいて、自分のやりたい「歌」にチャレンジしたくて、あるいは大好きだった「モーニング娘。」になりたくて、芸能界に飛び込んでいる。
元来、そういう「普通の子」がオーディションを経て芸能界に入っているグループだからか、大人目線で見ると育ちが良いなと思う。
お金持ちだとか、凄い人脈を持っているとか。そういう特別な何かをがあるわけではなくて、いわゆる「普通の家」(現代ではそれが一番難しいものかもしれない)で育ち、夢を叶えようとする、そしてそのために努力する姿がとても健やかなのである。
これはスポーツ強豪校を応援しているような気持ちに近いかもしれない。
最も育ちが良いと感じるのは、努力すること、一生懸命になることを肯定的に受け止めて、メンバーがみな全力であること、それを良しとしている点にある。
その根底にあるのは、このグループが結成25周年を超える「老舗アイドルグループ」となりつつあることではないかと感じる。
メンバーが入れ替わり、世代交代が繰り返されることがこのグループの大きな特徴である。その一方で、新たに加入するメンバーにとっては常に「私はモーニング娘。として存在できているのか、モーニング娘。に私がもたらしている意味はなにか」というアイデンティティの揺らぎを感じる状況となっているのではないかと思う。
6期メンバー(藤本美貴さん、亀井絵里さん、道重さゆみさん、田中れいなさん)が加入する頃までは、モー娘。はテレビによく出演していたし、それこそ国民的アイドルグループなんて言われていた時代でもあった。
あるいは加入後も、オリジナルメンバーである中澤裕子さんや安倍なつみさんらと共演する機会もあっただろうから、「テレビで見ていたモーニング娘。に加入する私」をある程度、自分の中で見つけられたのではないかと思う。
しかし現在新たに加入するメンバーにとって、そうしたオリジナルメンバーは遠い存在であるし、それこそ「モー娘。」がテレビに出ていた時代すら知らないのである。
そうした時代が過ぎ去った後に生まれた子たちが、今はモーニング娘。をやっている。
LOVEマシーンや恋愛レボリューション21がリリースされた後に生まれた子たちが、その歌を「自分たちの歌」として歌い継いでいるのである。
「あの頃のヒット曲」「懐かしのあの歌」として見られるものを、その頃のことを一切知らない中でパフォーマンスするのは、それを自覚すればするほど難しいものなのではないか。
その中で彼女たちは常に「モーニング娘。というグループにとって、私はどのような存在なのか」という問いを突きつけられているように感じる。
ゆえに、今のモーニング娘。のメンバーたちは、このグループに対して大変真摯である。
グループの一員でありながら、自分自身こそが現在の「モーニング娘。」を代表するメンバーなのに、どこか客観的である。
モーニング娘。であるために必死であり、自分がこのグループに何を還元できるのかを常に考えている。
その距離の取り方は、どこか哲学的ですらある。
でも、私の世代からすると、他でもないメンバー自身が、自分がかつて好きだったものを同じように、それ以上に今も大事にしてくれて、そこに一生懸命になってくれるということは、ありがたさしかない。
自分の好きなものは、いつまでもそのまま存在するわけではない。
時に無くなってしまうし、壊れてしまうし、消えてしまう。
人生をある程度生きてきて、私の世代はそのことに気付いている。
だからこそ、そうやって自分の好きなものを守り続け、今もあの頃と同じようにフレッシュに存在し続けてくれることに感謝を感じてしまう。
3 人生の弱さや後ろ暗さを受け止めて明るく照らすグループ
モー娘。といえば、不祥事や不幸な出来事は切っても切り離せないのではないだろうか。
全盛期当時から、盗作騒動、フライデーされた脱退したメンバー、喫煙で謹慎し解雇されたメンバー、結婚報告翌日の七夕バスツアー(?)、不倫、親の自殺……モーニング娘。には常にスキャンダルの影がちらつく。
近年では、元メンバーの飲酒運転からの逮捕と実刑(執行猶予付きであったが)もあった。
モーニング娘。のメンバーは、不幸ばかりだとバラエティでも突っ込まれることが多い。
しかし、いや、だからこそなのかもしれない。
このグループの歌には、こうした人間の弱さに寄り添い、受け止めるものが多い。
人生、30年も生きていると、良いことばかりではない。
ああ、やってしまったなということもあるし、もっと上手くできたかもしれないという振り返りもある。あるいは、あの時こうすれば良かったのにという後悔もひとつやふたつではすまない。
自分ではどうしようもできない自分の弱さや甘さ、私一人ではどうにもできないという限界にも徐々に気が付かされるものである。
モーニング娘。はアイドルであるが、実はそういう人間の弱さを受け止めて、それでも、それだからこそ人生は素晴らしいと肯定する人間賛歌がたくさん存在する。
モーニング娘。が歌う数々の歌の意味に、心の底から共感できるのは、実はアラサーを超えてからなのではないか、とすら思う。
おそらくその根底には、このグループの多くの曲と歌詞を手がけてきたつんくさんの人生観が色濃く反映されているのではないかと思う。
つんくさんがモーニング娘。のプロデュースを始めたのが29歳のとき。
デビューから2000年代初期の黄金期を経て、その後、大病を患い、他でもない声を失ってでも生きていくことを選択し今に至る。
少し話がそれるが、彼はファンから「乙女おっさん」と言われるほどに、若い女性の揺れ動く心のうちや、ちょっと面倒くさい思考、自分自身にすら嘘をつくような強がりを表現するのが上手い。
だからこそ、モーニング娘。メンバーと同世代や20代の女性も「この歌は私の気持ちを歌っている」と一定の共感がある。
だが、30歳を超えて思うのは、これらの歌は大人の視点から、学生時代の時の気持ちや、あるいは人生全般を歌っているということだ。
やはり当事者は大人であって、大人から見た「若者はこんな気持ちなのかな」というある種の理想や郷愁を歌っているように思う。
人生の良いこと、嬉しいことばかりではなく、失敗や反省も含めて、あるいは自分の中にある弱さや怖れにも気が付いた今だからこそ、理解できることも共感することも増えるのだ。
例えば、モーニング娘。を代表する人生賛歌といえば「I WISH」。
この歌の歌詞は象徴的で「晴れの日があれば、そのうち雨が降る」とある。
リリースされたのは2000年。バラエティに紅白歌合戦に、各音楽番組。全盛期を迎えていた少女たち。まさに「晴れの日」を謳歌していた少女たちに、「良いことがあれば、そのうち「雨が降る」ような日もある」と歌わせたのである。
それでも「すべていつか納得できるさ」「人生って素晴らしい」と肯定するのがつんくさんの哲学だと思う。
(もっと言えば、誰かにとっては「晴れの日」が特別であったとしても、他の誰かにとっては「雨の日」が特別かもしれない。
何が良い、悪いと決めつけることをせず、「すべていつか納得できるさ」と締め括ったことが素晴らしいのだ。結局、人生は他でもない自分自身が納得できることがすべてなのだから。)
こうした歌が、モーニング娘。にはたくさんある。
現メンバーで11期の小田さくらさんは、とあるコンサートで、こうしたモーニング娘。を「救う系の歌手」だと表現した。
「世界を救うといった歌も歌えば、ファンの皆さんが明日も頑張ろうと思えるように救っていきたい」と語った。
まさに、モーニング娘。の歌は、情けなくて、弱いところばかりの人に寄り添う歌だ。
彼女たちは、努力することや、頑張ることを決してあきらめはしない。
それでも上手くいかなかったときに、彼女たちの歌は、その努力や頑張りを切り捨てたり、失敗したことを笑ったりはしない。
「モーニング娘。のメンバーは、不幸ばかり」そんな嘲笑は、このグループの歌や生きざまにはあり得ないのである。
「人生にはうまくいかない時もある」「でも大切な人と一緒に生きていけるこの人生が素晴らしい」と肯定するのだ。
それを今の私は「優しさ」だと感じる。
長い人生、良いことばかりではない、「そのうち雨が降る」ことだってある。
それでもその人生が自分にとって唯一の人生。だからこそ素晴らしい。そう受け止めてくれる彼女たちの歌に救われるのだ。
最後に、そんな私が好きなモーニング娘。の歌詞を引用して終わりたい
「人生ってすばらしい ほら誰かと 出会ったり 恋をしてみたり」
「晴れの日があるから そのうち雨も降る 全ていつか納得できるさ!」
「笑顔で生きていこう 謙虚であろうよ 100年やそこらの 偉大な人生」
「笑顔で生きていこう 健康であろうよ 100年やそこらの 偉大な人生」
「人生ってなんとか無理な場面からなんとかするからなんとかなる」
「青春Night 落ち込んでちゃそんなの勿体無いでしょ!? 青春Night 後悔してる暇も無いの」
「青春Night 幸せってまっすぐ選ぶだけ」
「人間皆 好きになれ 人生は一回 笑う門に福来る life is one time」
この先も、人生を重ねていけばいくほど、私の人生にこのグループが並走してくれていたことを、私は何度も感謝するのではないかと思う。
時にファンとして、時には少し遠い距離から。
今後も、モーニング娘。が老舗アイドルとして、そしていつしかアイドルを超えて、文化と言われる日まで続いていきますように。