ギャグ漫画は漫画に殺される
”ギャグ漫画は漫画に殺される”
僕はそう思っている。
というかもう殺されている可能性すらある。
本人が気づいてないだけで。
その大きな問題点としては、漫画とコメディのズレにあると推測している。僕が考えるズレは、コメディにおける「ベタ」いわゆるお決まりというものをどう評価するかもあるのだけれど、僕の中でこれは「まあ面白いけど、そりゃ面白いよね」という位置にある。
これはこれで面白い。それは間違いないんだけどワクワクはない。ちょっと退屈であるし、これがこれからのコメディの進化に貢献することはない。と思う。好きだけど、すでにフォーマットが完成しているものだ。
ところがコメディでいうベタが、漫画になると「王道」という言い方に変わる。王道は面白い。僕も、いわゆる王道(努力・友情・勝利とかね)がある漫画は大好きだし、読んでいて楽しい。もちろん多くの人が求めているからジャンプ漫画的なフォーマットが出来上がったはず。
ところが、ここに大きなギャップがある。
コメディにおいてベタは前時代的であるが、漫画としてはメインコンテンツ(王道)である。つまり、コメディとしての変化や進化をギャグ漫画にだれも求めていないのだ。
多くのギャグ漫画は基本的には王道に沿って作られていて、面白いけど常にコメディとしては前時代的だ。漫画表現としての変化・進化はあるが、コメディとしての変化・進化をあまりしていないと思う。
それこそ20年、30年前の漫才・コントにおいて芸人さんが研磨しきって誰でも使える状態にまで作り上げたものをいまだに延々と使いまわしていたり、キャラクター依存の笑いの作り方に終始しているものが多いと感じる。他の良質なコメディに比べて圧倒的に笑いを取る方法の種類が少ない。
ここで僕の考えるギャグ漫画と、社会的なギャグ漫画の立ち位置の違いを分かりやすくいうとこんな感じ。
僕が描きたいギャグ漫画は「コメディを漫画で表現する」
社会的なギャグ漫画は「漫画をコメディで表現する」
ここには大きな差がある、差というか、これでは同じギャグ漫画なのにまったく別物だ。
どの土俵で勝負しているかが問題で、ギャグ漫画は当然ながら「漫画」というフィールドで戦っている。お笑いの土俵にはいない。これが一般的な答えだ。
でも僕は日本のお笑いが大好きで、何度も日本のお笑いに救われてきた。日本のお笑いのパワー、凄さを痛感している。キングオブコントやM-1で見られる素晴らしいコメディの数々を見て「すごい!こんな笑いの作り方があるのか!」と毎回感動しては心を揺さぶられている。
そんな中でギャグ漫画を描いていると、ムズムズする。
「僕も、超一流の漫才やコントのような素晴らしいネタを描きたい。もっと、ギャグ漫画で日本のお笑い界に貢献したい。」
そう思いながら毎日描いていても、何かずっと違和感がある。
ギャグ漫画でそんなことは求められていないという社会的な評価軸の先端で目をグリグリと突かれているような、痛みを感じる。
でも、それでも、自分なら変えられるという自信もあるのです。
今はまだ自分の力不足で漫画とコメディの大きな壁を壊すことはできていませんが、必ずこの壁を壊して、その破片でギャグ漫画家たちの分厚い眼鏡を割ってみせます。
と、ここまで文章を書いたところで自分の中で「そもそもなぜギャグ漫画にここまでこだわるのか、そしてギャグ漫画をコメディとして進化させたいのか」気持ちの整理をしたくなったのとでちょっと書こうかしら。
考えてみれば、僕の心は本当にか細く弱い。日常的に流れてくる事故や事件のニュースで疲弊しきっている。本当に見たくない。特に若い人や子供が亡くなるようなニュースは心がボロボロになってしまう。つらい思いをしている人の言葉でとても悲しくなる。
正直、もう日々入ってくる情報だけで耐えきれないのだ。
今の漫画は良く人が死ぬ。あえてつらく苦しい状況を描く。
いや、わかる。それが悪いというわけではなくて
「死」というのは誰にでもやってくるし、ほとんどの人が葬式にはいったことがあって、死を体験している。
だからこそ「死」というのは超あるあるだ。
死に対して、人間であればだれでも心が動く。
「家族が死んだら悲しい」「親友に裏切られたら哀しい」
「努力が実らなかったら悔しい」
こういう展開の漫画はゴマンとあって、僕もこういう展開で泣いたり心がキュッとなる。もう現実でそういう気持ちはおなか一杯なのに、ちょっと見る体力ないやと気が引けてしまうのです。
自分や、こういう人のためにも、ネットの海にコメディをばらまきたい。これがまずギャグ漫画を描く理由の一つ。
そしてもう一つ、果たして泣けたから、心が動いたから名作か?とも常に思っている。
だってそりゃ人が死んだら悲しいじゃん。
親友に裏切られたら悲しいじゃん。
僕は創作においては、もう答えが出ているものあまり興味がない。それだったら「人が死んでるのに面白い」「親友に裏切られてるになんだか笑ってしまう」これを作れた方が素晴らしいと思う。最高だと思う。
人の動きやすい感情を漫画にするから人気がでるのは理解できるし、俺もいわゆる人気作は好きになることが多い。
でも、創作する立場になるとそういった再現性の高い感情よりも「笑い」というものの特異性に興味がある。笑いは再現性が低い(再現性の高い笑いは、いわゆるあるあるネタみたいなもので、共感性を狙うので同時に希少性も低い)代わりにどの感情の先にもいてくれる。
つまり、喜怒哀楽のさらに先に笑いは存在しうるのだ。
こんな愛にあふれた創作物はなかなか無いんじゃないか。笑いに包括されて、なにも感情は動かない。なにも起こっていない。心は動いてないのに、なんでこんなに面白いんだろう。センセーショナルじゃないのにワクワクする、そんなギャグ漫画を描けるようになりたい。
最後に誤解が無いように言うと、別に僕は既存の漫画もギャグ漫画も否定しないし、素晴らしいものだと思っています。これは読み手として。
ただ、作り手側からの思いはこういう思いがあるよという、そんな駄文でした。
お笑い最高!
(割と無理やり思うがままに書いたから、読み直しもあんまりしてないし矛盾あるかもしれないけど最後まで読んでくれてありがとう~)