見出し画像

喉元過ぎれば熱さを忘れる

陸前高田
2011年3月11日、三陸沖大地震と巨大津波により壊滅的被害を受けた陸前高田市、その惨状を空からの映像でテレビ放送局が伝えていた。町の半分が津波でざっくり持っていかれていた。残った部分は高台の土地になっているようだ。高台に住むか低地に住むかで運命が異なったのだ、とその時は思った。しかし、後に新聞記事や報道番組で陸前高田市が取り上げられると、単に運の問題ではないと分かった。

前回では宮城と福島の地震津波の記録を示した。陸前高田市も何度も地震津波の被害に見舞われている。これらを教訓に半世紀以上前に、市では低地に住居を建てさせない事とした。しかし時間が経つにつれ、高台の場所から漁港に行くのは不便との声が上がってきた。市は住居は設けない事を条件に店舗や事業所の設置は認めた。ところが時が経つと、店舗や事業所の二階に住むものが出てきた。

店舗や事業所は住居では無いと言う抜け穴を利用したのだ。一人がずるをすると、後は我も我もで、いつの間にか低地に人が住みついてしまった。ここで注目すべきは、時が経つにつれ市の職員も定年退職等で入れ替わり、地震津波の被害を直接知らない人ばかりになった事だ。低地に住みたいと言う住民の強い要望に、危機感が無い市の職員は、既成事実として定住を認めてしまった(単に見てみ見ぬ振りをしたのかもしれない)。

そして、2011年3月11日に三陸沖大地震と巨大津波が来て、惨事の歴史が繰り返されてしまったのだ。経験に訴える災害の備えは、人が変われば途絶えてしまう。語部は長期的には役に立たない。確率に基づいて、合理的に判断し行動する事のみが、地震津波のような超長期的災害に対する備えを可能にする。

いいなと思ったら応援しよう!