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青天の霹靂ではない。無知無為の代償は大きい。


気象庁の電網主頁ホームページで、「宮城県に被害を及ぼした主な地震・津波」の項を見ていて驚いた。以下は、その項目の一部である。人的被害の多いものに◎を付けた。

◎1933(昭和8)年3月3日、三陸沖、M8.1 (死者・行方不明者3,064名)
1936(昭和11)年11月3日、宮城県沖、M7.4
1938(昭和13年)年11月5日、福島県沖、M7.5
1938(昭和13年)年11月6日、福島県沖、M7.4
1956(昭和31)年9月30日、宮城県南部、M6.0 (内陸地震、津波無し)
◎1960(昭和35)年5月23日、南米西部、M8.5 (チリ地震津波、死者119人)
1962(昭和37)年4月30日、宮城県北部、M6.5 (内陸地震、津波無し)
◎1978(昭和53)年6月12日、宮城県沖、M7.4 (死者28人)
1996(平成8)年8月11日、秋田県内陸南部~宮城県北部、M6.1  (内陸地震、津波無し)
1998(平成10)年9月15日、宮城県南部、M5.2 (内陸地震、津波無し)
2003(平成15)年5月26日、宮城県沖、M7.1  (沿岸地震、津波無し)
2003(平成15)年7月26日、宮城県北部、M6.4 (内陸地震、津波無し)
2005(平成17)年8月16日、宮城県沖、M7.2 (微小津波)
2008(平成20)年6月14日、岩手県内陸南部、M7.2 (内陸地震、津波無し)
2008(平成20)年7月24日、岩手県沿岸北部、M6.8 (内陸地震、津波無し)
2010(平成22)年2月27日、南米西部(チリ中部沿岸)、M8.8 (小津波)
2011(平成23)年3月9日、三陸沖、M7.3 (微小津波)
◎ 2011(平成23)年3月11日、三陸沖、M9.0 (三陸沖大地震、巨大津波、死者19,418人、行方不明2,592人、負傷者6,222人、)

上記一覧の年の以前も以後も、地震と津波は多数発生している。地震と津波は頻発しているのだ。「こんな地震や津波が来るなど、夢にも思わなかった、想像もしなかった」は、あまりにも無知無為となる。残念ながら、その代償はとてつもなく大きい。

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