それは二人のガンマンが睨み合う、決闘直前状態にある。
兵士民間人合わせて何千万も死んだ第一次、第二次世界大戦後も、戦争は恐ろしい、やだやだと言いながら人類は戦争を止めない。しかし、限定的束の間の平和もあった。それは嘗てのロシアを中心とした超大国、ソビエト社会主義共和国連邦、略称ソ連と、アメリカ合衆国、略称米国が、何万発もの核ミサイルを構えて睨み合った時である。
何故睨み合ったかと言うと、米ソが戦えば両国とも核戦争で滅びる事が明白になったからだ。そして、米ソの何れかの陣営に完全に加わった、東欧西欧、及び東アジアの国々にも束の間の平和は訪れた。しかし、中途半端に国が何方に付くかで分断した国では戦禍は続いた。
武器を持たなければ撃たれる。武器を持っての睨み合い中に、目を逸らせば撃たれる。終わったと思って背中を見せれば撃たれる。相手が機関銃を持っているのに、こちらは旧式の一発ずつしか撃てない銃なら撃れる。そして、最も有り得る事は、相手が勝てると思うと撃ってくる事だ。
相手に撃たせない、つまり戦争をさせない為には、力は相手と互角以上、そして相手に勝てないと思わせる事だ。この睨み合いの均衡が破れた時に戦争は起こる。実行力の無い平和主義、安易、即ち一方的な軍縮は、均衡を破り返って戦争を誘発する。何故なら、独裁国家は利益を得るためには、武力の行使を辞さないからだ。独裁国家は悪党ガンマンなのだ。ウクライナはロシアは撃たないだろうと、高を括った国である。イスラエルは目を逸した国だ。
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