1年が経ちました とある記念日の話
自分にとっての神宿の初現場は11/6、だけど実は自分にとっての「舁夫として」の記念日は12/6だと思っている(ちょうど1ヵ月ズレというのはこの一文を書いて初めて気づいた)(舁夫として、なんていう定義はないので便宜上の表現)。
2020年12月6日に初めて「もふもふくろ」という名前が生まれました。そして初めて推しメンに認知された(気がする)日でもあります。今日はそこら辺の話について思い出を振り返ってみようかなと思います。1オタクのただの思い出話です。
初現場に関しては前回投稿に記載した通り。なので割愛。
ちなみに今年の11/6に関してはInstagramのほうに投稿してます。例の如く絵日記です。
1年経って何が変わったかな、とか考えてたけど、すべてにおいて変わっていたので特に言うまでもないかなという感じです。この日に感じたことは全て↑に書いてます。
------------------
さて、この初現場が最初で最後だと思っていたけど、思った以上にライブが楽しかった。もっと見たいって思った。当時の記憶ってのもあるけど具体的に「何が」っていうのは無かったと思う。ただ直感でそう感じてたのでよほどビビビとくるものがあったんでしょう。だからすぐに次見れる機会ないかなって探してみたところ、Autumn tourのツアーファイナル(EX THEATER ROPPONGI)の公演のチケットが取れた。都内だし行けるって即決だった。
実際に当時のライブを見ての感想はどこにも書き記してないし、あの時の光景はなんとなく覚えてるけどどうだったかと問われると明確に覚えてはない。ただ、当時推しメンに認知すらされていなかった人間が12月のライブの申し込みまでしてたことを考えると多分楽しかったんだろうなと想像できる。別に認知もない状態でライブ見て「また行こう」ってなってるので純粋に神宿のライブが楽しかったんだろうなと思う。素敵ですね。
そもそもこの時はまだアイドルとオタクの関係性なんてもの自体わかってなかった。認知なんて夢のまた夢、そんなものはよほどのことがない限りは存在しないと思ってた。よくAKBだの乃木坂だのの握手会みたいなものが神宿でもあるみたいなのは知ってたけど、1人のレーンに大量の人が並んで短時間でしか喋れない状態で覚えてもらうなんて無理だろ、と当時オタクとは無縁の一般人だった私はそう思っていた。今ではそれはかなりの偏見だったなと認識を改めてます。アイドルってすごい。
んで、もっと推しメンのことを近くで見てみたい、動画じゃなくて生で見てみたいって思ってたところ、カレンダーの手渡しイベントが12/3に渋谷であるとのことで。迷わず行って、仕組みもよくわからなかったので3冊券を買って列に並んでた。この時点で塩見きらさんと話したのは生誕祭の時の2Sの瞬間だけでほぼほぼ初めましてだったので、この時も確か初めましてみたいな会話をしたんだと思う。正直てんぱってて覚えてない。ただもらったチェキを見返して「かわいい...」となって、カレンダーに書いてくれたサインを見て「これがあのサインか...」となっていた。お気に入りのチェキは?となったらこのチェキを挙げるでしょう。
沼にハマるとはこのことで、もっと話してみたいと思ったんですねー。別に何を話したいというのはなかったけど、もっと話してみたい、そう思っていた。都合よく3日後の12/6に再び渋谷で今度はアルバムのリリイベがあった。なんかせっかくだから仲良くなりたいし覚えてほしいな、どうするかな... って考えてたんだけど、そうだ名前だ、名前つけてもらおうと決めていた。んでリリイベの特典会 当時は周回するみたいな考えもなく1枚勝負だったので「名前 名前 名前」って頭の中いっぱいにして迎えた会話「名前なんて言うの?」っていう需要と供給が完全に一致した質問が飛んできた。これを機にその場で「名前つけてほしくて...」って言ったら、当時上下真っ黒の重装備をしている見た目から「もふもふくろ!もふもふくろでいこう!」って言われた。「おっけ、それでいくわ!」ってはけていった。
もふもふくろ かぁ 自分の人間性や見た目からはかけ離れたとてもかわいらしい名前つけられたもんだなぁ とちょっぴり苦笑いしながらチェキを見返しつつ家に帰ったことを覚えている。家路に帰りながらTwitterのアカウントの名前とかIDをさっそくもふもふくろに変えたりしてた。
その日チェキチャがあった。あの争奪戦で有名な塩見きらさんのチェキチャ、今となっては何故かわからないけど叩きが必要という認識すらなかったのになぜか枠確保できた。この日が初チェキチャでした。チェキチャというものの仕組みすらわかってなかったから事前の質問書いてくださいっていう欄に「初めてだからどんな感じか教えてください!あと今日覚えてくれて嬉しかったです!」的なコメント書いてた。始まる時間が近づくにつれてめっちゃ心臓バクバクしてたことを今でも覚えている。んで始まった塩見さんは「どんな感じか教えてください」の質問に触れることは全くなく、「もふもふくろ」という名前を見て喜んでくれて、塩見推しであることを喜んでくれていた。今の自分と塩見きらさんの関係においてはもはや伝説的なレベルのかわいいテンションで自分のことで喜んでくれた。世間的には釣り対応という言葉もあるけども、そんなの関係なく純粋にYouTubeで見ていたああいう感じの子が自分でこんな感じで喜んでくれるんだ、この子がこうやって喜んでいる姿をもっと見ていきたいな、ってこの時ものすごく感じた。オタク初心者が抱きがちな感想でありながら、間違いなく純なその想いは今も間違っていなかったと思う。そのあとも会いに行くたびにこの名前を呼んでくれるのが嬉しくて、会えることがどんどん楽しみになっていった。それが積み重なって、いろんな想いが増えていって、今の自分と塩見きらさんの関係性っていうものがあるのかなと思っている。そういう意味では12/6というのは自分にとって大切な記念日なのです。今思えばこの最初の「この子が喜んでいる姿をもっと見ていきたい」っていう部分に関しては今も変わらないものなんだなと。
-----------------------
名前というものに関しては1つ KinKi Kidsのエピソードをここで挟んでみる。もともとKinKi Kidsは KANZAI BOYA という名前で誕生した2人組だった。ジャニーさんからこの名前をもらったときにあまりのダサさにショックを受けたという。その後ジャニーさんから「名前を変えるよ」と言われて期待してもらった新しい名前は KinKi Kids 。関西の坊や が 近畿の少年 に変わっただけでほとんど変わっておらず、名前を言われたときは恥ずかしかった、終わった、と思っていたという。でもそのKinKi Kidsという看板を25年背負い続けているとその名前に違和感を持つ人はいなくなるし、本人たちも聞き慣れている。第一にコンサートでKinKi Kids!と発する言い方が板についていてカッコいい。また、KANZAI BOYAというグループ名も、当時としてはめちゃめちゃダサいと思っていたが、ジャニーさん亡き今その名前が愛おしく思えるようになり、KANZAI BOYAという曲名をシングルリリースしている。大切な人からの名前というものは愛おしいものであるのだなというのを学んだ1つのエピソード。
-----------------------
この話に通づるかどうかよくわからんくなってきたけど、自分自身も最初この名前を名乗るのが恥ずかしかった。もふもふくろ という名前から自分みたいなのが想像できるか?と言われれば自分は出来なかったからである(もっとかわいらしい何かが出てきそう)。でもいつのまにか関わってくれた舁夫さんは「もふもふさん」「もふさん」とか言ってくれるようになって、舁夫としての「もふもふくろ」という名前は自分にとって何も違和感ないものになった。それどころか「なんでもふもふくろっていう名前なの?」って言われたときには「塩見につけてもらった名前だよ」と誇らしく言うことができている。この名前を付けてくれたことに今とっては、いや当時からも含めて本当に感謝している。ありがとう。あなたがつけてくれた名前でいろんな人に認識されて覚えられて仲良くなることができました。今ではこの名前がとても愛おしく思っています。(あの時のたった一瞬でつけた名前にこんなに思い入れ持たれて重いと思われるかもしれん。でもオタクってそういうものなんだと思う。ごめんね塩見さん。)
ちなみにメンバーからは「もふくろ」で呼ばれていて舁夫からは「もふもふさん」「もふさん」と呼ばれる。
もふくろ は羽島めいさんが特典会で「言いやすいから もふくろ って略していいー?」ってのがいつの間にかメンバー内に浸透していた(この時初めてメンバーって舁夫の話するんだってのを知った)。
もふもふさん はclubhouseで 登録名を「もふもふ くろ」にしてたので表記が「もふもふ」だったことが起因している。そしてそこからもふさんと略す人も出てきた。面白いね。
いちオタクの名前なんてそこまで意味は無いと思う。でも自分にとってのこの名前は強い思い入れがあるし、大切にしていきたい愛おしい名前。今後もこの名前をもって緑舁夫として神宿を 塩見きらさんを応援していきたいと思っています。
インスタみたいにキャプション制限ないからだらだらと長くなっちゃう。良くないね。短い文章書けるようになりたいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?