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30年目の宮崎映画祭(その1②受賞者プロフィール)

第30回宮崎映画祭の見どころとして…
1,金のはにわ賞
2,黒沢清の映画塾
を挙げてまいりました。

今回は「1,金のはにわ賞」の続き。したがって「その1②」としております。映画好きなら知っている人も多いと思われる「金のはにわ賞」受賞者のプロフィール、これを今回挙げておきます。また文体が少々違いますが、それは映画祭HP自体に今後挙げる予定なので、その為ですね。
ただお気を付けいただきたいのは、受賞者プロフィールなので映画祭参加者のそれではありません。ご注意ください。

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金のはにわ賞 受賞者プロフィール

井上淳一(いのうえ じゅんいち)

(『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』企画、脚本、監督)

井上淳一監督(企画、脚本も)

1965年愛知県出身。早稲田大学卒。大学在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションにて助監督を務める。この辺のことは本作『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』の中で(勿論、フィクションを交えながらだろうが)の中で、詳細に描かれている。90年『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビュー。以降、脚本家として『男たちの大和』(05年)、『パートナーズ』(10年)、『アジアの純真』(11年)『あいときぼうのまち』(14年)、『止められるか、俺たちを』(18年)、『REVOLUTION+』(22年)、『福田村事件』(23年)などを発表。監督作としては『戦争と一人の女』(13年)、ドキュメンタリー作品として『大地を受け継ぐ』(16年)、『誰がために憲法はある』(19年)などを監督として発表。『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』は11年ぶりの長編劇映画監督作品となる。また現在キネマ旬報誌上で、公開作品の星取表を発表しており、その鋭い言説は映画ファンを魅了している。

井浦新(いうら あらた)

(『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』若松孝二監督役)

井浦新氏

1974年東京都出身。「ARATA」名義で是枝裕和監督『ワンダフルライフ』(98年)にて映画初主演(2012年に本名「井浦新」として活動することを発表する)。以降、『シェイディーグローブ』(99年、RIP・Shinji Aoyama)、『DISTANCE』(01年)、『ピンポン』(02年)など映画を中心に活動しながら、ドラマやナレーションなど幅広くその活躍の場を広げている。本作で若松孝二監督役を演じているが、同監督作品には『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(07年)以降、『キャタピラー』(10年)、『海燕ホテル・ブルー』(12年)、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(12年)、そして遺作となった『千年の愉楽』(12年)とすべての作品に出演している。
本年2024年に出演された映画作品だけでも、本作に始まり、『ゴールデンカムイ』(1/19公開) 、『東京カウボーイ』(6/7公開)、『ラストマイル』(8/23公開)、『徒花-ADABANA∹』(10/18公開予定)、『MIRRORLIAR FILMS Season6「カフネの祈り」』(12/13公開予定)と多岐に出演作があり、現代日本映画の最重要俳優の一人。
宮崎映画祭に参加歴はないが、前作『止められるか、俺たちを』(18年、白石和彌監督)では「金のはにわ賞」を授与している。

芋生悠(いもう はるか)

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』金本法子役
『夜明けのすべて』大島千尋役

芋生悠氏

1997年熊本県出身。2014年の「ジュノン・ガールズ・コンテスト」のファイナリストに選ばれ、15年にドラマなどで女優デビュー。以降ドラマやCM(余談ではあるが、同氏は南九州酪農のCMにも出演している! 「愛のなんとか」というやつだ!)で活躍しながら映画デビュー。
映画デビューは『バレンタインナイトメア』(16年)。その後、『左様なら』(19年)や主演作『ソワレ』(20年)で注目を集める。23年には『うちのじいじは字が書けない』、『浮かぶ』、『こいびとのみつけかた』に、今回の宮崎映画祭上映作品『朝がくるとむなしくなる』などに出演する。24年は映画祭上映作品のほかにも『初めての女』『次元を超える RANSCENDING DIMENSIONS』がある。またNetflixで9/19から配信されている「極悪女王」では、全日本女子プロレスのビューティペアのひとり、マキ上田を演じて話題になっているのも特筆される。

若松孝二(わかまつ こうじ)

(映画監督、プロデューサー 1936-2012)

(ⓒ若松プロダクション 若松孝二公式サイトより)

1936年宮城県出身。高校2年時に中退、そして上京、職を転々としながら、テレビ映画の助手、助監督を経験する。63年『甘い罠』で監督デビュー。ピンク映画ではあるが、警官殺しを題材とする、その過激さや迫力は「ピンク映画界の黒澤明」と話題を呼んだ。その後も次々と過激な意欲作・話題作を発表し、ピンク映画界の重鎮となっていく。65年『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭の正式上映作品となるが、これを快く思わない大手国内映画会社や一部評論家などからのバッシングもあり、センセーショナルな話題を呼んだことでその名を一般にも轟かせるようになる。また同65年に若松プロダクションも設立、様々な人材が集まることになる(この辺りは『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』の前日譚に当たる『止められるか、俺たちを』にも詳しいので、ご一見されたい)。71年にはカンヌ国際映画祭監督週間に大島渚と選出、その帰途でパレスチナにてアラブゲリラの日常を記録し、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』として発表、バスにて全国上映を実現する(これが前日譚『止められるか、俺たちを』のラストシーンである)。72年にはATG映画となる『天使の恍惚』を完成させるが、当時の社会状況の影響、とりわけあさま山荘事件などの影響から上映反対運動がおこった。このように話題作、問題作を発表以降もピンク映画を量産し、話題作のプロデュースを行い、79年には内田裕也を起用して『餌食』を発表、一般商業映画にもその活躍を広げていくことになる。話は身内話に逸れるが、内田裕也とタッグを組んだ82年『水のないプール』について宮崎の演劇界の重鎮であるD氏は「日本映画の最高傑作」と呼んでいる。その後、昭和三部作と呼ばれる『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(07年)、『キャタピラー』(10年)、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(11年)を発表。12日間で撮ったといわれる『キャタピラー』では主演の寺島しのぶがベルリン国際映画賞女優賞を受賞し、再び若松孝二にも脚光が照らされることになる。12年10月17日に不慮の事故にて永眠。事故の寸前まで次回作の打ち合わせをしていたという。このようにスキャンダラスな話題を振りまきつつも、現在に通じる映画人の育成に努め、一貫して映画の魂を貫き通したことに最大限の敬意を表して、2024年「金のはにわ賞」名誉監督賞を授与することに決定した。「映画に時効はない」ゆえに。

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PS 受賞はにわトロフィー、絶賛製作中!

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