宮崎映画祭の30年(第1回)

 さてnoteなる代物をどう扱うのが良いかもわからずに書き進んでいる。先ほどもタイトルだけ入れてENTERキーを押したら消滅してしまい、これが二度目の投稿となる。まぁ試しに書いてみようというのが本稿なので、変なアップがされようと、ごめんなさいの一言である。

 言い訳としか言いようのない言葉の羅列はこれで終わり。さて以下、本文。
 
 今年も宮崎映画祭を開催する運びとなりました。1995年に第1回が開催され、今年でなんと30回、まぁ概ね一年に一回開催だから30年。歳を食うはずだ、というボヤキはさておき、このnoteでは少々30年の振り返りをやってみようと思っています。ただ如何せん、最近は朝食さえも何を食べたか、思い出せない有様ですから、30年前のことなど勿論、ちゃんと思い出せるはずもありません。したがって本文に資料的価値など一切ないことを最初に断っておきます。

 また文章の性格上、登場人物について書き進めるざるを得ない場合もございます。こんなこと書くよ、とはご本人たちには断っていないので、すべてイニシャル表記とさせていただきます。そのご本人たちの目に触れることもあるやもしれません。悪く書くつもりは一切ありませんが、多少の誇張はお許し願います。ただ映画祭に登壇されたゲストについては、フルネームで登場していただくことになるでしょう。他、諸々あるでしょうが、それはその都度。

 ということで第1回宮崎映画祭の思い出ですが、実は僕は第1回には参加していません。といきなりの謝罪です。したがって以下伝聞ということになります。如何にして、30年も続いている映画祭ができあがったのか、ということについては僕も聞いたことがある。

 物事の始まりはそんなものなのでしょうが、実は宮崎映画祭のスタートもヒョウタンからコマ的なスタートでした。気の合う仲間たちが、家で餅つきをやって、その餅を肴にお酒を飲んでいると、その餅を頬張る人の中にシーガイア(当時)に勤めるTさんという方がいて、「シーガイアの春祭りという催しをやるんだけど、予算が○○円ある。なんかできないだろうか」と、やはり餅を頬張りながら言ったといいます。それを聞いたメンバーの中の映画好きのIさんとかYさんが「じゃったら映画祭なんかどげんじゃろうか」と餅と酒の勢いでこう言った。しかし問題は、餅つきは年末なので、シーガイアの春祭りまでは三か月を切っている。普通ならば、いくら何でも時間がないと諦めるところでしょうが、先にも書いたように、この話は30年前。つまり今より30歳若いわけですね。餅、酒、若さ、全て勢いが増すものばかりです。ここからどう進んだのかは、想像でしかない部分も多いのですが、恐らくその場で、宮崎出身の永瀬正敏さんを招聘できれば、恐らく映画祭的にも盛り上がるし、なんとかなるんじゃないだろうか、という話になったのでしょう。

 ということでなんとかなった訳です。いやその30年後のIさんの仕事ぶりを見ているとなんとかした、というほうが正しい。ついでに書けば、先の○○円で収まったはずはないと思います。イベント自体についてはともかく、出張費やらを考えるとねぇ。

 閑話休題。聞けば、Iさんは当時運営していた飲食店の経営そっちのけで、年明け早々から映画祭の実現に東奔西走しました。永瀬正敏さんの作品の数々を上映して、永瀬正敏特集をメインに据えることでご本人の登壇を実現し、なんとか映画祭の体をなすよう骨格を作り上げた。その他にもゲストとして鈴木砂羽さんや戸田奈津子さんも参加されたように記憶していますが、この辺はもし詳しい方が本文を読んでいただくことがあるならば、ご教示いただきたいところです。Iさんに聞けば早いような気もしますけどもね。

 開催は3月で2日間の開催。後にG7の外相会議の舞台となるシーガイアコンベンションセンターという大会議場を3つに仕切り、300人、400人、300人の通常では考えられないような大ホールを作り、シーガイアの宣伝力、映画祭の魅力などが相重なり、盛況のうちに幕を閉じたと、伝え聞いています、まぁあくまでも美しい物語としてですが。

 以下余談めきますが、1995年は映画にとって意味を持った年で、つまり映画というものが誕生して100年祭であったわけです。すなわち1895年12月28日にフランスのグランカフェなるところでオーギュストとルイのリュミエール兄弟が、不特定多数の観客の前で映画を上映したことが、由緒正しい映画の生誕とされており、それを記念するように、この年、全国(日本国内にとどまらない)で多数の映画祭が始まっています。だから2024年の開催で「第30回○○映画祭」というものは多いわけです。こと日本という国だけの話をすると、一度、芸術文化振興会というところの、助成金の中に「映画祭」という項目があるので一度見てみるといい。数多くの「第30回」が並んでいますので。もちろん、宮崎映画祭もその中にある訳ですが。
 
 因縁めきますが、餅つきが年末押し迫ったときに行われ、そこで宮崎映画祭なるものの原型が出来上がったことと、場所は違えどもその100年前の年末に「映画」という体験したことのないものに人々が遭遇したことに因縁めいたものを感じざるを得ません。

 第1回についてはこれでひとまず終わることとします。ところでなんですが、実は第2回映画祭についても僕は参加する側ではないのですが、どうしよう…。(続く)

 

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