宮崎映画祭の30年(第1回その2)
宮崎映画祭の30年(第一回その2)
SNSに長文を投稿すると顰蹙を買うものですが、まれに「あなたの投稿は素晴らしいです。私と貴方は共通の価値観を持っているようです。友だち申請をしたいのですが、うまくいきません。是非、友だち申請をくださると嬉しいです。ちなみに私は●●●です」というコメントを頂戴します。この●●●の部分には、どこそこ銀行のCEOだの、医者だの、大富豪だの、はたまたプロフィール写真が半裸でモデルやってます、だのという驚くべき職業を示す文言が入っています。本当は是非ともお友達になりたいと思っているのですが、いかんせん、こちとら見かけからは想像もできない人見知りなので、銀行のCEOと半裸のモデルには少々心惹かれますが、ひとまずは遠慮させていただいています。以降、この手の文章を送付される方は、ご承知おきくださいませ。
しかしながら、時にはこちらの書いたその長文の中から、僕の知らない幾つかのことやらを教えていただいたり、間違いや勘違いの修正していただいたり、こちらが持っていない資料などを頂戴することがあって、そういう方は勿論、銀行のCEOとか医者とか大富豪や半裸のモデルではなく、畏友であるケースがほとんどで本当にありがたいことだと思っております。
前回、「宮崎映画祭の30年」と大それた題名のもとに、本文を書きだした時に、本稿を書く資格はあるとは思うものの、30年なる時間の重圧に負けて「この文章には資料的価値はない云々」と、最初に言い訳から書き始めた訳ですが、文章を書き終わって公の目に触れるようキーボードを押した投稿した瞬間に後悔が先立ち、やはり幾分かの資料的価値を持っていたほうがよいのではなかろうか、いいや絶対にそうすべきであろうという考えが頭をもたげてきて、資料整理の苦手な自分の性癖を呪い、本当に書き進められるものかと、考え込んでしまったのですが、それを推し量ったように、畏友Yさんから「こんな資料がある」を送られてきたのです。そこには1995年の映画祭のチラシ、そしてゲストを囲んだ打上の写真や当時を慮る集合写真、そして驚くべきは、前回、読まれる皆様が面白おかしく、その場の雰囲気を理解しやすいように、多少の誇張やギャグを入れて描写した件の餅つきの場面、なんとその時の写真が出てきたことです。資料を送って下さったYさんにはこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。Yさん、すみませんが引き続きよろしくお願いいたします。
本当は当時の集合写真なりを掲載して、読んでいる方々が、おお懐かしい!とか、おお若い!とか思っていただけると考えたのですが、更に熟考すれば、今となっては映画祭と関りがない人もいるし、ひょっとしてその過去を隠したい人もいるだろうと思って、掲載は差し控えることとなりました。Yさん、ご了承を。
ということで件の餅つきの写真がこれ。
1994年の年末と前回記したこのもちつき大会、正確には1994年12月25日。僕が聞いているのはTさんという当時シーガイアにお勤めになっていた方の自宅で行われたということです。
また宮崎映画祭(正式名称は「‘95シーガイア宮崎映画祭」)の実施は1995年4月9日(日)の」一日のみの開催が正しい。ゲストについても以下の通り。
永瀬正敏さん、林海象監督、鈴木砂羽さん、平部隆明さん
余談ではございますが、’95シーガイア宮崎映画祭実行委員会の事務局となっている「ライトスタッフ」が、前述しているIさんの経営していたお店でサンドウィッチ屋さんでした。付け加えておくと、その電話番号が今は宮崎キネマ館の電話番号であることも、どこか感慨深いものです。
またこの「ライトスタッフ」、現在までも続いている宮崎のシネマサークル「シネマ1987」の事務局でもありました。この「シネマ1987」が宮崎映画祭の開催に、少なくなく関わっているはずのなのですが、そこについては再度、識者のご指摘を待つこととします。
*追記 本文中の誤植をDさんにご教示いただきました。曰く公式の文章になるかもしれないからと、ハゲまされたような気持ちです。謹んでお礼を申し上げます。
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