色のメッセージを受け取る#9 「共同体」の色コーラル
私は幼少期から、母と居心地の良い関係を築くことができないという思いを抱えながら成人した。18歳で実家を出た後は、母の呪縛から解放され、一人暮らしの自由をかみしめたものだった。その後、母と過ごすのはお盆休みとお正月のみとなり、母との関係で思い悩む機会も少なくなったが、後ろめたさはついて回った。母に対する気持ちを何とか好転させたいとカウンセリングを受けたりしたものの、母との距離を縮めることはできなかった。
こんな積年の悩みを解決してくれたのが、色だった。色の意味を学んで、私はようやく母を理解して受け入れられるようになったのである。色の勉強は、自分の中で色に対する興味が抑えきれないほど大きくなって始めたのだが、予期せぬ副産物をもたらしてくれた。色の学びから得た最大の成果は、母を理解できたことだ。現在、母は90歳を超え、ある施設で穏やかな日々を過ごしている。すっかり小さくなった母の姿を見ながら、母の命が尽きる前に「この人を理解することができた」と安堵している。
「母の色はコーラル」と気付いたのは、コーラル色が持つ意味を学んでからだ。コーラルは赤とオレンジを混ぜ合わせた色で、珊瑚の色である。「愛」「血縁関係」「具現化」という意味の赤と、「人間関係」「経験」「ぬくもり」「団らん」というキーワードを持つオレンジを掛け合わせて、コーラルは「共同体」「共依存」「共感力」を意味する色となる。さらに珊瑚は美しい海でなければ生存できないので、コーラルの人には「環境」が大切なのだという。確かに、母は毎日お掃除を欠かさず、室内のインテリアにもこだわる人であった。
後日、母に好きな色を選んでもらった。真っ先にコーラルを指さし、「きれいな色だね」と言う。母の色がコーラルであると確信してから、私は子供の頃から不可解だった母の言動を読み解いていった。それは、母を理解し受け入れるプロセスでもあった。
私が幼少期から、理解できなかった母の言動とは、母が近しい親族の女性たち(実の母親や姉妹)と会うと、共通の敵(ある親族夫婦)の悪口を言い始めることであった。毎回、同じような話から始まり、その親族の夫婦の素行の悪さをののしる様子は、子供から見ても気持ちの良いものではなかった。私は、毎回、同じ仲間で同じ悪口を繰り返す母を見て、「一体何が面白いのだろう」と不思議でならなかった。
これがなぜコーラルの言動かというと、母は自分の母親や姉妹たちと「強い絆で結ばれた共同体」を維持しようとしていたのだと思う。共通の敵をつくり、その敵を批判することで共感し合い、仲間内の絆を深めていたのだろう。母は結婚して自分の家庭をもった後も、実の母親など近しい血縁関係の女性たちとの「共同体」を必要としていたのではないだろうか。私が仮に、母と同様の言動をとっていたならば、私もその「共同体」のメンバーの一員になれたのかもしれない。母は、私にその「共同体」に入ってほしかったのだろうか。
母が自分の「共同体」を大切にしていたことを示唆する言動がもう一つある。それは「この話は○○さんには話していいけれども、△△さんに言ってはダメ」と約束させられたことだ。○○さんは、母の「共同体」の構成員で、気兼ねなく何でも話せる親族の女性だ。子供だった私には、そんな約束を破らないようにするのは、精神的な負担だった。母のことを「なんて面倒くさい性格なんだろう」と思ったものである。
結局、私はそんな母の言動に共感することができずに、母の「共同体」に入ることはなかった。そんな娘に対し、母は距離を感じていたのかもしれない。
かつて母と一緒に「共同体」を形成していた女性たちは、皆亡くなり、母一人が残された。私が母に会いに行くと、今でも時々、親族の悪口を聞かされる。その内容は中和されて、私はさほど不快な気持ちにはならない。今の母にとって、女同士の「共同体」を構成するメンバー候補者は私のみになったのだろう。コーラル色の母は、自分に共感してくれる仲間が欲しいのだ。そんな母の言葉に、私は適度に相槌を打ちながら、母親の意を汲もうとする。こんな風に、母を理解して受け入れられるようになるまで随分と長い時間を要してしまった。でもここまで到達することができた。すべて色のおかげである。