1989年春 東西ベルリン珍道中 #1
1989年の3月末(ベルリンの壁が崩壊する半年以上前で、まだドイツが東西に分断されていた頃。)、ドイツはケルンでの語学留学を終えた私は放浪の旅に出るべく夜行列車でベルリンにやってきた。当時はまだドイツは東西に分断されており、ベルリンは東ドイツの中に飛び地のように存在していた。さらにそのベルリンは東西に分かれている、当時の私にはちょっと理解出来ないところだった。
途中、列車は東ドイツ領を通過するので、そのためにパスポートチェックと、あと、なんだか通過ビザとやらの料金を取られ、それだけでもドキドキもん。
さて、早朝西ベルリンに到着。その日の宿を確保しようと(今みたいに事前にネット予約なんてない時代ですからね)まだ開いていないインフォメーションの前で「地球の歩き方」を読みながら待つ。
「Are you Japanese?」
は?そうですけど? みればアジア人(要するに日本人)、細身の男性。
「あの~、その地球の歩き方、見せてもらえませんか?ガイドブック持ってくるの忘れたんですよ。」
日本語のガイドブック持ってる人に日本人ですかと聞くのもおかしな話だが(笑)。ま、日本語が読める中国人と言う可能性もあるわな。
その細身の男性には連れが二人いた。若い人と、ヒゲの人。
「僕たち、フランスでコックの修業してて、バカンスでこっちに来たんですよ。」
(へえ、バカンスか。フランスって感じだ。ドイツ語だとウアラウプだもんな。)
そして細身の男性(以下K氏)はおもむろにカバンから何やら取り出し、
「これ、まだ大丈夫だと思うんだけど、おにぎり食べる?」
なに?おにぎり?いただきますとも!
食料を持たずに夜行に乗って、いい加減ひもじかった上に、久々の銀シャリのおにぎりと聞いて私はいとも簡単に餌付け(笑)されてしまった。のだめ並のヤツである。
それから私はドイツ語がまったく出来ない彼らと一泊二日で東西ベルリンを一緒に観光して回ることになったのだった。(あ、もちろん部屋は別です。(笑))
今にして思えばやっぱり東ベルリンはなんだかコワイ雰囲気だったし(すぐにチェンジマネー?と声をかけられたりするし)、少しは言葉が出来るとはいえ若い女性1人でうろうろするのはあまりよくないことだったと思う。だが、ドイツ語は出来ないとはいえ、海外生活に慣れているごついお兄さん3人、というボディーガードのおかげで、私は楽しく、安全に東西ベルリンを旅することが出来たのだ。
ベルリンと言えば、ベルリンの壁。行けども行けども続く壁。西から見た壁は色とりどりの落書きで埋め尽くされていた。でも、壁に沿って立っている建物をふと見れば……明らかに弾痕とおぼしき穴がそこここにあいている。
また東ベルリンにあったテレビ塔の回転レストランでお茶しながら見たベルリン市街の景色は忘れることが出来ない。
一本のまっすぐな道。その先には有名なブランデンブルグ門があって、その道はさらにまっすぐに続いている
…………ように見えるのに、よく見るとブランデンブルグ門のすぐそばに、壁。
でもこれはかつてたしかに一本の道であったのだ。
その年の11月に壁が崩壊するのだがその頃いったい誰がそんなことを予想しただろうか。