カエルを食べる
食べた。
変わったものを口に入れるのが好きで、カエルというのはゲテモノ食の中でもスターターキットに位置するもののイメージがあった。
ウシガエルってやつは昔アメリカから食用に輸入されたもので、積極的に養殖もされたが日本では食文化に根付かなかったと聞いていた。
(一応Wikipediaで確認したところ合っていた)鶏肉に似た味で食べやすいとのことで、一度食べてみたかった。
カエル自体は生き物としてはかなり好きだ。特にアマガエルなどの小さくてツルッとした個体は非常に愛らしいと思う。
同系統ではカナヘビもかなり好きだ。どちらにも詳しくはないけど、好きな動物は?の欄に書く候補入るくらいには好き。(他候補:カモノハシ、シマリス)
誰かといっしょにワァワァしたかったので、フォロワーさんに付き合ってもらった。Twitterでは良く話すが、オフラインで会うのは初めての方だった。
元々オフ会したいですね〜という話が出ていて、ちょうど「ご飯とかいかがですか?何か食べたいものあります?」という話になっていたところに「実はカエルが食べれるベトナム料理屋さんがあって…」と提案した形になる。
今思えば初オフ会で提案する内容ではないのだが、爆速で「そこにしましょう!」とノってくださったフォロワーさんもたいがいである。
Twitterをやっているオタクにはこの手の異常なフッ軽と好奇心を携えた人が多いように思う。
変わった場所に行ってみたレポ漫画をRTで見慣れて感覚が麻痺しているか、元々好奇心が振り切れているやつがオタクになりやすいのか。卵が先か、ニラ玉が先か。
結論から言うと、その日行ったベトナム料理屋ではカエルは売り切れており、私達は大人しくベトナム料理を食べて帰った。本当に人気で売り切れたのか、そもそもその日は入荷が無かったのか。ベトナム人らしき店員さんの口振りから推測は難しかった。
しかしながら、ベトナム料理はそれはそれでおもしろかった。食べ方が分からん料理がいっぱい出てきて、どこまでが食べていいものなのか分からない。
鍋のような物が出てきて、これってこのスープ?も飲むのか?とググったら、スープだと思っていたものは油だった。危ね。
結局、後日、日を改めて別のジビエ料理を売りにしている呑み屋でカエルにありついた。昔ながらのカウンターの狭苦しさがかっこいい古いお店で、アルコールに弱くその手のお店に殆ど入ったことのなかった私はそれだけでワクワクしていた。
カエルは塩焼きとタレを選ぶことができた。せっかくなのでちゃんとカエルの味が分かる方がいいねと塩焼きを注文する。
来た。結構ちゃんとカエルの形をしている。恐らく奥側が脚だろう。
味は鶏肉と魚の中間くらい。カリカリに焼かれている箇所は手羽先のようで、身が多くある場所はギュッと身が詰まった淡白な焼き魚といった感じだった。癖もなく食べやすい。今まで生きていて一番「両生類ってこういうことか」という実感があった。陸と海の両方の肉の味がする。
せっかくなので他にも色々頼んでみる。
何かの陰茎もメニューにあったが、注文を口に出すのが躊躇われて頼めなかった。惜しいことをした。
反対に同時間に居た男性客達は子宮を頼むのは躊躇われたようだった。性的な単語でも自身の所有する部位の方が恥じらいなく口に出しやすいように思う。
生姜とニンニクを醤油に溶かして食べる。歯ごたえの良い馬刺しのような印象。
西で言ういかなごのことらしい。地域によって読み方が異なるのもあるが、西でいかなごと言えば稚魚をくぎ煮にしたものなのでこれほど大きいものは初めて見た。
おばあちゃんのくぎ煮には胡桃が入っていて季節の楽しみだったが、最近は値段が高騰しており気軽に作れなくなってしまった。おねだりしたら作ってくれるだろうか。
絶滅危惧種のオオサンショウウオしか知らなかったため、食べていいのかと驚いた。可食部が少なく食べた実感は殆どなかったが、「魔女が黒魔術で鍋に入れる黒トカゲの丸焼き」と全く同じビジュアルでうれしい。
いずれも全くと言っていいほどクセがなく、非常に美味しかった。料理人の腕なのか、元々クセがないのかは分からない。
「変わったものを食べたい」と思う時、別に美味しくなくても構わないと思っている。ただどういう味がするのが知りたいだけなので、存外美味しいとラッキーという思いと拍子抜けするような思いが同時に横切る。
いわゆる「可哀想」的な抵抗感があるのではないかと危惧していたが、存外平気だった。サンショウウオはかなりそのままの姿をしていたため、やや「えいや!」という気合が要ったが。
小学校か中学校の社会科の授業で先生がイナゴの佃煮を持ってきて希望者に食べさせてくれたのを思い出した。30人弱のクラスで手を挙げたのは私ともう1人くらいだったと思う。
「安全に試せる機会があるならやらなきゃ損だ」みたいな思考があるが、それなりに昔から同じことをやっていたのかと他人事のように思い返す。
手のひらに乗せてもらうと虫そのままの形をしていて「うっ」となったのを覚えている。テレビで蜂の素揚げがエビのような味だと言っていたのを思い出して目を瞑って食べた。殻ごと揚げたエビの味だった。見えなくなってしまえば何ともない。
魚や豚を食べているのだから、他の生き物を食べることにもなるべく同じ感情でいたいと思っている。雀や鼠くらいまではいけそうだが、犬や猫のような愛玩動物になると無理かもしれない。
人肉も、当人の命が損なわれず法的・倫理的な問題が無い状態であれば口にしてみたいかもしれない。倫理的な問題がクリアされることは無いだろうと思うが。
こういうのはは大抵おおげさにワクワクして行くが、食べてみると「へ〜、こんな感じなんだ。おもしれ〜」という気持ちと「了解」という気持ちの両方くらいに大体着地する。それでガッカリかと言われるとそうでもない。
想像の世界でふわふわしていたものが自分の世界に現実のものとして着地し参入してくる感じがする。可能性の広がりが失われる代わりに世界が細分化される。
※「了解」の出典
件のフォロワーさんはお酒に強く、私が何とか1杯空ける横で次々と杯を空けてくれたため、私も気兼なくお店に居ることができた。
お酒も変わったものが多く、金木犀・ニンニク・ハブなどを頼んだように思う。ニンニクはニンニクチューブをそのまま食べたような味で面食らったが、ニンニク好きのフォロワーさんは非常に気に入ったようだった。
私にはまだ酒呑みが言う「酒に合う」は分からない。でも白米に合うとかお茶に合うとかは分かるので、単純に経験値の問題かもしれない。
「ゴールデンカムイ」を読了したので、今度はアイヌ料理を食べに行きたいです。
(2022/04/02)