性別とはなんなのか?
日本にいた頃「なんで私は女に生まれたんだろう」と思うことが多かった。
幼稚園からそう思っていた。ちなみに男性になりたいわけでは無い。
好きなものや趣味が男性的(この表現もどうかと思う)なので、どうしても男性が多いコミュニティにいる事になった。
私の部屋に入った友人の感想は、だいたい「男の部屋と女の部屋が混ざっている」と言っていた。
よく言えばユニセックスなのだろうけど、一部屋は男の部屋、一部屋は女の部屋(コスメなど置いてあるためそう見えるのかも)と分断されているように感じるらしい。
少女漫画も1作品しか真面目に読んだ事がない。ちなみにその1作品は「天は赤い河のほとり」である。
物語に惹かれて初めて読み切った少女漫画だ。また読みたいが巻数が多く購入を渋っている。
自認している性が曖昧だと思ったことはないが、普段の生活で、性の自意識をどう考えているか?ということを時々考える。
実際は「女性として振る舞う方が【都合が良い】」という気持ちのが強い。
それ以上も以下もない。
もちろんお洒落は好きなのだが、日本の雑誌でよく見る「男の子ウケ!」という感じではない。どちらかというとZARAのようなシンプルで特徴のある服が好きだ。
詳しくはZARAのサイトを見てほしい。
今までの生活では、男性が多い場所にいた事もあり、振る舞いにはそこそこ気を使っていた。また、「そういう場合は女性だと都合が良い時がある。」というのも認識している。日本社会にありがちな、女性として振舞う事が強要される場面も多かった。それ自体は別段嫌なわけではない。
しかしこれらの事を考えた後に、「ちょっと可愛げのある振る舞いをしている。」と自覚する自分が狡猾だと思っていて嫌いだった。
先日、ある漫画の試し読みをした。たまたま流れて来たのを見つけた。
「青のフラッグ」と言う漫画で、話の内容は、思春期男女の友情の話だ。
女子高生が
なぜ女というだけで、男子が避けるのか。ただ友達になりたいだけなのに!
と怒る場面がある。
この漫画の怒っている女性の気持ちが痛いほどわかる。
私の中では、女性という性は、ただのタグであり、追加情報なのだ。
女性というタグ
私は、仕事中に女性としての性の話をされるのがあまり好きではない。こちらは真面目に仕事の話をしているのに、何故いまその話をするのだろうか。と思うことがある。
これは、ベルリンに来てからも度々起こる事だった。もしかしたら全世界どこに行っても、この光景は同じなのかもしれない。
なので、特別な状況ではない限り、仕事の依頼がきた時は最初に性をわからないようにしたいと思う時がある。
特に必要無いのでどちらでも良いということもあるが、女性を武器として仕事をしているわけではないので意図的に隠してみている。(正直linkedinも性別を消したい)
生活の中で度々「女性というタグが、そんなに重要なのだろうか。」という考えと、「今ここで女性と言うタグを使って得をしておいたほうが良い。」と言う考えが頭の中を行ったり来たりする。
それが良いとも悪いとも思っていないが、頭の中に黒い靄がどんどん溜まっていくような気がした。
体のちがい
「性はタグ」という表現をしたが、残念ながら生物学的にも構造が男性と全く違うことは、受け入れなければならない。
やはり、生理の時はイライラしてしまうし、食欲も落ちるし、匂いも味もしないし、とにかく眠い。
努力しても調整が全く効果がない場合も多くある。薬を飲もうが爆睡しようが「どうにもならない」ということに、世の中の女性が一度は向き合うことになるように決まっているのだろう。
また、スケジュール管理も問題だ。1週間はだるい状態、その1週間前は情緒不安定(これは時と場合による)になる場合、1ヶ月の中で実質平常運用できるのが2週間と少しという計算になる。これは少なめに見積もっているが、このスケジュールを考えて仕事を調整しなければならないこともたまにある。
本当に、面倒な体である。(長くなるのでここでは子供が云々についてのことには触れないでおく)
結局のところ
気にしすぎと言われればそれまでだが、こういった考えを持つ人間はいることがいるのは事実だ。自分で言うのもどうかと思うが、センシティブな考え方だと思う。日本に住んでいると少々辛いのも事実だ。
しかし、ベルリンに来てから、男女の境目が少しだけ曖昧になった。
もちろん、女性はセクシーな人がたくさんいるし、男性は、理想的な「男らしさ」を追い求め、ジムに通って体を鍛えている人が多い。また、男性はヒゲが生えている人が圧倒的に日本より多く、「男らしさ」を前面に押し出すファッションをしている。
しかし一方で、男性が女性モノを着ていたり、中性的な服装の人も多く、パッと見たときにどちらかわからないときもある。(男の娘ではなく、完全なユニセックス。)また、クラブのトイレも男女混合だし、サウナも男女混合だ。(しかもサウナは全裸だ。)
そんな圧倒的なダイバーシティの中で、女性であることはどの程度の価値があるのだろうか。
ベルリンで生活をする中で「女性はタグ」という言葉が頭の中で具現化された時、すっと肩の荷がおりた。
今後も、自分自身に対して注意深く、どう言ったことを思うのか、観察して行こうと思う。
終
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