【MeWSS論文コラム】 総説論文について
前回はシステマティックレビューを取り上げ、これが多くの場合原著論文として扱われると述べました。原著論文が未発表のオリジナルな研究結果だけを発表するものであるのに対し、総説論文は公表された研究結果のみを扱うものであり、その位置付けは全く異なります。
過去一般的に「総説」と言われてきたものは、ナラティブレビュー(narrative review article)と言われるカテゴリーに分類され、主に研究者個人の意見を述べるために書かれるもので、そのベースとなる文献を引用しつつ論説を展開します。
過去に発表されたエビデンスをもとに自説を述べるのは、システマティックレビューと同じですが、後者がバイアスを排除する方法に基づいて実施されるのと異なり、ナラティブレビューはその保証がないため、ベースとした文献集に偏りがあるかもしれないという懸念があります。そのためナラティブレビューは、原著論文の引用には使用しない方がいいというのが、一般的な考えです。
例外はあって、例えばAnnual ReviewやNature Reviewsのシリーズなどは、日々ものすごいスピードで進化するエビデンスを、洗練されたイラストと共に正確かつ詳細に解説するという、准教科書的な位置づけが世界的に認められています。エディターもその分野の専門家を慎重に選び原稿を依頼し、執筆者もその覚悟で書きますし、徹底した編集校正も入ります。こういう総説はナラティブレビューとはいえ、分子メカニズムや研究の歴史など、そもそもの基礎概念を説明する必要がある場合は、引用がむしろ必須なものとなるでしょう。
一般的なナラティブレビューも、著者が時間をかけて文献をまとめてくれているものですのでIntroductionなどの参考にはなり、引用すべき原著論文を探す手助けとなります。ただし実際に自分の論文に引用する際には、その総説論文で引用されているオリジナル論文を自身で確認し、それを引用するようにしましょう。総説論文に取り上げられた論文だけでなく、自分でも必ず文献検索して引用漏れがないか確かめることを忘れないでください。
ナラティブレビュー論文をあえて引用した方がいい場合もあります。例えば投稿しようとしている雑誌で、その分野についてナラティブレビューが公開されていた場合は、引用しておくとエディターに対するちょっとしたご挨拶になりますし、査読時にそういう論文を引用するようにと指示があったりします。
ナラティブレビューを執筆する意味はどこにあるでしょうか?
一般のナラティブレビューも、その多くは雑誌がテーマを選んで著者に依頼します。その分野の専門家として認められたということでもあり、成果にもなりますので、依頼があればお断りする理由はあまりないかと思います。
著者が自ら執筆して原著論文のように総説を投稿することも可能ですが、投稿総説を受け入れている雑誌の数はそれほど多くはありません。また査読の時間もかかり、相応のリスクと覚悟が必要です。システマティックレビューも同様ですが、毎日新しい論文が数多く出版されている現代においては、スピードが何よりも重要です。言いたいテーマが固まっていて、すでにほとんどの文献プロファイリングができている場合など、あまり時間がかからなくても書けそうなときには、選択肢の一つとなるかもしれません。しかし、結局はシステマティックに文献検索した方が書く方も安心ですし、手間もそれほど大きく違うとは思えません。どうせならシステマティックレビューにしてしまった方がいいんじゃないかな、と個人的には思います。