【唄語り】『菅原道真さんのブルースその1』
戦いに勝ったものは 歴史を作ることができる。そして敗れたものは 物語を残す。
菅原道真さんという方、ご存知ですよね。
日本中にある 天満宮、天神社に祀られている、あの「学問の神様」といえば、
ああ、と うなずく方も多いはず。
皆さん良くご存じの大宰府天満宮や北野天満宮、東京だったら湯島天神。
道真さんを祀っている神社はたくさんあります。
皆さん、受験の時には 天満宮のお札や御守りに、お世話になったのではないでしょうか?
菅原道真さんは平安時代を生きた
政治家であり、歌人、詩人です。
そして亡くなったあとには学問の神様として祀られるような偉大な人物。
しかし、彼は最初から
「学問の神様」
だったわけではありません。
なんと最初は
『怨霊』『祟り神』
として怖れられていたのです。
道真さんは貴族の生まれ、とは言え 比較的位の低い家柄に生まれ、でも持って生まれた頭脳・才能と不断の努力でついには右大臣にまで上り詰めます。
出世という意味では当時の最高レベルです。
しかし。
いいことばかりは続きません。
いつの世でも同じですが、
必ず人の成功や栄達をねたむものがいます。
ライバルだった左大臣 藤原時平。
彼にまんまとしてやられました。
讒言、誹謗中傷。
恐らくあることないこと、
いや、ないことないことまで言い触らされたのでしょう。
ついに彼は大臣を罷免され、太宰府に転任することになります。京都から福岡へ、です。
転任と言えば、聞こえはいいですが、実際は左遷。
いや、もっと言ってしまえば、限りなく島流しに近い扱いだったのでしょう。
その証拠に、彼は
「太宰院外師」
という役職に就いたことになっていますが、なんと給料なし。
ブラック企業も真っ青です。
そして役職も名ばかりで、太宰府の役所にもロクに入れてもらえず、住みかとしてあてがわれた家は廃屋同様。
完全ブラック。。
その大宰府へ行くときに、
彼が詠んだのが、この有名な和歌です。
『東風吹かば にほひおこせよ
梅の花 あるじなしとて 春を忘るな』
失意のうちに過ごす彼。
嘆き悲しんで毎日を送ったのでしょう。
大宰府に流されて、わずか二年で亡くなってしまいます。
そのあとが凄い。
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祟りじゃ。
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