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穏やかな我が聖域
ひでみん、けいちゃん。こんにちは。
いちにちのなかでの寒暖差、春を感じますね。
最近の国府津。空と山、空と海。
天と地が結ばれる光景が日常にあって、とてもしあわせです。
それがあれば、自由にしていられる。
ああ、あとはヒプノをいま学ぶかどうか、気にしています。
必要なのかな?と考えるあたり、興味関心だけで走り出すのではなく、どんな恩恵があるのかを意識しているのだろうなあと気付きます。
くわえて、いくつかのセレモニーへのinvitationがあり、それも気にしています。
植物の精霊と、カエルの精霊に呼ばれて。
なんでこんなことしてるんだと思いながら、きっと、なんだか、魂が楽しくなってしまうんだろうなと思います。
誰かとの愛の物語
さて、今回ご質問をいただいております。
テーマを眺めながらしばらく思ってみたけれど、わからないから、わからないままに自由に書くね。
これまでは、三次元での愛をたくさん学ばせてもらった。
十分体験して、それはもういいよという気持ち。
なので、終わりにしました。
わたしがしたいのは、五次元世界での愛。
それはどんなものか、ぼんやりしている。
人間としてそんな愛を体験するのが、すごくすごく楽しみだから。
事前予習はいらない。
その愛をだれかと始めるとき。
目と目が合ったときに、魂が一瞬で繋がる。
ちゃんと、確信が起こる。
言葉はさほどいらない。
お互いの穏やかなエネルギーと、恥や恐れなんて微塵も感じないクリアさ。
言葉がなくとも、分かり合える。
そこにあるのは、ただ本質の愛。
三次元の感覚だと、そういうのはきっと、物足りないのかもしれない。
「ぼく/わたしのこと、本当に好き?」と疑ってしまうのかもしれません。
かつて、私が言われ続けて、何かを諦めていったときのように。
この世界で安心していたいし、分離ではなくユニティな感覚のまま溶け込んでいたい。
そんな愛があるよってことを、わたしのなかの神性が教えてくれる。
見返りを求めたり、この人に嫌われたらどうしようとか、期待通りにしなきゃ、よく見せなきゃとか。
そういうのはぜんぶ、おわり。
穏やかさ、安心感のなかで、至福を感じ続ける。
それがわたしの願うあり方です。
ひでみんを通してわたしにも届いた言葉。
「お願いだからあなたのままでいて。そのままのあなたを愛しているから。」
わたしはやっぱり、なによりも私にそれを囁き続けたい。
そうしたら、そのままのあなたを愛しているから、と言ってくれるひととしか、出会わないようになっていくから。
そして、わたしは彼らを、そのままのあなたをわたしも愛しているよ、と言えるから。
ふたりの日々が、美しくしあわせなものでありつづけますように。
愛を込めて。