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妖精さんは覚醒して無双したい
ひでみん、けいちゃん、こんにちは。
最近は、いかがおすごしですか。
天と地と仲良くしていますか。
それとも、天または地とより仲良くしている時期ですか。
わたしはいま、実家のある茨城県にいます。
茨城に戻るまえ、ヒプノセラピーの体験を通じて、父と母がそれぞれ閉ざしているものを五感でみてきたのだけれども。
いざ本人たちを前にして、なんとも、彼らは分離の夫婦だなあと観察しています。
地球とは、人間とは、あらゆる場面で分離を体現しているなと思います。
それでもなお、ワンネスやユニティの意識であること。
それはときに難しく、ときにシンプルなのかもしれません。
最近ハマっているのは、予祝ワークかな。この2日間だけれど。
ふたりも、予祝の考え方やどういうものなのかはご存知だと思うし、わたし自身も知ってはいたんだけれども。
腑に落ちるとか、五感に落ちてくるのは、なんとなくいまだったな、という気がしています。
予祝もそうだし、量子力学的に現実化するものは、臨場感たっぷりにイメージで具現化してあげて、そこに感情をセットでアップロードしてあげるというもの。
これまで、どうにもアップロードのためのイメージが???という感じだったし、感情も???という感じでした。
記憶のクラウドにあるのは、地球上で目撃してきた誰かのエピソード、体験だから、借り物だったのね。
それに気づき、お得意の自動書記で綴ってみた。
わたしにとってイメージを具体化しやすいのは、叶ったときのわたしの周りには誰がいて、どんな表情をしていて、わたしに何を話しかけているのか、だった。
それはそうか、わたしはわたし自身がいまどんな表情をしているのか、本物を常に観察することは難しいものね。
わたしの視点で、何を目撃して、誰がいるのかを捉えることで、クリエイションされていくのだな、と思いました。
そのおかげもあってか、怖さからかき消したくなるような大切な願いも、予祝が完了して、そして予祝したことはまもなく忘れることができるのでしょう。
さいきん、この神々のあいだでは、魂の伴侶なる概念が話題だと思っているんだけれども。
魂の伴侶というものは、そもそもがオリジナリティであり、奇跡的であり(当人たちにとってはごく自然にあるべきところに収まる自然現象なんだけれども)、唯一無二の関係性であって。
だとすると、世の情報や、誰かの体験談は、さして役に立たないのだよね。
なぜなら、唯一無二でありオリジナリティだから。
そうなると、あらためて、アンサーはじぶんの内なる宇宙にある。宇宙しか知らない。
それを受け取るまで、何度でも、人を介して、世界のサインを介して、メッセージを届けてくるのね。
分からないだとか、真新しいメッセージがやってこないだとか、そう感じるときには。
すでに何度も渡されている本質のメッセージを脇においやったり、受け取れていないということなんだな、と感じました。
としたときに、わたしが最近、脇においやってたなと感じる本質の本音の願いはなんだったのか。
そんなことたちに気付きました。
どうありたいのか、何をしていたいのか、どう過ごしていたいのか、誰といたいのか、どう一緒にいたいのか。
それはまた、現れゆく現実でふたりにはシェアしようかなと思います。
叶うさまを目撃してくれて、どうもありがとう。
今日も今日とて、自動書記でお届けしました。