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過程を大切にする心の豊かさ

 私は個別塾の講師であるため、その子に合わせた内容を考えていけばいい。しかし勉強をする目的が実に多様になっている今の世の中で、沢山の生徒に勉強を教えている学校の先生方はどうやって勉強の意義や目的を説いているのだろうか。私には決してできない芸当であるため、学校の先生方には本当に頭が上がらない。
 特に発達的には小学校高学年ごろから抽象的な思考が可能になり、自らの生きる意味や自分らしさなどを考えるようになっていき、それと同時に自立心が芽生えてくるだろう。このような年代からは無批判に大人にとって都合の良い考え方を受け入れてはくれないのではないだろうか。そうなるとやはり生徒一人一人の人間性に基づいた接し方が必要になってくる。

 昔の軍隊的教育であれば、人間性を無視して日本国民としてそれに相応しい振る舞いや知識を教えていけばよかったかもしれないが、現代はその単純な団結意識が悪影響となる。なぜならそれは画一的な教育であり、その画一性は基本的には「代替可能」だということである。そしてその代替物は人間ではなくほとんどの場合「機械」になる。未来の日本が代替可能な多くの国民を救ってくれる未来が見えていないため、どうにかして埋没しない人間になるべきなのだろう。
 とは思うものの、個人的には資本主義社会において代替不可能な存在になることを強制したくはない。もちろん軍隊的教育も推奨したくはない。
 そもそも教育はこの二項対立ではないはずだ。
 もう少し前提を落として考えて、もっと純粋に人間が生きていくことはできないものだろうか。代替可能か不可能かという軸ではなく、純粋に自分という人間が生きた結果としてそれが代替可能になることもあるだろうし、代替不可能になることもある、といったものにはならないだろうか。

 私は今の世の中であまりにも結果が重視され過ぎているのではないかと思うのである。塾らしい例えとしては、受験に合格するということはかなり結果が重視され過ぎている。代替可能か否かの話をすると、この「代替可能な人間にならないように」といったことが結果重視である。
 確かに社会を動かすためにはそのような制度が重要なのかもしれないが、個人の生きる意味を考えた時、重要なのは結果ではなく過程にあるのではないだろうか。人と話している時や、何かを体験している時がそうであるように思う。

 話は最初に戻るのだが、私は生徒さん一人一人の人間性を大切にすべきだと考えている。一人一人を見つめていると、思いがけない面白さや輝かしさに出会う。この面白さは千差万別で、二つとして同じものは無い。あえて類型化することもできるにはできるが、そんなことをする意味を感じないほどにその中で皆が違っているのだ。
 生徒さんのこの一縷の「私」という唯一性を見る瞬間は何よりも感動的なものである。これに共感してくれる塾の先生や学校の先生、親御さんは多いと思う。
 そして社会の一員としては、その細く小さな生命をなんとしてでも守っていけないものかと思ってしまう。しかしこれはエゴであるため、あまり押し付けないように気をつけてはいるため、深く干渉してはいないのだが、社会全体で守って欲しいとは願っている。

 このように、私は物事の結果なんかよりも、一人の人生が歩む過程を大切にしていけないものかと思うのである。
 時間は有限で無駄にしてはいけないが、時間を無駄にしないように最短の結果を目指している時間は私に言わせれば無駄な時間である。
 結果なんて社会で生きていれば嫌でも求められてしまう場面が出てきてしまうのだから、それよりも前から結果ばかりの生き方では心の豊かさを忘れてしまいかねない。
 塾らしく勉強について考えると、たった一つの理解を大切にしてほしい。

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