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ちゃんと考えてペン回してる奴らばっかりでしんどい話

ちゃんと考えてペン回してる奴らばっかりでしんどくない?

なんかペン回し観語る動画とかさ、スペースでみんなで語り合ったりとかさ、ブログやnoteとかで解説しちゃったりしてさ。

そう言うのってさ、俺みたいに好きなようにペン回してるだけのいわゆるエンジョイ勢? の人たちにとってはけっこうプレッシャーって言うか、ストレスになるんだよね。

ちゃんと考えてないみたいなふうに思われても困るっていうかさ。
みんなもさ、かつて目撃したペン回しに衝撃を受けたから物語がはじまったんでしょ?
それって深い思考なんてしてる暇なかったと思うんだよね。それが長いこと続けて実力がついてくると指先だけじゃなくて頭も使わなきゃいけなくなるの?

しんどいよそんなの〜。
別に思考することを否定するつもりはないよ。でも思考している人たちによるアウトプットの機会が多くて、考えていないことが罪深いことのように感じさせるような空気を感じているんだよね。
ひっそりとやってればいいじゃん。脳死エンジョイ勢の俺たちには刺激的すぎるよ。





いや、ペン回しをもっと好きになりたいなら考えなきゃいけないに決まってるだろ。

趣味の世界は自由でいい。
肯定も否定もいらない。まあ肯定はいくらでもあっていいが否定は何一ついらない。
好きに決まりはない。楽しみ方にルールはない。

だけどね、「好きの深度」は人それぞれ違うんだよ。
好きであればあるほど、底なしの好奇心が無尽蔵に探究を駆り立てるものなんだよ。
この行動は生半可な意志の上には成り立たない。
登頂困難な高峰にはすでにルートがあるように、先人の積み重ねた歴史の上に二陣、三陣が安心して新時代を築いていける道筋があるのさ。

つまり、文明の発展は突然はじまらないからこそ、アウトプットが重要だということ。
ペン回しを思考する人たちにとってアウトプットは、新たな思考の種を植えて、水をあげる行為そのもの。

そりゃ動画にも記事にも残すでしょ。
考えてない奴が、考えてる奴に水を差すんじゃないよ(水を得てる側のくせに)。



急にどうした?

急にって言うか、シンプルにここ最近はあんまり考えずにペンを回してて、思考するコンテンツが増えるたびにグサッときてたんだよね。

ペン回しほど最高な趣味はないし、誰よりもペン回しが好きだし、これからも一生愛し続けるだろうってずっと思ってたのに、確かに少しずつ離れていく自分を感じてしまったんだよね。
そんな時に思考するコンテンツばかり目に入って疲れたと言うか、「うわーこの人たちより俺はペン回しを好きになれていないのか」って言うある種の劣等感みたいなのに苛まれちゃったんだよね。

言い訳とか一切なくて、この記事は自戒でしかない。
思考するコンテンツをたくさん見て勉強したい。
ペン回しをする新しい自分に出会いたい。

そして、同じような気持ちになった人がいるんじゃないかと思って書いているフシもある。
是非、最近のペン回し界の発展速度についていけてない人や、ペン回しを思考することを避けてきた人は、自分のためにも界隈のためにもインプットを楽しめるようになって欲しい。

俺もがんばる。みんながんばろ👊

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