僕は階段になりたい
入院中に夢を見た。
その夢はとても鮮明に覚えていて、主人公は自分ではない“僕”という人間だった。
ここまで強く感情の残る夢など珍しいことだ。
夢は普段の記憶の整理をするために見るという。
僕は夢の中の彼女に会ったことがあるんだろうか?
それとも、彼女は僕の作り出した幻想の中の存在だったのだろうか。
僕は階段になりたい
君の紅く染まった顔を見て僕はそう思った。
彼女は特に変わった人ではなく、僕もどこにでもいる平均的な普通の学生だった。
少し他人とは距離を置いてる様子であったが、人を拒絶するでもなくうまくやって行けている方だと思っている。
新学期を迎えた日、彼女は僕の隣の席となった。
物理的な距離が近づきしばしば彼女と話す機会が出てきた。
はじめはなんてことない、好きな芸能人の話や友人との共通の話題……少しずつ心理的に彼女と近づいた気がした。
ある日彼女僕にこう尋ねた。
「君はなりたいものがある?」
僕は、答えられなかった。
将来の夢、小学生の頃は漠然としたものがあった。小学校を卒業し、中学に上がり、次第に現実がわかってくる。
きっと僕はどこにでもいるサラリーマンになって人生の残り時間をただただ消費していく人間になってしまうだろうと思うようになった。
「私はね、ナイフを持てる人になりたいな」
口をつぐんだ僕を見て、彼女は自らそう続けた。
母親は他人から褒められるような人ではないと、直接彼女に金をせびり時には黙って彼女の財布から金を盗り毎日のように遊んでいる人だと教えてくれた。
「あの人を刺すことが出来たら私は何にだってなれる気がするんだ」
微笑み遠くを見つめる彼女の目には強い意思が宿っている気がした。
彼女が亡くなった。
夏の暑さが薄れてきた頃、担任がそう告げた。
駅の階段から滑り落ちて頭を打ち、そのまま目覚めることなく彼女はいってしまったと言っていた、気がする。
クラスメイトのざわめきも、続ける担任の言葉も遠くに感じた。
彼女はなりたいものになれることもなく僕の届かないところへいってしまったのだ。
帰宅途中、彼女の亡くなった場所へ足を運ばせた。
周りの人は日常を送っている。彼女の落ちたその場所に、赤いしみが付いているように見えた。
そのしみは夏の暑さをまといじっとりと深く深くアスファルトにこびり付いて、誰が歩いても何がそれを流しても落ちないようなしみだった。道行く人が彼女を忘れてもその階段だけは忘れない気がした。
あのあと世間では少し事故のことが話題になったようだ。彼女の母を非難する声もあったが彼女がその日母親の財布から金を抜き取っていたという話も出て次第に彼らは彼女の事など興味も無くしてしまった。
ここで彼女が亡くなった事を覚えているのは僕だけだ。
この階段で彼女が亡くなった事を忘れないのもきっと僕だけだ。
ーー君はなりたいものがある?
僕は
僕は彼女の命を奪った階段になりたい。
彼女を傷つけて、跡をつけて、奪って、そして一生忘れられない存在になりたい。