アルジェリア等植民地支配がもたらしたもの~大嶋えり子「ピエ・ノワール列伝:人物で知るフランス領北アフリカ引揚者たちの歴史 」(合同会社パブリブ)
著者は現在慶応義塾大学経済学部准教授だが、本著執筆当時は早稲田大学政治経済学術院助教。今年初めに読んだ彼女の「旧植民地を記憶する:フランス政府による〈アルジェリアの記憶〉の承認をめぐる政治 」が非常にいい著作だったので、これも読んでみた。と言っても、この著作のフランス語タイトルに"Dictionnaire des Pieds-Noirs"とあるように、所謂ピエ・ノワールの著名人たちを111人も網羅した一種の人物事典のようなものなので、興味がある人物伝・コラムなど色々拾い読みしてみた。
ピエ・ノワール(Pieds-Noirs=黒い足)とは基本的にはかつてフランスの植民地だったアルジェリア出身のフランス人を指すが、ここではモロッコ&チュニジアも含めた北アフリカの旧フランス植民地(マグレブ諸国)出身者もそう称している。ちなみに赤ワインの原料となるブドウの品種はピノ・ノワール。全然関係ないが・・・
この著作は各人物伝の間に挿入されたコラム群が非常に充実していて、彼らピエ・ノワールたちがフランス本国にもたらした影響、植民者としてのアルジェリア独立戦争への様々な姿勢・対応、現在の政治的立ち位置などとてもいい参考になる。総じてアルジェリアの独立・民族自立を支持したピエ・ノワールは少数派で、現在も極右のRN「国民連合」支持者が少なくないのは、それだけ「植民地時代への郷愁・懐古」メンタリティが頑迷に残っている証左だろう。こういうところは現在の日本人(特に右派高齢者)の朝鮮・台湾の植民地支配時代へのある種の「郷愁」感覚とも通底する。
しかし彼らピエ・ノワールがフランスに独自の文化をもたらしたのも事実。太古からケルト系ゴール人(カエサル「ガリア戦記」に出てくる人たち)が暮らしていた地にローマ人が侵入し、さらにゲルマン民族大移動期にそのひとつの部族であるフランク族が王朝を建てたのがフランスという国家の大元だが、元来が多人種多文化国家のうえにさらに北アフリカ独特の文化風習が付加されたわけである。それは現在のフランスの文化の深さ・幅の広さ・多様性に確実に寄与している。
各人物伝で特に印象的だったのは、構造主義マルクス主義者の哲学者:ルイ・アルチュセール、ミッテラン大統領のブレーンを長年務めたジャック・アタリ、アルジェリアで生まれ育ったことがその作風にも強い影響を与えているノーベル文学賞作家:アルベール・カミュ、エディット・ピアフの恋人だったボクシングチャンピオン:マルセル・セルダン、アルジェリア独立戦争に対して引き裂かれる思いを抱いたユダヤ系のポスト構造主義哲学者:ジャック・デリダ、ユダヤ系のフレンチポップス大スター:エンリコ・マシアス、クリスティアン・ディオールに認められた天才デザイナー:イヴ・サン=ローラン、そして両親はスペイン・アンダルシアからフランコ独裁政権を逃れてモロッコに移住~そのカサブランカで生まれ育ち、パリの演劇学校を出た後にリュック・ベッソン監督との出会いから大スターへと昇り詰めていくジャン・レノ・・・何とも「濃い人物列伝」であった。
また私は、アルジェリアの1962年独立後もその地に留まったフランス人たちを"Pieds-Verts"(緑の足)と呼ぶことがあるのを初めて知ったが、この「緑」はアルジェリアの国旗の色からきているらしい。彼らの中にはアルジェリア民族解放戦線(FLN)を支持する独立派・リベラル派もいたが、彼らによると「アルジェリア人の報復を恐れて」急いでフランス本国に帰国した人たちが喧伝したような「報復・暴力行為」などは実際は少なかったようだ。
しかし、こういう中身の濃い著作をつらつらと読んでいると、かつての植民地支配の歴史・記憶を、支配者側・被支配者側が大枠でも共有し相互理解を深めるにはまだまだ時間がかかるのを改めて感じる。そして「国家・民族としての大きな歴史」と共に「小さな個人が経験した歴史・記憶」を丁寧に紐解いていく作業はこれからもまだまだ重要なのだということも改めて強調しておきたい。
<付記>ちなみにフランスはアルジェリアのサハラ砂漠で1960年代に繰り返し「核実験」を実施している(それは62年の独立後も続いた)。そしてそれら核実験による現地住民への健康被害について証言・告発する声もあるが詳細な事実については公開されていない公文書も多く、2010年立法によってある程度の補償は可能になったようだが、実際にはアルジェリア人への補償が実現した例はまだないようである(2016年2月時点)。