BONDプロジェクトのブログを読んでその軌跡をたどってみた 中(2011年2月~2011年9月)
1.はじめに
前回の記事では、BONDプロジェクトの2010年4月30日から2011年2月23日までのブログ記事を追い、その活動内容や交流団体を明らかにしました。今回はその続きになります。なお、前後編の2回では終わらなかったので、上中下の3回構成に変更しました。今回は「中」です。
2.2011年2月27日~3月10日(育て上げネット、赤旗)
2011年2月27日。前回登場した「育て上げネット」のイベントで橘ジュンさんが講演しています。震災後も講演の予定があったみたいですが、中止となっています。
2011年3月10日。しんぶん赤旗に橘ジュンさんの活動が取り上げられたことを報告しています。
また、活動を進めていく中で、行政への要望も記載されています。
「自立支援に向けた行政の多様な施策を望む」とあります。「自立」の定義も含め、携わる人や団体によって好きに解釈できてしまう魔の言葉ですね「自立支援」。
3.2011年3月(日本財団、BBS連盟)
ここからは震災後のブログになります。
まず「悩みを抱えた少女の声を聞く」をテーマに、すでに紹介した山本雄一朗弁護士が登場します。なんか、「居場所を求める少女たちの声」というフレーズは仁藤夢乃さんのと被りますね。クレームとか来ないのかな。
その後、BONDプロジェクトによる、被災地に防犯ブザーを送ろうというキャンペーンが始まります。ブザー寄付の送り先は、これまた前回紹介した「幼きイエス会」になっています。昵懇ですね。
そしてこの「ブザー届けよう」プロジェクトは、日本財団の援助を受け、岩手県BBS連盟と共同で実施したとのことです。
日本財団「東日本大震災への支援(ROADプロジェクト)」の「震災1年間の活動記録」にBONDプロジェクトの名前がありました。日本財団から100万円の助成を受けたようです。
BONDプロジェクトが連携したBBS連盟は、同団体のホームページによると、アメリカのキリスト教団体に端を発する団体で、少年少女の更生保護を主な活動としているようです。
さて、BONDプロジェクトが連携した岩手県BBS連盟は、ちょっと重要です。岩手県BBS連盟の会長は、佐々木一憲さんという人なのですが、BONDプロジェクトの社員名簿に(東京都提出。2018年度)同姓同名の人が掲載されていました。
BONDプロジェクトのブログにちょくちょく登場する「いちけんさん」というのは、もしかしてこの人かもしれませんね。「一憲(いちけん)」。
インターネットに公開されているBONDプロジェクトの財産目録(第11期)をみると、BONDプロジェクトはこの同姓同名の佐々木さんから300万円を借り入れていました。
NPO団体が、そのNPOの社員からお金を借り入れることの是非はともかくとして、この公開情報に記載の「佐々木さん」と岩手県BBS連盟の「佐々木さん」が同じ人であれば、2011年の被災地での防犯ブザー活動が接点の始まりだったのでしょうね。
ちなみにこの活動は、2011年6月6日付けの産経新聞でも取り上げられたみたいです。
4.2011年5月(社会的包摂支援サポートセンター、内閣府参与)
2011年5月28日。
「日本女子修道会総長管区長会」にて、橘ジュンさんが登壇しています。
テーマは「日本社会の現実と修道会のこれから」「人間の闇を見つめる神のまなざし」。対談した「白石さん」については、よくわかりませんでした。
このときのミサ説教の内容は見つかりました。
2011年6月18日。大事な日です。
3.11の復興活動で被災地入りしたBONDプロジェクトと橘ジュンさん。ここで、後の「社会的包摂支援サポートセンター」に繋がる準備会議的な場に参加しています。
「社会的包摂支援サポートセンター」といえば、WBPC問題の根っこにある「DV防止法改正」や「困難女性支援法」「若年被害女性等支援事業」の内容を実質決めていた各検討会や有識者会議」に多数の関係者が参加している団体です。
「社会的包摂支援サポートセンター」の設立目的・事業は以下の通り。
理事と幹事は以下の通り。左巻きで真っ赤っか。(゚Д゚)。WBPC問題を追っかけている人であれば、「ああここか…」と項垂れてしまう団体です。
その「社会的包摂支援サポートセンター」の準備段階で、橘ジュンさんが、「ライフリンク」の清水康之さん、「自立生活サポートセンター・もやい」」の湯浅誠さん接点を持っていたとは驚きました。
またブログの中で、「これから忙しくなりそうですよー。女の子のためにも
bondgirlたちのためにも頑張っていこー。」と書いてあることから、このあとのBONDプロジェクトが官公庁の業務に大きく関わっていく一つの転換点になったのではないかと思います。
2011年5月の記事。高千穂大学で橘ジュンさんが講師として招かれ、講義を行ったようです。講師役のメンツに、清水康之さん(ライフリンク)、湯浅誠さん(もやい)、稲葉剛さん(もやい)の人がいます。しかも清水、湯浅両名は内閣府参与ですか… 時は菅直人内閣、WBPC問題の根っこはすでにこの頃から仕込まれていたのですね。まさに「悪夢の民主党政権」です。
5.2011年7月(「理事の方」)
震災後、渋谷の夜回りや少女との相談の記事は減り、NPOや諸団体との交流記事が目立ち始めます。
2011年7月22日。「ライフリンク」のイベントを紹介しています。
2011年7月13日の記事。
橘ジュンさんがBONDプロジェクトのメンバーとランチ。ここで橘ジュンさんが「理事の方」と呼ぶ新人物が登場しています。
名前の紹介がないのですが、なつこさん、ちひろさん、橘ジュンさんが女性、ケンさんは撮影者(男性)ということは、左の写真で一番左に映っている男性(椅子の背もたれに左肘をかけている)が「理事の方」でしょうか。
また、橘ジュンさんが、「理事の方」と呼んでいるので、目上で初対面に近い人物と考えられます。もしかすると、一時期話題となった「BONDプロジェクトの理事」で「東急電鉄」一族の「五島祐さん」かもしれません。確証はありませんが。2011年8月23日のブログには大きめの写真も掲載されていました。
6.2011年8月(上村茂仁)
2011年8月の記事。BONDプロジェクトの事例研修会(闇に響く声)の案内が掲載されています。開催場所は、過去に何度か登場している「四ッ谷幼きイエス会ニコラバレ修道院」で、登壇者は、これも何度か登場している上村茂仁さん。
上村茂仁医師は岡山県からわざわざ上京してくるんですね。マメですね。
7.2011年9月(NHK)
2011年9月6日の記事。
翌7日のテレビ放映についての紹介記事。
NHKに出演したことによって、橘ジュンさんとBONDプロジェクトの知名度はあがったことでしょう。
8.2011年9月(引っ越し、女の子のための新しいプロジェクト)
BONDプロジェクトの事務所が引っ越しが行われ、新しい拠点ができあがります。こちらは2011年9月24日の記事。
「女の子のための新しいプロジェクト」というのは、東京都の自殺対策事業の「リンリンringプロジェクト」のことと思われます。渋谷の夜回りや相談事業など、草の根活動に勤しんでいたBONDプロジェクトが、ついに公的事業に触れるときがきました。
9.まとめ
以上、震災直前から震災後の2011年9月までのBONDプロジェクトのブログを追ってみました。
まず、震災前の段階で、しんぶん赤旗にBONDプロジェクトの活動が掲載されていました。これは、女性問題について、共産党の進みたい方向とBONDプロジェクトの活動内容が合致していたことの現れでしょう。
次に、震災を契機にして、日本財団から助成を受けることができました。また少年少女の更生保護を主たる目的としているBBS連盟とも接点ができました。抱樸などの事業を展開する奥田知志さんも、更生保護の分野に関係しています。橘ジュンさん、奥田さんとの繋がりはこの頃から始まったのかもしれません。
そして、「社会的包摂支援サポートセンター」の創設時から、BONDプロジェクトは繋がりがあることがわかりました。この「社会的包摂支援サポートセンター」は、「DV防止法改正」や「困難女性支援法」「若年被害女性等支援事業」の成立に大きな存在感を示した団体です。震災以降のBONDプロジェクトの活動内容が、東京都や厚生労働省など官公庁からの受託業務が増えているのはこのせいだと思われます。
次回はいよいよ完結編です。