もう会えない
視界がぼやけてまぶたが涙を押し出そうとした瞬間、耳障りなクラクションの音が頭に響いた。涙を引っ込めて目を開けると、車道の真ん中に私が立っていた。眉をひそめて訝しげな顔つきで車から降りてくる運転手と目が合って、慌てて歩道へ駆けた。早朝、放射状に金色を帯びた紺色の空には鳥の群れが高く舞い飛び、遠くで犬の鳴き声が反響している。冷たい空気を胸いっぱいに取り込んだ私は徐々に落ち着きを取り戻して記憶を辿る、またいつもの夢を見ていたのだ。まただ、また夢遊病が出た。
完全に一目惚れだった。ほんのほんの一目で惚れに惚れてしまった。金曜日の夕方、人流に押し流されるように電車を出た私とすれ違いで彼は電車に乗り込んだ。横目で彼の目鼻を見た瞬間私は反射的に横を向いて、彼の顔の全体像を一目みた、惚れてしまった。彼はイヤホンをつけていた、彼の肌みたいに白いやつだった。それから彼は有象無象に溶けて消えて、さっきまで私が乗っていた電車で次の駅へ送られてしまった。大事なものを間違ってゴミに出してしまったみたいな気持ちだった、気づいた時にはもう手遅れだった。それで私は彼のことを見つけ出すと決意した。来週の月曜日、同じ時間の同じ車両に乗って、火曜日、水曜日、木曜日、…金曜日になってもとうとう彼は現れなくて、その次の週は駅のホームで何時間も彼のことを待って、それでも会えなかった。なぜかいつも待ち合わせしている気分で、会えないかもしれないのに、どこか確信に近い期待を抱いていて、毎回裏切られた気分になった。それから、度々同じ夢を見るようになったのだった。私は駅のホームでずっと誰かと待ち合わせしていて、目の前を何度も電車が横切る。電車の中には友達や職場の人達が乗っていて、みんな電車に揺られて進んで送られて、私ひとりだけがホームに取り残されて、周囲が暗くなってきて寂しくて涙が溢れてきて視界がぼやけて、そこでいつも目が覚める。目が覚めると、私は寝ているうちに現実世界で歩き回っていたことに気付くのだ。最初は目が覚めた時に寝ていた場所とは違う所にいた程度だったが、やがて寝ているうちに冷蔵庫に入った夕飯の残りを食べていたり、途中まで化粧をしていたりしていて、ついに勝手に家を出てコンビニで菓子パンなんかを買うようになってしまっていた。
私はまだ夢の中でも彼を探しているのだろうか、それとも私が求めているのは違う何かなのだろうか。夢遊中の私は何を求めてどこに向かっているのだろうか。
でもさあ・・・
そんなに何か探しているならさあ・・・
いっそのこといつもの駅に行ってさあ・・・
電車乗って知らない街に行くとかさあ・・・
山とかさあ・・越えてさあ・・・
気が済むまで探せばいいじゃんさあ・・・
もっとずっと遠くにさあ・・・
行ったらいいのにさあ・・・
夢遊中の私はよお・・・
近所のコンビニばっか行くからよお・・・
菓子パンばっか買うからよお・・・
コンビニのよお・・・
菓子パンについたシールがよお・・・