サブカル失格
またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、ポップカルチャーとサブカルチャーの当てっこでした。躁鬱はサブカルだけど、腰痛はポップ。晴れはポップで雨はサブカル。しかし、雷はポップ。
「君には、タバコというものが、まるで興味ないらしいね」
「そりゃそうさ、お前のように、サブカルオタクでは無いんだから。おれは酒は飲んでも、オーバードーズを神聖視したり、不健康を目指したりなんかはしねえよ」
神聖視しているのではない、目指しているのではない、と心の何処かで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が逆張りしているのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。ストゼロの陰鬱な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。
「しかし、健康主義の逆張りだけが喫煙じゃないんだ。タバコのポップがわかれば、タバコの実体もつかめるような気がするんだけど、……酒、……愛、……花火、……光、……しかし、酒にはドラッグというサブカルがあるし、愛のサブカルは苦悩だろうし、花火には孤独、光には闇というサブカルがあり、善には悪、タバコと祈り、タバコと悔い、タバコと音楽、タバコと、……嗚呼、みんなサブカルだ、タバコのポップは何だ」
「タバコのポップは、バタコさ。バターの如きコクだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をサブカルと考えず、ポップとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に大衆と相容れざるもの。罪と罰をポップとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「