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溶ける

上京する前、高校生の頃まで自分が使っていた実家の部屋を掃除していたら、ずいぶんと埃を被ったバラの形をした赤いアロマキャンドルが出てきた。最初は誰のものかと思ったが、そばに置いてあった手紙を読んで、当時の彼女にもらったものだと思い出した。当時はライターを持っていなかったので火を灯すことができず、どんな香りかも知らないまま押し入れに保管してしまったのだ。上京した後にそれらが親に見つかるのは恥ずかしかったので、東京に持っていく荷物の段ボールの隅に、こっそりとタオルに包んでキャンドルと手紙を入れた。

上京してしばらくして、部屋でひとりうなだれていた僕は、ふと持ってきたキャンドルのことを思い出し、ライターを取り出して火をつけた。仄暗く陰鬱な部屋の中で、唯一周囲を照らすキャンドルの怯えたように震える炎が、キャンドル自身を溶かしていく様子を眺めていた。火をつける前は可愛らしいバラの形をしていたキャンドルが、溶けて台無しになっていく。彼女の最期もこうだったろうか、彼女も自身の力溢れる生命の炎で彼女自身を溶かしてしまったのだろうか。夏の暑い日、アスファルトに陽炎のように溶けていく彼女の姿が何度も連想された。

溶ける、溶ける、溶ける。




どれだけ美しいものでも、風景に溶け込んで僕たちには見えなくなってしまうことは多い。それが意図的であろうとそうでなかろうと。蝶が綺麗な模様を背中に背負っているのは花に紛れるためだと教えてくれた。本当なのかは分からないけど、美しい理由だと思うから信じることにしている。大学の帰り道、用水路の脇で真っ赤なヒガンバナが一足早く開花していて、アゲハ蝶が集まっていた。ねえ、蝶が花に紛れるために綺麗になっているのなら、どうしてあのアゲハ蝶は赤くないの?




真っ赤なロングワンピースを着て麦わら帽子を深く被った彼女は、自転車を漕ぎながら楽しそうにおしゃべりしていた。あの時僕は、君のワンピースの裾が自転車の車輪に巻き込まれないか不安で、話の内容なんてひとつも頭に入ってこなかった。裾に気をつけてって何度言っても彼女はいうことを聞いてくれなくて、お互いにお互いの話を何ひとつ聞いていなかった。僕の頭の中では不安がぐるぐる渦巻いて、それでも彼女の車輪はぐるぐるぐるぐる。




頭の回転が速いってどういうこと?頭の中で脳みそがぐるぐる回ってるの?って不思議そうだったよね、この前答えが分かったよ。死んだリスが手に入ったから、解剖してみたんだ。結論から言うと、何も回ってなんかなかったよ。
死んだリスを鍋に入れて茹でると、リスの体は柔らかくなって、指だけで解剖することができた。お腹を左右に引っ張ると、ブチブチとお腹が破けて臓器が見えた。教科書にプリントされた図とは違って臓器と臓器の境目はよく分からないし、キッチンには魚の生臭さとは違う、もっとずっしりとした生臭さが漂っていてグロテスクだった。それでも赤ちゃんの手みたいな小さな爪や顔からちょこんと突き出た前歯は愛くるしく思えた。
頭皮を割いた後、頭蓋骨のヒビに指を入れてゆで卵の殻を剥くように頭蓋骨を割って脳みそを露出させた。するとそれは回ってなんてなくて、汚れたしらこみたいなグチャグチャしたのがほんの少し入ってるだけだった。
リスを解剖した後、本当は土に埋めようと思ったんだけど、臭かったし虫が集まりそうだったからトイレに流したよ、さよなら。




さよならなんて言えずに二度と会えなくなった人たちばかりだなと思う。そんな突然の別れに心惑わされたくないから、ほんの少しのお別れでもバイバイってみんな言うのかな。
大事な人たちにさよならが言えなくても、せめて美しく生きて美しく死にたいなと思うけど、美しく死ぬことなんてない。彼女も、リスも、最期はみんな、例外なく醜くなって溶けていった。僕たちは死について何も分かっていないのにバカみたいに歳だけとって何か手に入れた気になってるけど行先は結局みんな同じ。大学受かった?内定取れた?結婚する?どうでもいいよ、先にあるのは確実な死だけ。




死、死、死。
それは僕の中で「溶ける」イメージでもって認識される。


家の庭の木にリスが住み付いてたんだ。突き出た前歯が可愛らしくて、ピーナッツとかあげたら喜んで食べてくれたからよく餌をあげて可愛がってた。野良猫に追いかけられたときには素早く木の上に逃げる、頭の回転が速そうな奴だ。

暑い夏の日、家の前に小さな毛皮みたいなのが落ちてると思ってよく見たら、そのリスが死んでた。熱中症なのか高いところから落ちたのか野良猫にやられたのかよく分からないけど、熱いアスファルトに突っ伏して動かない。そのまま腐ってハエがたかったら可哀想だからうちで処分することにした。
リスを茹でて細かく分解していった。血抜きもちゃんとできてないから赤黒い模様がキッチンに飛び散って大変だった。背骨も肋骨も折って粉々にして、トイレに流した。可愛がってたリスは跡形もなくなり、小さな骨や内臓が赤く染まった水と一緒にぐるぐると、トイレの奥に流されて溶かされる。暑さと生臭さでぐるぐる回る僕の目の奥で、彼女とリスの赤色が、グチャグチャに混ざりあって、溶ける、溶ける、溶ける。

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