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車検に行って消費社会システムを見直さざるを得なくなったはなし
僕らは消費社会に生きている
車検の時期がやってきた。
何を隠そう、僕は前の車の車検が過ぎていることに1年以上も気がつかなかったおっちょこちょいだ。
車検に出したチェーン系カーパーツ屋が撤退したために「ご案内」が来なかったため全く気がつかなかった。
ちなみに車検が切れていることに気がついたその日に車を買ってしまうくらい「おっちょこちょい」プラス「せっかち」でもある。
車検の相場がわからない
車検というイベントに僕は慣れていない。
ネットで調べてもわかることは
・ディーラーは安心だけどとにかく高いぜ
・パーツ屋やガススタンドは安いぜ、でもちょっと心配かも
という内容だけだ。
わけがわからないので両方見積もりを取ってみることにした。
まずディーラーは、やはり親切丁寧。
親身になってるようなふりして(親身な方もいると思いますが僕の担当者さんは明らかにふりです)対応してくれる。
値段は17.5万円と22万円の2種類と言われた。
高いぜベイビー。
続け様にカーパーツ屋さんで見積もりを取った
すると18.5万円だという。
法定検査だけだと8.5万円くらい。
これはどこ行っても同じ。
車検を通すために必要な検査だけだと8.5万円なのだ。
しかし、その倍以上するのはなぜか。
車検から見えてくる利得権社会のすがた
ディーラーの理由
新車なので錆止め加工がないと錆びる。
だとか
バッテリーが50%の安定性になっている、アイドリングストップなどの機能がついているとバッテリー寿命が短いので新品に交換した方がいい。
とか。
いっぽう、カーパーツ屋の理由は
タイヤがすり減っているから全交換。
というようなお話。
「いやいやいやいや、同じ車やんね??」
同じ車を1週間差で診てもらって、なぜこうも診断結果が違うのか。
人間で例えると病院に行って、A医院では心臓がいかれてますと言われB医院では足腰にガタが来ていると言われる。
何だかものすごくダメな気がしてきた。
とりあえず相見積もりが出たのでカーパーツ屋さんに
「ちょっと考えてからにします」と言うと
法定検査だけでもやってもらわないとゴニョゴニョと答え、現金を請求された。
都合よく現金を持っていなかったので断ると、何故か上司に許可を取るので受けてもらわないと困りますと言われる展開。
断ってるのに弱みにつけ込んで強引に受けさせる戦法か。
見積もりだけでも相当時間がかかるから、法定検査だけでも受けさせようというのだろう。
もちろん、お断りした。
理由はその魂胆が気に入らなかったからだけど。
真実は何だったんだろう
消費社会の戦法は「恐怖を煽ること」だという。
「バッテリーの寿命がもう」(無いから危険ですよ)
「タイヤがすり減っているので」(交換しないと危険ですよ)
「車体の下は錆止めしないと」(錆びてると下取り損しますよ)
そんな手法が法定検査プラスしてもしなくてもいい整備に
あの手この手で乗っかってきてたのだ。
僕は結果的にディーラーに任せることにした。
正直考えるのが馬鹿らしくなってしまった。
人間ドックの診断結果はA病院は心臓病、B病院は関節痛となっている。
もはや誰を信じたらいいというのだ。
ディーラーの値段は結果16万程度。
終了後整備士の説明によると
バッテリーの状態も問題なし、タイヤのすり減りも基準値内だそうだ。
では相見積もりが現していたことは何だったんだろうか?
車で遠出を1年に1度だけど、家族を乗せる車に「安全」は必須条件だ。
そこに、その弱みにつけ込んでいたと言うことか。
(完璧ということが言えない安全性なので少しの不具合でも、万全を期するために交換をお勧めするという心理も理解はできる)
(あと16万だったらタイヤ全交換しても18.5万円だったカーパーツ屋さんの方が安くね?と思った。なのでここから先を話するとややこしくなる)
人間は理性ある秩序だった行動をしないことは行動経済学で明らかになっている。
だから人間は危機を察知するとトイレットペーパーやクッキングタオルを『買い占めたくなっちゃう』生き物なのだ。
どんどん作っては消費し、燃やしたり埋めたりしてなくなる。一方通行の循環(経済と物質は交流しているけど)。
この車検で僕がレスキューできたのは、まだ使えるバッテリーとタイヤ4本だ。
恐らく営業マンに課せられているのは車検を通じて20万円をゲットしろということだろう。
20万越えなら上出来、18万くらいが相場ってところか。
実際は8.5万円で済むのだとしても。
口車に乗せられていたらまだ使えるパーツ類は廃棄されていたのだろうか。
これが一方通行の経済というものか。
往復循環する自然
かたや自然は往復循環をしているそうだ。
太陽が落ちると月が光を得て闇夜を照らす。
その月も地球の重力によって、その軌道を得る。
月の重力によって海の満ち引きと女性の身体のリズム造りに影響を与える。
そして太陽は近づいては遠ざかり、地球では夏と冬を繰り返していく。
このように全ての相関性が往復し影響しあっている。
その様は正直であり、きっと純粋なんだろう。
新しいシステム
消費社会の終焉のタイミングがきた。
次世代の社会のシステムはより自然になることだと個人的にはおもう。
それはテクノロジーを放棄する意味ではなく、全てが往復循環し様々な自然法則を引用したようなモデル。
例えば僕の車検の例で言えば、真実を話してほしい。
そしてリサイクル業も兼ねていれば(中古市場へ出してみるとか)尚、いい気がする。
何よりもBtoCの商いにおいて、余りにも幼稚な営業トークなのが残念だった。利得権の世界はまだこんなことしてるのか。
ちなみに僕の家の壁には1年以上穴が開いている。
とあることで開いてしまった壁の穴だけど、すぐに工務店に来てもらって見積もりを待っているが1年以上経っても見積もりは来ない。
なぜかは知りたくも無いので放置している。
わかったことはうん千万かけて買った家だとしても売ってしまえば、それで終わりだということだ。
家が何年持つか、どんな経費が出ていくかなんてことはどうでも良いのだ。
時代遅れすぎる恐竜に出会った気分で、これはこれで久々に楽しい体験だった。
「持続可能な社会」には自立と他者貢献が共存し、今よりたくましさが求められる社会な気がする。
なんせ自然界だからなぁ。