男一人旅、サーファーでもないのにバリ島に行ってきた ④
「今日は何をしようかな」
と、起きてから考える日々が続く。贅沢な日々であった。
朝起きて向かうバイキングでは、スタッフに「ビンタン行く?」と聞かれるほど「こいつは朝からビンタン飲むやつだ」と馴染んでいた。
ホテルにいた、初老の日本人夫妻に「おいしい所知らないか?」と聞かれれば、②で書いたレストランに連れて行った。
この時、白髪で髪の長さは肩まであった僕に、WiFi環境のいいロビーにいる、馴染みの欧米人やオージーからのウケは良く、「ヘーイ、今日はどこに行くんだい?」と聞かれ、片言の英語で喋りながら良くビンタンを飲ませて頂いた。
ホテルにいた日本の女子大生に「どこか面白いところある?」と聞いたら
「ウブド行った?」
と返ってきた。
ウブド。芸術の街。
ヴァルター・シュピースの作った芸術。
この時僕はすっかり「自分はデザイナーの端くれ」だった事を忘れていた。
行かなくては。
ホテルのスタッフに「ウブド、バイクで行けるかな?」と聞いたら
「さすがに遠いぜ。行けるけど渋滞がハンパないぜ」
と言われた。嫌いな英語、「トラフィック・ジャム」という言葉を聞いてからちょい悩む。
(今こうやって地図を縮尺するとやっぱり結構あるなと思う)
悩むが仕方ない、こういう時はパーティーを組もう。人生はドラクエだ。
ホテルの受付で、「車1日チャーターするといくら?」と聞いた。500,000ルピアだという。安いのか高いのか良くわからん値段だ。しかもそれはノーガイドで、ガイドをつけるとさらに300,000ルピア追加。調べていくうちに良く聞く「おみやげ屋に連れて行かれて、ぼったくられる」を想像していた僕には高い。しかもなんならこの時点で、僕は日本円でまだ2万円も使っていなかったので、なおさら高く感じたのだ。
こうなれば知り合いはバイク屋さんの高橋さんしかいない。すぐさまメールで「ウブドとか行きたいんですけど、1日ガイドしてもらったらいくらですか?」と聞いたら「400,000ルピアでいいですよ」と言われる。車付きで、日本語しゃべれる人、即決で「お願いします」と言ってる僕がいた。
こうして次の日、僕と高橋さんの旅が始まった。
この日の夜、僕はバリ島のラーメンを食べようとし、ホテルから少し行ったスミニャックという地区の、スーパーの敷地内にある”俺の製麺所 Bintang Ramen Factory & Cafe”へ行く。
なんか正直、コンセプトが良くわからんが、ラーメン屋ということはやたら主張しているしわかる。
良くわからん突き出しが…
ごめん。トリップアドバイザーに寄稿してくださった方。僕の好みじゃありません。再訪は多分無いな。
1:ウブドへ行く
朝9:30、高橋さんがホテルに迎えに来る。車は軽で無いワゴンRだった。なんか懐かしいな。ということを思いながら車はウブドに向かい出す。
街の中、至る所から金属の心地いい音階の音が、音楽となり聞こえる。「これはなんて楽器の音なんですか?」と聞くと「ガムランですね」と教えてくれた。
「弾いてみたいなあ」と言うと「前もって言って頂けたら、教える事をしてる所もあるので言ってくださいね」と言われ、「ガムランボール知ってますか?」と言われた。「なんですそれ?」と聞くと、「この音が出るボールがあるんですよ」と言われ、「あ、欲しいです」と即答した。
すると「普段はおみやげ屋さんに連れて行くんですが、デンパサールの市場へ行けば激安で入るので、そこへ行きましょう。特別ですよ。」と言われ向かった。
そこで買ったのはガムランボールのイヤリング2つ。2つで80000ルピアだった。
(最近まで良くつけていたのだが、年明けすぐになぜか無くした。これが欲しいのでもう一回行きたい。日本で買うと1つ3,500円もする。あと僕はピアスの穴が空いて無いのでイヤリングなのだ)
上記、デンパサールの市場、ウブドの街並み、すべて写真が無い。携帯の充電を忘れて、ゴア・ガジャ遺跡にたどり着くまで、車内のソケットではなかなか充電ができず、携帯が復活したのがそれ以降であった。(元々あまりこういう文章を書く人では無いため、写真を撮る癖が無く、ましてやこのとき使っていたのは2年越しのiPhone5S。これから気をつける。としますので、ご容赦ください。)
ウブドは正直、観光地化していた。お土産物屋が乱立し、ブティックも多い。正直何がいいのか良くわからん。一つ寄ったのはスターバックス。久しぶりに冷たいコーヒーを無糖で飲めた。あとはいわゆる露店が集中しているエリアを一通り見て回ったが、もはや金銭感覚がインドネシアに染まり、スタバでもクソ高い!と思った自分にはあり得無い値段であった。これならデンパサールの市場の方が圧倒的に安い。多分彼女連れなら楽しいであろうが、圧倒的に観光地化されていて、僕には正直街を歩くのも辛かった。
「もういいですわ〜、次行きましょう」
ということで向かったのはゴア・ガジャ遺跡、モンキーフォレストだった。
2:ゴア・ガジャ遺跡・モンキーフォレスト
ゴア・ガジャ遺跡。誰が何のために作ったのか未だに謎の場所。
ただ僕にはわかる。
ここ、相当やばいところである。
土産物屋を抜け…
階段を下って行くとともに、クソ暑いはずなのに寒気がする。
「なんかここやばいな…」
ここに降りたときには、「なんかこれ相当、来ちゃいけない所来ちゃったな…」となっていた。
「あ、これ絶対ダメなやつだ」
高橋さんが僕を見ていう。「どうしました?」
「いや、暑いな〜と」
「そうですか、じゃ中、行きましょう。」出てから理由を言おう。そうしよう。今は雰囲気ぶち壊すのもなんだし。
中は写真すら撮ってない。
出て、顔面汗だらけの僕を見て「どうしました!?」と聞く高橋さんに理由を伝えた。
「そこのほとりで休みましょうか。」
高橋さんは言う。
「ここにきて、ガイドした日本人の中で、実は何人かそういう人がいるんです。正直ここはパワースポットとも言われていますが、現地の人でもなんのためにあるのか知らないのです。」
「そうでしたか、ご心配をお掛けしました。その気が僕実は少しあるもので…申し訳ありません。」
「いえいえ、そうということなら落ち着いたらすぐ出ましょう」
ということで早々と立ち去りました。
なんなのかは察して頂けたら。察した方に言います、その気がある人、行かない方がいいです。
ゴア・ガジャ遺跡。再訪、誘われても絶対無い!
そのままモンキーフォレストに流れる…しかしこの時点で相当なんか体力を奪われていた自分は、駐車場にいるお猿さんで満足してしまい、「ちょっと、海の方行きませんか?」と提案した。高橋さんも「そうですね、渋滞が酷くなるので今のうちにウブド出ましょうか。サヌールとか行きますか?」「海?行きましょう!」と即決し、山を下ったのだった。
山を下ったところにある生地屋さんで小一時間、生地に没頭してしまい、気づけば2時を回っていた。
モンキーフォレスト、再訪したい。モンキーフォレストだけ。
3:サヌール、ヌサドゥア方面の海へ行く
とりあえずお腹が空いた僕は「ご飯食べません?」と提案する。
車中はなぜ高橋さんがバリに住みだしたのか、なぜ今のレナさんの所で働くようになったかを話していた時であった。
「丁度近くにいい所ありますよ」
と言われて行ったのが多分ここら辺である。
このバイパスのここら辺の道沿いのレストランである。相当アバウトで申し訳ない。
魚の姿揚げに、甘酢あんをかけたもの。
豚のスープ。
に、おなじみのナシゴレン。+ビンタンビール。高橋さんの分も含め120,000ルピアぐらいだったはず。
このお店は本当美味しかった。また行きたい、行きたいためにまた高橋さんに連絡しなければ。
そしてバイパスから高速道路を通り(この高速道路は、のちにまたバイクで来る事となる)、ヌサドゥアの”ヌサ ドゥア ビーチ ホテル & スパ”のビーチにたどり着く。
レギャンと違い人がいない。うっとおしい物売りの人もいない。海が圧倒的に綺麗である。
ウブドの先にある温泉に入ろうとした僕は、水着を持っていた。
着替え、この日初めてバリで海に入った。
このまま2時間ぐらい寝てしまった。高橋さんも寝ていた。
それぐらい静かで、風も気持ちよく、海も綺麗であった。
この海なら、また行きたい。多分ファミリーや彼女連れがヌサドゥアを選ぶのはここら辺の理由もあるんだろうな…。
この後、帰路につくのだが、途中、高橋さんが勤めるレナさんのプチホテルに寄り、レナさんを紹介される。
写真を撮ったはずなのに無い。
レナさんの経営するプチホテルは新しく、ビタミンカラーで統一されて、気持ちが良かった。
(写真は使わせていただきました)
正直、全然ここでいいと思った(あえて言うならプチがつくだけあり、プールが無い )。レナさんは日本語ペラペラ、面白いダジャレを言い放ち、エロい話を交え、僕にこう言った。
「疲れたら、バリに来なさい。バリは君にパワーをくれる。お金がなかったらうちに来なさい。泊まらせるから。僕は日本に大変世話になった。疲れた日本人を助けるのも僕の務めだ」と。
ああ、この人そういう人なんだな…と思い、握手して別れた。いつか、一人で泊まろうと決めた。
4:地球の歩き方の掲示板で知り合った人と飲む
結構自分ながらいい度胸していた。
初めて、こういう物を使い飲むことになる。詐欺師だったらどうしよう。ブラックマジックの使い手だったらどうしよう。とか、全く思わなかったな…
写真は無いのだが、このまま夜8時、地球の掲示板で連絡を取り合った人と、高橋さんと飲みに繰り出した。
相手は50代の男性。
しかし全然50代に見えない。しかも仕事は教師をしているらしく、夏休みを利用して、一人でサーフィンに来たらしい。とんでもないパワーだ。
「僕が年上だから、気にせず飲んで!」と言われ、日本じゃ払う側にいた僕は、なんか相当嬉しかった気がする。1件目で高橋さんは抜け、二人になり、とことん行こうと決めた僕たちは、レギャン通りのお店を少しづつ南下しつつ飲みまくり、スカイガーデンに入り、そのまま周りのクラブ何件かをハシゴし、最後のバーで
「次、なかなか来れないけど、時間あったらまたバリで会おう、連絡ちょうだい」
といい別れた。(この人はたまに今も連絡する)
しかしなんか濃い1日であった。バリに来てアクティブに一番動いた日だと思う。
しかしあの人、バイクで帰って行ったな…(スカイガーデンの後ろに駐車場ある時点でまあおかしいけどね)
ま、いっか。ここはバリだから。