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ローソンパッケージのふたつのやさしさ
ローソンの食料品のパッケージが新しくなっている。プライベートブランドという、他の会社から仕入れるのではなく自社で企画して作るかんじの商品。そしてそれがTwitterで話題になっている。
ローソンのリニューアルしたパッケージデザインがゴミのように見づらいしデザインしたやつ普段納豆食ってねぇだろ なんだよNATTOって北大西洋条約機構か??? pic.twitter.com/b3ZjvnHMX8
— 𝗜𝗡𝗨𝗛𝗜𝗥𝗢 𝗖𝗼.,𝗟𝘁𝗱. (@WnWnO) May 24, 2020
LAWSONのPB商品のデザインの件、Twitterでは炎上しててInstagramでは絶賛されてるけど両者の論点が違ってて興味深い。Twitter民は店頭で買うときに分かりにくい。insta民は自宅の冷蔵庫に入っていて可愛い。あぁ、なるほどそう言う事かと納得。
— kuma-non (@CosNonKumasan) June 5, 2020
まだデザインを学び始めてほんの少しなので、コンビニに頼りきりの一人暮らし学生として考えたことだけを書いてみたい。
私が見た中では、下のような投稿があった。
○デメリット
・見づらい・わかりにくい
・視覚障害者に優しくない
○メリット
・可愛い、新しい世代向け、写真映え
・Twitterではなくインスタ向き
・店頭ではなくて家に馴染むデザイン
声に疲れた私たち
これを食べろ、あれを飲め、カロリーはゼロ、いや濃厚だ、糖質はオフだ、アルコールは9%だ、おふくろの味だ、違うぞ天使の甘さだ……。
コンビニはわかりやすさで溢れている。ぱっとみてその商品の魅力がわかるというのはデザインで一番大切だと思っていたけれど、このパッケージを見て、それに疲れていたかもなと気づいた。SNSで喋ってリモートで仕事してYouTubeで息抜きして、一日中情報に触れている。
もうわかりやすくなくていい。急かされたくない。ゆっくりじっくり時間をかけてパッケージを見て、そうして自分の欲しいものだけ選んで、それから家へ持って帰って、冷蔵庫に入れて、ささやかながらきちんと掃除した「私の」部屋に似合う控えめなパッケージが欲しい。家の中に買えと叫ぶ声は要らない。
Instagramには、もうそういう生活をしている人がいる。あらゆる洗剤や調味料を無地の瓶に入れ替え、サランラップや牛乳には柄のない真っ白のカバーをかけている。「情報」は疲れてしまうし邪魔なのだ。100円ショップでは専用の容器やカバーが格段に増えている。
「映え」「可愛い」といったこれまで想像していたInstagramとは全然違う。それは「可愛いものがある」じゃなくて、「私にとって邪魔なものがない」という良さなのだと初めて気づいた。
統一されたベージュの落ち着いた色合いで、商品イラストも小さめ、文字の主張も控えめ、とにかく主張してこないすっきりしたこのパッケージは、「モノ」じゃなくて「私」が主役になるためのデザインなのかもしれない。これからの世の中を変えるためのデザインだ。
声かけされたい人たち
その一方で、商品の「声」が大きくないと困る人がいる。なにかしら障害のある人だ。それは何も目が悪いとかそういう話だけではない。「ゆっくりじっくり時間をかけて読み取る」しか選択肢がないことに不自由を感じる人という意味である。
・読みづらい/わかりづらい人
ロービジョンの人 視覚情報が苦手な人 識字障害のある人 色覚多様の人 老眼の人 アルファベットを習っていない人 知的発達が異なる人……
・気をつけることがたくさんある人
食物アレルギーのある人 味覚過敏の人 国産がいい人 病気で食事制限のある人 好き嫌いのある人 宗教で食べてはいけないものが決まっている人……
・選ぶ手間を省きたい人
急いでいる人 時間のない人 長い時間の外出を避けたい人 疲れている人……
全部、ひっくるめると障害だ。私にだって急いでいる日はある。疲れ果てている日もあるし、メガネを壊した日もある。特定の誰かが障害者なのではなく、欲しいものをその通り買うのにものすごく疲れたり、間違えて買ったり、買うのを諦めたりする時、私たちはみんな「障害」を持つ。
夜まで毎日空いているコンビニというお店の形は、普通の店より様々な人にモノを売ることができるはずだ。納豆や冷凍食品や牛乳といったベーシックな食べ物は、余裕のある人、余裕を持ちたい人だけでなく、幅広い人が欲しがる。
わかりやすいパッケージは、どんな人も、に加えて、どんな日の「私」も、不便を感じないためにある。
やさしさにお金を払っている
みんなにやさしいことは大切。コンビニは高級スーパーやカフェとは違う。ある程度ターゲットを絞って競争するお店ではなくて、街のあちこちにある、全ての人のためのインフラだ。スーパーより少し値段が高いのはその近さや利便性のためだ。近さや利便性はつまり買う人へのやさしさ。やさしさに私たちはお金を払っているし、やさしくないパッケージは欲しくない。
でも、家に帰って牛乳を注ぐ時、そのパッケージの可愛さにふと安らぐような、そんな心のゆとりがある社会が「みんなにやさしい」につながるのもまた事実だと思う。例えば残業をせず家での時間を大切にするという風潮が広まって、すると家に置きたくなるパッケージが売れて、どんどんこんなリニューアルがされるようになる。みんなが余裕を持って生活すると、誰かにやさしくできる。そうして最後には、「見えない人には隣の人が低脂肪乳だって教えてくれる」ということも、生まれるのかもしれない。それが今までの「デザイン」として正解とは思えないけれど、でも、それは途方もない長ーいスパンで、やさしさをデザインしたということにもなるかもしれない。
ちょっとだいぶかなり大げさだけど、でも初めて見たときにそう思ったから、そのまま書く。
すぐ効くやさしさ、長く効くやさしさ
わかりやすいことで生まれる即効のやさしさ、わかりにくく情報を減らすことで生まれる長い目で見るやさしさ。どっちも欲しい。どっちも素敵なデザインだ。
だから私が作るなら、どんなデザインにも2割くらい反対側のやさしさを入れたい。理想論だと思う。でも今思ったからそのまま書く。
情報を減らした安らぎのためのデザイン。主張しすぎないけどギリギリ老眼の人にも読みやすい大きさの文字を使う。
情報いっぱいのわかりやすいデザイン。売り場で目立つけどギリギリ部屋においても馴染む色使いを考える。
きっとデザインって、このギリギリを攻めて攻めて攻めまくって、葛藤する仕事なんだろうなあ。ローソンのこのパッケージが失敗かどうかは私にははっきり言えない。でも、コンビニでデザインという仕事の難しさと面白さを知ることが出来た。もしかしたら考えさせることまで計算していたのかもしれない。
最後に、ローソンの人たちは、どんどん改良してゆくことに前向きだということがわかって嬉しかったので、それを貼ります。