東大受験期の自分に起こったこと
この時期は受験の話題で盛り上がる。遠くフランスに来て、日本の喧騒からは離れていると思っても、XやYouTubeは僕に10年以上も昔の体験をありありと思い起こさせる。
信じてもらえないかもしれないが、僕はテストが嫌いで苦手だ。したがって受験そのものはあまりいい思い出とは言えないが、そこで僕が経験したことには一定の価値があるし、そこから多くを学んだ。そして、数少ない明確な「成功体験」の一つであることも疑いようがない。ジジイになっても大学自慢をし続けるような人生にはしたくないが、そうなってしまう人がいるのもわかる。
僕の肩書だけを見た人はときどき「どうやったらそんなに賢くなれるの?」と聞いてくる。実際僕が賢いかどうかはさておき、東大に行くこと、あるいは"受験"勉強ができるようになることに関しては、「こういう方法が効果的なのではないか」という考えはある。そしてそれは今でも使える宝物だ。
そこで以下に受験体験を振り返る。ただし、受験生はこんなものを読んでいないで勉強しなさい。
現役時代
勘違いも悪くない?
イギリスへの高校留学のおかげで、とにかく英語だけはできた。それで模試でうっかり高偏差値を取ってしまい、何を思ったか東大を目指すことになった。高2のことである。本格的に目指すようになった理由はいろいろあるが、以下4つが主なものだ。
この高偏差値のおかげである予備校の勉強合宿に勧誘され、そこでたっぷり東大・京大・医大・早慶の学生と話せた。この合宿には強いモチベーションをもらったし、後に自分自身も大学に入ってからバイトで関わることになる。
余談だが、このコースに参加した高校生及び大学生の大半は涙を流し、大学での再会を誓って帰路につく。みな先輩のアツい体験談に感化され、自分もあとに続くぞと意気込むのだ。今となっては考えられないが、私も例に漏れず、彼らと一緒に涙を流していた。
受験などというものは、その行為の意味など問わず盲目的に打ち込むほうがうまくいくし、そういう人が現役合格する。逆に、細かいことに悩んだり、勉強する意味を問うたりして取り掛かるのが遅い人は浪人する傾向にあると思う。思い悩むのもそれはそれで研究者などに適性があると思うので、盲目になるのも一長一短である。
小学校からの友人が名門公立高校から東大を目指していて、K塾で同じコースを取った。
特に数学のコースは発展的内容で、2年生の段階で、数ⅢCの微積分のみならずオイラーの公式: $${e^{i\pi}=-1}$$ の導出まで見せてくれた。
英語のライティングの先生には意図が伝わらず悔しい思いをした。今思えば、どこかで聞きかじったサピア=ウォーフ仮説を説明しようとしていたのだが、当時の拙い学術英語で話せるわけもなく、何を言っているの?という顔をされてしまった。
現代文の先生のおかげで、文章に興味を持った。同時に、現代文という科目が好きになり、得点源にもなった。合理的・論理的に解ける設問になっている、という事実が肚落ちした。「登場人物の気持ちなんてわかるか!」という愚痴には共感しなくなった。
テレビで『爆問学問』を観ていた。次から次へとマニアックで面白い研究をする人たちが出てきて、「自分もやってみたい」と思うようになった。また、こういう人たちと知り合いたいと思った。
ドラゴン桜がめちゃくちゃ流行った。「バカとブスこそ東大へ行け!」という嘔い文句は大嫌いだが、東大はある種の戦略と手段で届きうるもの (場所) だと感じた。
今のティータイムの活動の原体験も上の『爆問学問』にあると思う。取材に快く協力し、支援してくださる先生方には頭が上がらない。
きわめて当たり前だけど、ほんとうに大切なこと。
かくして東大を目指すことに決めたものの、高3はあっという間に終わってしまった。
単に勉強時間も覚悟も何もかも足りなかった。
同期の友人が要領よく勉強しているのを真似て、いろいろな勉強法を試してはみたが、自分には合っていなかった。なにより、彼が僕の視界の外でやっている勉強の量をわかっていなかった。
気がついたときには入試は終わり、案の定、彼は現役合格し、僕は浪人することになった。
負け惜しみのように「まぁ、これで受かってたら人生舐めてたな」とつぶやいたのを祖父が耳にしていたらしく、浪人生活が終わった後で「あのとき、お前は大丈夫だと確信したよ」と言ってくれた。今思えば、いつでも疑わずに応援してくれる家族にも救われていたと思う。
とにかく、自分でもわかるくらい努力が不足していた。浪人するからには、たとえ結果が悪くても「もっとやっておけばよかった」と思えないくらい努力しようと誓った。
浪人時代
都会は恵まれている。東進の台頭までは。あるいは今も。
浪人はS台ですることにした。こういった選択肢がある時点で都会は恵まれているとよく言われるが、本当にそうであったと思う。特に東大を目指すコースでは、その予備校の顔ともいうべき豪華な講師陣が連日授業をしている。
東進ハイスクールのようなオンライン授業で格差はだいぶ改善したように思うが、やはり先生に直接質問できること、後述のように優秀な学生が周りにいることは大きいと思う。
クラス分けは成績順で、4クラス中、上から3番目のクラスに入れられた。あとで知ったことだが、例年上2つのクラスから合格者が多く出ており、講師もこちらの方が豪華である。下2つのクラスは補欠といった雰囲気で、合格者も少なく、最終的に第一志望を下げて東大を受験すらしない者も多い。下2クラスから東大に受かったのは、僕の知る限り僕ともう一人だけである。ちなみにそのもう一人とは、大学でも同じクラス・実験ペアになるという奇妙な縁があった。
小さな反抗とロック。
予備校講師は自信たっぷりに断言しまくる人の方が人気が出る。まさに迷える子羊を導く教祖である。しかし僕のコース現代文の講師は陰気で小言の多いタイプで、少し人気がなかったように思う。現代文が好きなのもあって、僕は彼の素朴なキャラも大好きだったが、「音楽を聴きながら勉強しているようでは受かるはずがない」という発言だけは気に入らなかった。なので、リスニングの勉強以外ではずっと音楽を聴きながら勉強した。
ちなみに日本語の曲はさすがに邪魔だったので、大半は洋楽を聴いていた。ロックの歌詞から学んだ英文法・単語も多い。ありがとうOasis。今の僕があるのは君たちのおかげだ。
イチロー、毎日カレーとおにぎりだってよ。
僕は自習室が飲食禁止にすることにも違和感を覚えていたため、いつもラウンジで自習していた。適度な水分と糖分は脳を活性化させる。甘いものが苦手だった僕は、なるべく甘くない、ビターチョコやクランキーチョコレートを毎日同じだけ食べて糖分を摂取した。朝食はおにぎり2個、昼食はおにぎり3個と麦飯豚丼とサラダと決まっていた。とにかくペースを保って生活することを第一に考えた。
予備校には、授業の雑談でモチベーションを上げてくれる先生がいる。それでも、1年間気持ちを保つというのは想像以上に大変なことだった。だからせめて、できる限り気持ちに依存しないように生活のルーティーンを定めた。気分が乗ろうが乗るまいが、この時間まではここで教科書に向き合うと決めることが大切だ。さもなければ先生の言うように、「夏バテだ」「秋バテだ」「スランプだ」「風邪だ」と受験の天王山から転がり落ちることになる。
多少のモチベーションの起伏はあったものの、何とか授業を受け続け、センター試験を終えた。ちょうど十数年前の今頃である。自己採点をして、壊滅的な結果に落ち込んだ。得意科目の国語ですら、古文の難化で時間配分に失敗し、散々な結果だった。
模試ではずっとE判定で、時々C判定を取る程度だった。受からなければもう一年でも頑張るつもりだったが、果たして僕にそれができたかどうかはわからない。
あの日あの時あの場所で。
このころに一つ、大きな変化があった。友達ができたのだ。
正確に言えば、友達はいた (断じて強がりではない)。
中学時代の同期が同じ予備校で浪人しており、彼が行った進学校の仲間たちとも顔見知りにはなっていた。が、それまでは積極的に友達を増やしたり関わったりするのは避けていたのだ。
きっかけは何だったか忘れたが、有名高校出身の彼ら・彼女らのグループの休憩中の雑談に混ざるようになり、勉強法や生活について話すようになった。彼らはもともと現役時代に成績優秀者しか通えない塾に通っていたらしく、彼らの多くは模試でA判定を連発していたし、現役合格できなかったのも何かの間違いだろうという人たちだった。人によっては先生よりも良い解法を発見したり、自分なりの役立つ公式を編み出したりしていた。
けれども彼らに油断などなく、僕よりもずっとストイックに勉強していた。とりわけ印象的だったのは、そのうちの一人の「朝起きてから開店と同時にスタバに入り、自習室が開くと同時にそちらに移動し、閉まるまで勉強し、自宅に帰ってストレッチや運動をしながら寝る直前まで英語のリスニングする」という生活だった。文字通り、風呂と食事以外のすべての時間を、一分の隙もなく勉強に費やしていた。彼の体力とストイックさには尊敬の念を禁じ得ない。
そこまでとは言わなくても、僕よりも優秀な彼らが、僕よりもずっと勉強している。僕は焦った。
彼らのうち一人が「効率、効率と言っているうちは甘えだよね。量がなきゃどんなに効率がなくても意味がない。まず量を増やさないと。効率はその次。」と何の気なしに言っていたのが胸に突き刺さった。同い年の彼らは、自分より大人に見えた。
まだまだ努力できる余地がある。まずは彼らの真似をしてみよう。そう思った。
朝からスタバは (金銭的にも電車的にも) さすがに無理だったが、とりあえず開室と同時に自習室に入るようになった。チョコレートの量は変えずに、休憩のたびに摂るようにした。代わりに時間を区切って切り替えながら勉強することにした。
今思えば、この出会いが分岐点だったと思う。ここまでの生活でもっと努力できる余地があったのは明らかだが、ここから受験当日までの生活は、体を壊さない範囲で自分にできるベストを尽くしたと言える。結果はご覧の通りである。
一浪してみてわかった成功の法則!
ともかく重要なことは、僕にとって最大の成功体験の一つは環境によって得られたということだ。細かいテクニックはどうでもいい。モチベーションを保つにも努力するにも、まずはどういった環境に自分を置くかだ。
「人の価値は友達で決まる」らしい (この記事を読んでくれている皆さんは僕の友達です。よかったね!)。他にも「自分は友達の平均」とか、この類の名言は数多く存在するが、なるほど自分一人でできることは限られているし、自分一人でできることですら環境次第でその難易度が変わってくる。「人の価値は友達で決まる」とはそういうことではないか。
幸いにも現代はネット社会で、検索一つで自分の友達や環境を選べる時代である。オーケストラをやりたければネットでチェロ募集の欄を探せばいいし、好きなYouTuberを応援したければその人のサポーターになればいい。同じ趣味や考えという共通点を持ちながら、実に多様な人間が集まるコミュニティが手近なところにあるというのは素晴らしいことだ。
一方で、今あるコミュニティでは物足りないことや、目的がずれていってしまうこともある。だから僕も、自分自身のコミュニティを作ることにした。既存のコミュニティで満足できなかった理由はいくつかあるが、それは自身のYouTubeチャンネルを作った理由と重なる。
勉強 (自学自習) を前提としたコミュニティが欲しい。
それには、「積み上げ」が必要である。これは「エンターテイメント」であるYouTubeとは非常に相性が悪いが、それでも見続けてくれる人たちの中に積み上げを残したい。「へぇ~」「ふ~ん」で終わらず、学ぶことで見えるもの、その面白さを感じて欲しい。物理学そのものや、物理学者という人たちについてもっと知って欲しい。
物理学は、この世の出来事を根幹から理解したいという衝動である。この世を切り取って普遍的に眺めようという視点である。そういう物理学そのものを面白がってほしいし、そこに人生をささげる物理学者たちのチャーミングな人柄を観て欲しい。あわよくば、応援してほしい。
というわけで、手法はゆる言語学ラジオに倣いながらも、異なる形のコミュニティを作成するに至った。支持してくれる人がいる限り活動は継続していきたいし、僕にできる価値提供は続けていくつもりだ (支払った金額に見合うかどうかは皆さん自身のコミットにかかっている)。
よろしければ、これを機に一緒に積読を消化していきたい。
あるいは、独学ではどこから手を付けるかわからなかった学問を一緒に探求していこう。
今更聞けない小・中・高レベルの数学・理科の相談もして欲しい。基本はゼミのためのコミュニティだが、今後、希望があれば個別・集団指導も検討する。
受験対策は考えていないが、そちらも相談に乗ることはできるかもしれない。
受験まで余裕があるなら、発展的内容を学ぶことも推奨したい。自分が学生の時に教育系YouTubeチャンネルがあればよかったのに!
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一発逆転鉄骨渡り
こちらの動画でも触れているが、楽々合格できたというわけではない。最終的には、首の皮一枚の半分まで切れた状態でかろうじて大学に入った。
画像も含めた個人情報を載せるので、詳細は下部の有料部分に書くことにする (動画以上の情報はほとんどないので、悪しからず)。真偽がどうしても気になる方・お金が余って仕方がないという方は参照されたし。
凡骨のキセキ
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