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歴史に名を残す脚本家から学べる事 vol.8 フランシス・マリオン&アーネスト・リーマン

15. フランシス・マリオン

ルース・プラウアー・ジャブヴァラが『ハワーズ・エンド』(1992年)と『日の名残り』(1993年)で連続してアカデミー脚本賞を受賞するまで、女性脚本家が連続して脚本のアカデミー賞を受賞したのは半世紀以上前のことでした。

ジャブヴァラの前に連続してオスカーを受賞した女性脚本家は、フランシス・マリオンでした。マリオンは、映画史上最も重要な技術的・概念的な転換期、つまり無声映画から有声映画への移行期に、最も成功した「トーキー」(有声映画)の脚本家の一人となりました。

マリオンのアカデミー賞受賞作は『ビッグハウス』(1930年)と『チャンプ』(1931年)の2作品です。

特に『チャンプ』は、同名の映画の中で最も古く、最高のボクシング映画として評価されています。

1. キャラクター中心の物語
マリオンは、魅力的で多面的なキャラクターの創造で知られており、特に強い女性主人公に焦点を当てました。彼女の脚本は女性の強さと複雑さを称え、観客がキャラクターと深く共感できるよう工夫されていました。マリオンは、キャラクターには物語を動かす明確な動機と成長の軌跡が必要だと考えていました。

2. 視覚的ストーリーテリング
無声映画時代にキャリアを始めたマリオンは、ストーリーテリングにおける視覚的要素の重要性を深く理解していました。彼女は過度の対話を避け、視覚的イメージと俳優の演技で感情やプロットの展開を伝える脚本を作りました。このアプローチにより、映画というメディアの独特の強みを効果的に活用しました。

3. 多作な執筆とルーティン
マリオンは130本以上の製作映画にクレジットされる多作な作家でした。彼女は自身の技術を磨くために毎日の執筆ルーティンを確立することを提唱し、一貫した練習が作家の効率を高めると信じていました。執筆プロセスにおける規律の重要性を強調したのです。

4. 翻案と独創性
マリオンは、既存作品の翻案と独自脚本の創作の両方に秀でていました。彼女は自身の人生経験や観察から着想を得て、物語に真実味を吹き込みました。物語の本質を保ちながら翻案する能力は、彼女の執筆スタイルの特徴でした。

5. 協力とメンターシップ
マリオンは協力を重視し、特にキャリア初期のメンターである監督ロイス・ウェーバーとの仕事で顕著でした。自身のビジョンを映画全体の方向性と調和させるため、監督やプロデューサーとの緊密な協力の重要性を理解していました。

6. 脚本家のための擁護
マリオンは生涯を通じて脚本家の権利の擁護者であり、業界での公正な報酬と認知を求めて運動しました。彼女の活動は、将来の世代の作家のために道を開き、クレジットと印税の重要性を強調しました。

7. テーマへの焦点
マリオンはしばしば、ジェンダーの役割や社会問題など、当時の関連テーマを探求しました。彼女の脚本は頻繁に女性の苦闘と勝利を反映し、同時代の観客の共感を呼ぶとともに、映画における女性表現に関する議論に貢献しました。

フランシス・マリオンの脚本執筆への貢献と革新的な手法は、ハリウッドに永続的な遺産を残しました。彼女の業績は、未来の作家や映画製作者に、キャラクター、視覚的ストーリーテリング、そして業界内での権利擁護を重視することの大切さを教えています。

16. アーネスト・リーマン

ヒッチコックの黄金時代、彼は多くの優れた脚本家を起用しましたが、その中で最も偉大だったのはアーネスト・リーマンでした。リーマンはヒッチコックのために『北北西に進路を取れ』(1959年)を書きました。このとき彼は、ヒッチコックが長年温めていたものの漠然としていたアイデア、つまりラシュモア山に閉じ込められた男の物語を、何とか一つの物語にまとめ上げました(この映画の当初の作業タイトルは『リンカーンの鼻の中の男』でした)。

しかし、リーマンの才能はヒッチコック作品に限られませんでした。彼は既に1957年の古典的名作『成功の甘き香り』で、その力量を示していました。

1960年代に入り、ヒッチコックの全盛期が過ぎ去る中、リーマンは旧師の名声を超え、その10年間のハリウッドを代表するミュージカル映画の多くで脚本を手がけることになります。その代表作には『ウエスト・サイド物語』(1961年)『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)『ハロー・ドーリー!』(1969年)があります。

さらに驚くべきことに、リーマンはこれらの大作の合間を縫って、エドワード・オールビーの時代を超えた名作戯曲『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』(1966年)の脚色も行っています。

1. 強固な物語構造
リーマンは、十分に構造化された脚本の重要性を強く信じていました。彼の脚本には常に明確な始まり、中間、終わりがあり、各幕が物語を前進させる特定の役割を果たすよう心がけました。この構造的完成度は、観客の関心を維持し、満足感のある物語展開を提供するのに役立ちました。

2. キャラクター開発
リーマンは、魅力的で多面的なキャラクターの創造に重点を置きました。彼は、キャラクターがプロットを動かす明確な動機と葛藤を持つべきだと考えていました。共感できるキャラクターを作り出す彼の能力により、観客は物語に深く感情移入することができました。

3. 監督との協力
リーマンは頻繁に著名な監督、特にアルフレッド・ヒッチコックと協力しました。彼は監督の意見を尊重し、しばしば監督のビジョンに合わせて脚本を調整しました。この協力的なプロセスは最終作品の質を高める上で不可欠でした。『北北西に進路を取れ』でのヒッチコックとの仕事は、その好例です。リーマンは機知、サスペンス、色彩豊かなロケーションを巧みに織り込み、「すべてのヒッチコック映画の集大成となる作品」を目指しました。

4. 独創性と翻案
リーマンは『ウエスト・サイド物語』や『バージニア・ウルフなんかこわくない』のような舞台劇や小説の翻案で高く評価される一方、オリジナルの脚本執筆にも秀でていました。特に『北北西に進路を取れ』のようなオリジナル作品は、当時のハリウッドでは珍しかった、一から魅力的な物語を創造する彼の能力を示しました。

5. 細部へのこだわり
リーマンは、脚本の洗練に多くの時間を費やす緻密なアプローチで知られていました。対話からシーンの転換まで、あらゆる細部が重要だと考え、それが脚本全体の質と一貫性を高めました。

6. ユーモアと機知の活用
ユーモアと機知を取り入れることは、リーマンの執筆スタイルの特徴でした。緊張感と軽さのバランスを巧みに操り、それがキャラクターに深みを加え、物語をより魅力的にしました。特にヒッチコック作品では、機知に富んだ対話と状況的なユーモアがサスペンスを効果的に引き立てています。

7. 視覚的ストーリーテリングの重視
リーマンは、映画における視覚的ストーリーテリングの重要性を深く理解していました。視覚的イメージやアクションを巧みに利用して感情やプロットの展開を伝える脚本を作り、台詞以上に映像で観客の心を動かすことを目指しました。

アーネスト・リーマンの脚本執筆への貢献と革新的な手法は、ハリウッドに永続的な遺産を残しました。強力な物語と豊かなキャラクター開発、そして協力を融合させる彼の能力は、世代を超えて脚本家たちにインスピレーションを与え続けています。

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