【POVショットの利点と弱点】カメラ目線の罠②
前回は『シャイニング』を例に説明をしましたが、この映画は例外的だと思って下さい。
スタンリー・キューブリックという希代の天才が気の遠くなる様な綿密さで数学的に構築したある種の完璧な映画です。おそらく、これと同種の名作を作る映画監督は向こう50年は出てこないでしょう…(だからこそ、有名監督の選ぶベスト・テンの必ず上位にあるのです)
しかし、この映画から学べる事はたくさんあるのです。
さて、他のカメラ目線のショットの別例を上げていきましょう。
想定線上にカメラを置くとPOVになると言いましたね。だからカメラ目線になる。と、言う事はPOVを前提としたショットだと、登場人物がカメラ目線になるシュチュエーションが生まれるのです。
まずは、こちらの動画を見て下さい。
以前、POVの説明でも紹介した『クロニクル』です。
この映画は新しくカメラを買った主人公がそのカメラをオンにする所から始まります。そして主人公達が超能力を得てゆく過程を、主人公達がそのカメラ、または別のカメラを通してドキュメンタリーとして撮影している体で全篇構成されています。
登場人物達は常にカメラ=撮影者である劇中人物にむかって演技をしています。
この様に大前提でPOV撮影を観客に認識させる事によって、カメラ目線を劇中のカメラに向かっての会話と認識させているのです。
『クロニクル』はこの大前提によって
①観客を違和感に馴れさせる
②大きな違和感を感じさせないように上手く観客を誘導する
の2つをクリアしているのです。
もう1つの例としてテオ・アンゲロプロス『永遠と一日』を例に挙げます。こちらは1998年のパルムドールを受賞した作品です。
この映画は老いた詩人が妻と過ごしたある1日を、人生最後の日に思い出す、という内容です。全篇に渡り過去と現在が交差します。その転換は常に自然に行われて、特徴的なのは過去のシーンも現在の老いた主人公が演じている事です。これによって、大前提としてリアリティーではなく幻想的な手法で映画が構成されている事を観客が冒頭から認識しています。
この映画の凄い所は、違和感を違和感なく演出している所なのですがそれはまた別の話し…
では、見て頂きましょう。
このエンディングシーンはワンショットで撮影されています。
(正確にいうとワンショットに見えるように撮影されています)
このシーンはワンショットで以下の時間の変遷があります。
現在→過去→主人公の夢の世界。
最後がなぜ夢の世界だと言い切れるのかというと、最後に映画冒頭に出てくる回想シーンと全く同じことが繰り返されます。ここに、今まで"妻と過ごしたある1日"と "主人公最後の日"の例外として少年時代の思い出、しかも、もう誰とも共有出来ない記憶が登場します。
ちなみに、カメラ目線は “過去→主人公の夢の世界” を繋ぐラストシーンに1回だけ使われています。それをただの違和感ではなくプラスの演出に変えているのには、以下の理由があります。
第1として、先ほど出来てきた冒頭にこれと全く似たショットが主人公の少年時代の姿で撮影されています。何より主人公を呼ぶ母の声はこの冒頭のシーンで使われているのです。この冒頭とラストを繰り返し表現し、リンクさせる手法は、永遠のサイクルを物語上で示す方法としてよく使われています。また、冒頭からワンショットで過去と現在の交差が示されています。そのことにより、この映画が非現実的である事を観客は前提として把握しています。
第2として、頻繁にこのラストシーンの様に何度も過去と現在が交差する事で観客は時代や空間が変わる事に違和感を感じなくなります。
第3として、現在の主人公は住んでいる家を出て死の旅路につきます。その旅路を冒頭からみることで観客は主人公に共感して同じように時空を旅をしているように感じます。
第4として、このエンディングシーンをそれまでの主人公の人生=長い旅路の終焉を暗示するために多くの説明が映画全篇に渡って散りばめられています。特別なシーンである事を観客は認識しているのです。
そして最後に主人公は本当に旅を共にした私たち(=観客)に向かって語りかけていること。
これらの事が主人公のカメラ目線を観客を引き込む為の演出に変えているのです。そもそも、この映画はとても詩的で映像、構成、何から何まで美しく構成されています。じつは、この詩的かつ美しい構成は本来違和感が生じるはずの場面のつながりを違和感無く繋げることで生じています。
最後にカメラ目線に違和感を感じない方法として、そのままの使い方、
“登場人物が観客に向かって話す場合” があります。例としてはこちら。
『ヒッチコック劇場』このように、プレゼンターとして登場人物が観客に話しかけています。
また、映画ではよくこのように劇中劇の紹介などのシーンで使われています。
そもそも『シカゴ』は突然歌いだすというミュージカルの違和感を劇中劇として表現した事で大ヒットした映画です。このシーンでは、観客は本当に劇場にて観劇している観客となっているのです。
以上の事で分かるのは、カメラ目線が使われている映画は、そのカメラ目線の効果を最大限プラスとして引き出す為に全篇が綿密に構成されていると言う事です。
逆に言うと、ろくなプランも無く安易にカメラ目線を使うと、観客をしらけさす原因になります。ですので、カメラ目線をどうしても使いたい場合は以下の2つを必ず考えて、全篇を構成した上で使って下さい。
①観客を違和感に馴れさせる
②大きな違和感を感じさせないように上手く観客を誘導する
最後に、どうしても主人公の真正面から撮りたい場合の方法を紹介します。
これはイングマール・ベルイマンの『叫びとささやき』という映画です。
見て頂きたいのはこの動画の49:51~です。
このシーンは2人の人物が向き合って、食事をしています。
その向かい合ったショットは正に想定線上の真上にカメラが存在しています。
しかし、大事なのは目線がカメラに向かっていない事。
この2人はきちんと、お互いを見て演技をしていますね。
それは何故か?
もうお分かりだと思いますが、登場人物とカメラの目線が合わないようにアングルが変えてあるのです。実は登場人物の真ん前からのショットは、ほぼ例外無くこの原則が使用されています。
すなわち、被写体と目線が合わないようにアングルが上か、下からかのどちらかで撮影されているのです。
このシーンも若干下からのアングルで撮影する事によりカメラ目線を避けています。
『叫びとささやき』は映画自体がいわゆる完璧なリアリティーに基づかずに『シャイニング』と同じように過度な誇張や違和感で観客の注意を促し構成してあるので何処にどのように違和感を使用しているのかDVDを見ながら探すと【違和感をプラスに代える手法】を学べると思います。
ちなみにベルイマンはキューブリックと並ぶ希代の天才、巨匠の1人です。
全ての彼の作品を見る事をお勧めします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?