歴史に名を残す脚本家から学べる事 vol.10 チャーリー・カウフマン&コーエン兄弟
19.チャーリー・カウフマン
21世紀に入ると、ポール・シュレイダーに代わって最も注目される現役脚本家となったのがチャーリー・カウフマンでした。カウフマンは、一見すると脈絡のない、意識の流れのような脚本を書きながらも、常に強力な核心的テーマに根ざした作品を生み出し、(一時的とはいえ)監督並みの名声を獲得した稀有な脚本家です。
彼の代表作『マルコヴィッチの穴』(1999年)は、普通の人々が15分間の名声を味わった後、ニュージャージー・ターンパイクに放り出されるという斬新な設定で話題を呼びました。また、『アダプテーション』(2002年)では、一見映画化不可能な本の脚本を書こうとする双子の脚本家を、ニコラス・ケイジが一人二役で演じるという斬新な手法を用いました。これらの作品は、名声と創作への執着心について深く掘り下げた魅力的な探求となりました。
しかし、カウフマンの最高傑作と言えば、間違いなく『エターナル・サンシャイン』(2004年)でしょう。この作品は、記憶、物語作り、そして映画という媒体についての彼の思想のすべてが結晶化されたものと言えます。
失敗と曖昧さを受け入れる姿勢
カウフマンは、創造性を刺激する手段として失敗のリスクを積極的に受け入れます。セーフティネットがないからこそ、大胆な挑戦ができ、より興味深い作品が生まれると考えています。また、彼は物語に意図的に曖昧さを残し、観客の解釈の余地や、何度も楽しめる作品作りを心がけています。
個人的な経験をテーマに
カウフマンの脚本は、彼自身の内面や感情を深く掘り下げたものが多いです。自分の考えや感情、葛藤や経験を素直に作品に反映させています。例えば『アダプテーション』では、自身を登場人物として登場させ、脚本家としての苦悩や「オーキッド・シーフ」という本の脚色に苦戦する様子を描きました。
非線形でパズルのような物語構造
カウフマンの物語は、従来の構造にとらわれない、非線形でパズルのような展開が特徴です。決まりきったルールや公式よりも、自分の直感を信じて創作に臨みます。そのため、彼の脚本は独創的で、既存の慣習に挑戦するものとして知られています。
重層的な対話とメタファーの活用
カウフマンの対話は複数の役割を果たし、物語を進めながら登場人物の内面も描き出します。また、視覚的なメタファーを効果的に使い、物語に深みと象徴性を加えています。『エターナル・サンシャイン』では、記憶消去のシーンで崩壊していく世界が、登場人物の心の状態を象徴的に表現しています。
感動を呼ぶ力
一見難解に見える作品でありながら、カウフマンの物語は深い感動を呼び、多くの人の心に響きます。彼独特の世界観と非線形の物語を通じて、アイデンティティ、愛、記憶といった普遍的なテーマに迫っているのです。
カウフマンの脚本アプローチは、創造性を解き放つ力と、自分の直感を信じることの大切さを示しています。失敗を恐れず、個人的な体験をテーマに掘り下げ、従来の物語の枠にとらわれないことで、芸術的に革新的で、心に深く響く作品を生み出しているのです。
20. コーエン兄弟
ジョエルとイーサン・コーエン兄弟は、共同で脚本を執筆し、現代の最も優れた脚本家コンビの一つとして名を馳せています。映画への深い愛着を公言する彼らの真骨頂は、既存の映画ジャンルを独自の視点で再解釈し、時に驚くべき方法で新たな生命を吹き込むことです。そして、その斬新なアイデアを鮮烈な脚本として具現化しています。
この才能は、彼らのデビュー作『ブラッド・シンプル』(1984年)で早くも発揮されました。この作品は、古典的なフィルム・ノワールの要素を持ちながら、同時に現代的なネオ・ノワールとしても高く評価される、二面性を持った傑作となりました。
以来、コーエン兄弟は様々な映画ジャンルやサブジャンルに挑戦し、目まぐるしいばかりの創造性で観客を魅了し続けています。
『赤ちゃん泥棒』(1987年)では、スクリューボール・コメディを斬新に再解釈。『ミラーズ・クロッシング』(1990年)では、ギャング映画に新たな息吹を吹き込み『バートン・フィンク』(1991年)では、脚本家を主人公にしたユニークなノワール作品を、そして『ビッグ・リボウスキ』(1998年)では、独自のジャンルと呼べるほど独創的な作品を創造。
特に『ビッグ・リボウスキ』の主人公デュードは、過去30年間で最も愛されるキャラクターの一人として、多くのファンの心に刻まれています。
コーエン兄弟の作品は、単なるジャンルの焼き直しではなく、既存の枠組みを巧みに利用しながら、全く新しい映画体験を生み出す力を持っています。彼らの創造性と独自の視点は、現代映画界に大きな影響を与え続けているのです。
自滅的な登場人物
コーエン兄弟は、自らの選択が破滅を招くキャラクターを巧みに描きます。この自滅的な性質が物語を動かし、深みを生み出します。 例えば『ファーゴ』のジェリー・ランデガードは、経済的苦境から抜け出そうと誘拐を企てますが、その結果、制御不能な状況に陥ります。彼の誤った判断と道徳的妥協が悲劇を招き、利己的行動の代償を浮き彫りにしています。曖昧な結末
コーエン兄弟の作品では、結末が曖昧なことが特徴です。conflict(対立)を未解決のまま残し、観客に多様な解釈の余地を与えます。
『ノーカントリー』の結末では、ベル保安官が自身の夢を振り返り、観客に未来や出来事の道徳的意味について考えさせます。この開かれた結末は、観客の積極的な参加を促します。
3.非従来的な物語構造
彼らは従来の三幕構造にとらわれず、より柔軟な物語展開を好みます。 『ビッグ・リボウスキ』では、誤解、ボウリング、誘拐計画などの様々なサブプロットが交錯します。この構造は主人公「デュード」の緩やかな性格を反映し、独特の視聴体験を生み出しています。
4.機知に富んだ重層的な対話
コーエン兄弟の作品における会話は含蓄に富み、露骨な説明なしにキャラクターの動機を明かし、物語を進めます。
『ファーゴ』では、登場人物間の何気ない会話が彼らの性格や潜在的な緊張関係を巧みに描き出します。マージ・ガンダーソンと夫ノームの会話は、二人の関係性と同時に、マージの洞察力のある警官としての性格も示しています。
5.必要不可欠な暴力
彼らの作品における暴力は、無意味ではなく必要不可欠なものとして描かれ、テーマやキャラクターの成長を強調します。
『ノーカントリー』では、暴力が印象的に描かれ、運命、道徳、変化する犯罪の本質についての探求を強調します。アントン・シガーの暴力的な行動は、他のキャラクターに自身の選択や価値観と向き合うことを強いています。
6.異常な状況下の普通のキャラクター
コーエン兄弟は、平凡なキャラクターを奇妙または極端な状況に置き、魅力的なコントラストを生み出します。
『アリゾナ・ベイビー』では、元強盗のH.I.マクダノーと元警官の妻エドが、家族を持ちたいという願望から赤ちゃんを誘拐するという、滑稽かつ絶望的な状況に陥ります。
7.ジャンルの慣習の転覆
彼らは様々なジャンルを融合し、簡単に分類できない独自の作品を生み出します。 『オー・ブラザー!』は、大恐慌時代のアメリカ南部を舞台にした『オデュッセイア』の現代版で、コメディ、冒険、ミュージカルの要素を組み合わせつつ、社会批評も織り交ぜています。
8.共同執筆プロセス
コーエン兄弟は共同で脚本を執筆し、対話を一緒に作り上げています。このパートナーシップにより、彼らのビジョンを一貫して反映した作品が生まれています。
これらの要素を巧みに組み合わせることで、コーエン兄弟はユーモア、深み、予測不可能性を兼ね備えた独自のスタイルを確立しました。慣習に挑戦し曖昧さを受け入れる彼らの姿勢は、観客の心に多層的に響く豊かなストーリーテリングを可能にしているのです。