歴史に名を残す脚本家から学べる事 vol.6 エメリック・プレスバーガー&ロバート・ボルト
11. エメリック・プレスバーガー
エメリック・プレスバーガーは、マイケル・パウエルとともに、映画史上最高の脚本家・監督コンビの一つを形成しました。彼らが戦時中から戦後にかけて制作した一連の作品は、映画史に残る傑作群として知られています。その影響力は今も健在で、熱心な支持者であるマーティン・スコセッシが二人についてのドキュメンタリーを制作中だと言われているほどです。
プレスバーガーの代表作には、両世界大戦を描いた偉大なイギリス映画『老兵は死なず』(1943年)、少女の髪に謎の男が接着剤を注ぐという奇妙ながらも美しい映画『カンタベリー物語』(1944年)、初期のロマンティック・コメディの一つであり今でも最高の作品の一つである『うずまき』(1945年)、映画史上最高のスタジオ制作作品『黒水仙』(1947年)、そしてスコセッシの「人生に必要な5本の映画」の一つに数えられる『赤い靴』(1948年)などがあります。
協力とパートナーシップ
プレスバーガーの最も有名な協力関係は、監督マイケル・パウエルとのものです。二人で製作会社「アーチャーズ」を設立し、20年以上にわたるパートナーシップで『赤い靴』や『黒水仙』など、20世紀を代表するイギリス映画を生み出しました。プレスバーガーは協力の力を信じ、「二つの頭は一つよりも優れ、四つの目は二つよりも多くを見る」と語っています。
視覚的ストーリーテリング
プレスバーガーは鋭い視覚センスを持ち、文学作品を映像言語に翻訳することの重要性を深く理解していました。パウエルと緊密に協力し、物語の感情的影響を高める印象的な視覚シーケンスを作り出しました。例えば、『赤い靴』のバレエシーンは、ダンス、音楽、撮影技術を融合させた視覚的ストーリーテリングの傑作と言えます。
キャラクター主導の物語
プレスバーガーは、キャラクター開発を非常に重視し、魅力的な物語の基礎は巧みに作られたキャラクターにあると信じていました。彼は文学作品からしばしばインスピレーションを得て、『ホフマン物語』のような古典的な物語を脚色する際も、人間の本質と感情に関する独自の視点を織り込みました。
実験と革新
プレスバーガーは、形式やジャンルの実験を恐れませんでした。ファンタジー、ロマンス、ドラマの要素を脚本の中で融合させ、常に境界を押し広げ、慣習に挑戦し続けました。例えば、『天国の matter of life and death』における超現実的な天国の法廷シーンは、そのような革新的なアプローチの表れです。この姿勢が、プレスバーガーを同時代の作家たちと一線を画すものにしました。
細部への注意
プレスバーガーは脚本執筆において非常に綿密なアプローチを取りました。ダイアログからキャラクターの動機まで、物語のあらゆる側面に細心の注意を払いました。彼はすべての細部が重要であり、優れた脚本は慎重な計画と修正の結果であると信じていました。この細部へのこだわりが、彼の映画に豊かさと複雑さをもたらしています。
エメリック・プレスバーガーの脚本執筆手法は、協力、視覚的ストーリーテリング、キャラクター主導の物語を重視する点で、今日でも映画製作者や作家たちに影響を与え続けています。脚本執筆に対する彼の革新的なアプローチは、映画界に消えることのない足跡を残しています。
12. ロバート・ボルト
監督自身が脚本を手がけない場合、適切な脚本家を選ぶことは極めて重要です。その重要性は、しばしば偉大な監督・脚本家のパートナーシップを生み出すほどです。本リストではいくつかのそうしたパートナーシップ、特にイギリスの監督が関わるものを取り上げていますが、1960年代のデヴィッド・リーンとロバート・ボルトの協力ほど重要なものは稀でしょう。
ボルトは、ヘンリー8世と彼の師トマス・モアの対立を描いた戯曲『日かげの男』(1960年)で名声を得ました。この作品は後に1968年に彼自身の手で映画化されています。
しかし、ボルトの才能が真に開花したのは、リーンとの仕事においてでした。彼はリーンと組んで、『アラビアのロレンス』(1962年)『ドクトル・ジバゴ』(1965年)『ライアンの娘』(1970年)以下の3つの傑出した脚本を手掛けました。
キャラクター主導の物語
ボルトは複雑で多面的なキャラクターの創造に重点を置きました。彼は、広範な政治的背景よりも、主人公の個人的側面に焦点を当てることで知られていました。このキャラクター中心のアプローチにより、道徳、良心、社会における個人の役割といったテーマを深く掘り下げることができました。
歴史的正確性
ボルトの脚本の多くは、『アラビアのロレンス』や『日かげの男』のように、歴史上の人物や出来事に基づいていました。彼は魅力的な物語を紡ぎながらも、歴史的正確性を保つために題材を綿密に研究しました。ボルトは、物語を現実に根ざすことで、観客とより深い感情的つながりを生み出せると確信していました。
監督との協力
ボルトは監督、特にデヴィッド・リーンと緊密に協力して、自身の脚本に命を吹き込みました。彼は監督の意見を尊重し、映画製作過程での修正や変更に柔軟に対応しました。この協調的な姿勢により、ボルトは各プロジェクトや監督のニーズに合わせて執筆スタイルを適応させることができました。
翻案と独自の脚本
ボルトは、オスカー賞を受賞した『ドクトル・ジバゴ』(ボリス・パステルナークの小説を原作)や『日かげの男』(自身の戯曲を原作)のような既存作品の翻案と、『ミッション』のようなオリジナル脚本の両方に秀でていました。両分野で活躍できる能力は、脚本家としての彼の多才さと技量を如実に示しています。
修正と書き直し
ボルトは脚本の修正と書き直しの重要性を深く理解していました。彼は各シーンとダイアログを丁寧に作り上げることで知られ、しばしば複数の草稿を経て作品を洗練させました。この入念なアプローチは、彼の脚本が受けた批評家からの称賛や数々の賞という形で実を結びました。
ロバート・ボルトの脚本執筆手法は業界に長期的な影響を与え、後世の脚本家たちに、歴史的正確さと魅力的な物語のバランスを取ったキャラクター主導の物語を創造するよう刺激を与えました。監督との協力や、完璧に磨き上げるまで作品を修正する姿勢により、彼は同時代で最も尊敬され影響力のある脚本家の一人となりました。