歴史に名を残す脚本家から学べる事vol.1 ビリー・ワイルダー& ウディ・アレン編
こんにちは。
今回は長くに分けてこちらの記事「The 50 Greatest Screenwriters of All Time」を参考に最も偉大な脚本家50人を紹介していきます。
彼らの残した素晴らしい作品紹介とともに、彼らが執筆についた語った、ちょっとしたアドバイスなども紹介していきます。
作品作りの参考だけでなく、映画鑑賞の参考にもお使いください。
1. ビリー・ワイルダー
ビリー・ワイルダーは自身を作家だと認識しており、ロサンゼルスにある彼の墓石には「私は作家だ。でも、誰も完璧じゃない」と刻まれています。これは言うまでもなく、彼の書いた最も有名なセリフへの文字理です。おそらく映画史上最も有名なラストライン(セリフ)である、『お熱いのがお好き』(1959年)の最後の2語「誰も完璧じゃない “Nobody’s perfect”」を指しています。
誰も完璧ではないというのは事実ですが、ワイルダーは完璧に最も近づいた人物でした。彼の最高の5作品—『深夜の告白』(1944年)、『サンセット大通り』(1950年)、『地獄の英雄』(1951年)、『お熱いのがお好き』(1959年)、『アパートの鍵貸します』(1960年)—で、彼は古典的なフィルム・ノワールから、歴史上最高のコメディ映画まで、一通り傑作を生み出しました。
こちらはかつて、ビリー・ワイルダーがかつてインタビューで語った脚本執筆についてのアドバイスです
1. 構造 / Structure
「家を建てるのに例えてみましょう。家を建てる基礎が必要です。
壁が必要です。それを支える柱が必要です。2階への階段も必要です。
と言うように、映画を書くということは、建築と詩または物語の語りの一種の混合物なのです。」
ワイルダーはさらに、強力な第1幕が必要で、それが第2幕を支え、両方とも十分に強力で、観客を第3幕まで興味を持たせ続けられるものでなければならないと言及しています。
「わざわざ設計図や青写真を作るわけではありませんが、それは一種の本能的に備わっている感覚です。私自身のことを話していますが、他の500人の作家に聞けば、みんな自分なりの方法を持っているでしょう。」
2. キャラクターの発展
ワイルダーは、同僚から学んだこととして、周りの人々を観察してキャラクターの情報を得ることができると述べています。彼らの歩き方、話し方、振る舞い方を見て、それを基礎として使い、そこから発展させるのです。
3. 脚本におけるカメラの指示
「脚本を書いているときに、カメラのトリックに凝ることはありません...クローズアップ、ここでカット、カメラパンなど、一切ありません。」
ただし、自分の脚本を自分で監督する場合は、そういった要素を含めることができると指摘しています。しかし、他の人が監督を務める脚本を書く場合は、カメラアングルやカメラの指示を書くべきではありません。
4. 共同脚本家
「彼(共同脚本家のIz・ダイアモンド)がタイプライターの前に座る。
まず彼が座り、次に私が座ります。そして『ハリウッド・レポーター』や『バラエティ誌を』読んでコーヒーを飲みます。
でも何も出てきません。時には午後5時まで全く何も...
そして、書き始めると議論して自分たちのアイディアを比較し合います。
私たち二人の間には素晴らしい理解がありました。私が自分のバージョンを強く主張しても、勝ち目がないと感じたら、そのアイデアをゴミ箱に捨てます。彼も同じです。」
ワイルダーがシーンや場面を口述し、ダイアモンドがタイプしていました(ビリー・ワイルダーはタイプが得意ではなかったため)。そして、それについて議論します。常に冷静で友好的でしたが、お互いのビジョンやアイデアを尊重しながら協力的に作業を進めていました。
「彼と一緒に仕事をした何年もの間、私がアイディアを出したときに彼が『素晴らしい!すごいね!』と言った記憶はありません。彼の最高の褒め言葉は常に『そうだな、やってみよう』でした。」
2. ウディ・アレン
ウディ・アレンは、スキャンダルの後、映画業界ではほとんどの人に歓迎されない人物となっていますが、脚本家としては過去の成功によって、史上最高の脚本家リストに名を連ねています。
彼の最高傑作は、おそらく『アニー・ホール』(1977年)、『マンハッタン』(1979年)、そして『ハンナとその姉妹』(1986年)でしょう。さらに、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)のような後年の作品でさえ、依然として高い評価を得ています。