Twitterの活動における政治信条の在り方について(随時更新)

はい、Kazumiです。今日は2022年7月9日ですね。

この頁を書くことを決めた一日前である7月8日は濃い一日でした。

まず、安部元総理大臣が暗殺されました。

詳しくはBBCがメディアの報道として、事実をそのまま正確に伝えているのでこちらをご覧ください。

次に、Ochiaiさんのツイートが注目を浴びました。

彼はNewsPicksにて自身の番組を持っている方なのですが、先の安部元総理大臣の暗殺に対する大衆の反応をこのように皮肉りました。
しかし、その後の様々なメディアのツイートなり反応なりで文章を曲解する大多数に私自身は危機感を覚えました。

最後に、この安部総理大臣の逝去について夕方に記者会見がありました。

しかし、私自身はこの会見内のメディア記者の質問内容に愕然とし、途中で閉じました。なぜなら、医者である奈良県立大学の福島教授に対する質問が「安部総理大臣の逝去に対する感想」だったり「推測」を求めるような質問だったり、教授自身の思想信条を問うような質問、挙句には揚げ足取りの質問まで出たからだ。

もともと私は、政治的な要素や思想信条にかかわるような物事をTwitterという公の場で言うことを避けていました(なぜならそれが紛争の種となることを歴史は証明しているからです)。

今回の様子を踏まえて、個人として意見なり見解なり、反応なりをきちんと出さなければならないと考え、しっかりと考えを述べておりました。

これまでは、私自身、Twitter上で自身の名前を出すことにより自身の発言に責任を持ち、公に残る記録としてTwitterを使っていました。それゆえ、問題が起こりやすい、センシティブかつデリケートな政治のトピックとは距離をおいていました。

今回の衝撃は、その政治というトピックに対する発信の在り方を考え直すには十分すぎるほどでした。どういうことかといいますと、私自身は「これだけで終わらせていいのか」という強い憂慮が残っていたのです。なぜなら、「発言に伴うリスクがあるとはいえ、政治に対して、名前を出している自分自身として、関わりを避けて意見を表明しなかったら、日本について変えられる可能性は減ってしまうのではないか」と考えたからです。メディアに発言の責任を投げかけるような批評家にはなってはいけず、自身の責任をもって、政治に対して考えを表明すべきだと考えました。

そして、同時にこの自身が名前を出して意見を表明すること自体が、最後の、亡くなられた安部元総理大臣に対して自身が個人としてできることであり、これが弔いにもあたると思っております。

しかし、リスクが政治的な発言に存在するのは十分承知しております。政治にはエゴが付きまといます。思想信条はこれを侵害されない、とありますが、この思想信条は時に大きな対立や壁を生みます。

そのため、政治的な発言についてTwitterで発信する場合は、自身で原則を定めたいと思います。

1.批判をするなら必ず、建設的な意見や対案を出す。批評はしない。
2.評価をするなら、明確に言葉を濁さず、客観的に行う。
3.ファクトチェックはしっかりと行い、時には国会質疑の議事録だったり、過去の記録まで読む。
4.あくまでも、経営や経済、マーケティングについての人間であることを自覚し、謹んで行う。

これはこれから改訂や変更があるかもしれませんが、何卒よろしくお願いします。




よろしければサポートをお願いします。 あなたのお力添えが、私のブログ執筆の励みとなります。