劇団粋雅堂『舞台NIGH』を観劇しました。SFやAIについてさまよう感想
―これは、”ひとりぼっち”だったヒトが、新たな知性と出会う物語。そしてヒトと彼女たちが”ふたりぼっち”に戻るまでの、短い季節の物語だ
(C)劇団粋雅堂/作:神田川雙陽 @SUIGADOU イラスト:山口雨 @ametromin
SF者に向けた身も蓋もない煽り
『遥かなる地球の歌』みたいだぞ!あの地味だけどじんわり来る感じが好きなら観に行こう!
誰向けか解らない煽り
黒のゴチックロングスカートが乱舞するぞ!これは聞いてなかった!!目に毒だ!!!
出会いと別れの物語。ただしSFなのでスケールがでかい
出会いと別れは例外なくドラマチックなものであり、サイエンスフィクションに於いても好んで使われてきた題材であります。
アーサー・C・クラーク『遥かなる地球の歌』は、地球滅亡に際し大脱出に成功した人々が住み着いたある星に、別の移民船が補給のため立ち寄るというお話です。星の住民は”旅を終えて安住した人々”であり、船の乗組員は”まだ旅を終えていない人々”というのがポイントです。
それに霊感を受けたであろう新海誠『ほしのこえ』では、地球外勢力の侵略に伴い徴兵された高校生の男女が、文字通り星を隔てるような距離で引き裂かれます。
『NIGH(ネイ)』もこの系譜に繋がるように、立場の違いから離れ行くふたつの集団が描かれます。片方が”ヒト”、片方がヒトの産み出した(孤高の天才科学者、萠葉璃璃が開発した)有機体では無いがヒトそっくりな人工知性体、NIGH。
ヒトの産み出した―?
ヒトは”親”で人工知能は”子”、これは血縁のごとく絶対的なものなのか。
それとも親子と呼ぶには無理があるほど、完全に別個な存在なのか。
それらを受け入れ2つの知性は対等に接しあうべきなのか、あるいは拒絶しあい”親離れ”に至る運命なのか…。
ヒトと人工知能の関わり合いに対する問題提起。10年間のヒトとNIGHの共存の後に両者が辿り着いた風景。それを群像劇によって表したのが本作『NIGH』のオリジナリティと言えるでしょう。
人工知能の夏と冬に
いま、ロボットやAI...「ヒトのつくる、ヒトのようなもの」の研究は短く苛烈な夏の終わりを迎えようとしています。(中略)”人工知能”という言葉は、幾度かのブーム=夏と、その後の失望と斜陽の日々=冬を繰り返してきたのです。(公演パンフレットより引用)
劇の内容とは直接関係ありませんが、作者神田川氏の創作動機に迫るものとして、また私にも心当たりがある点なので特記いたします。というかこれが主旨かも。
1990年代初頭、世にAIブームが起きました。中高年の皆さんは『ニューロ&ファジー』といった家電のキャッチコピーを覚えていらっしゃると思います。
ブームの核となった技術は『ニューラルネットワーク』。神経細胞の格子的繋がりをコンピュータ内に模して、それぞれの格子を調整(学習)していくことにより「あいまいな入力に対し、決まった特定の出力を行う」ソフトウェアが作られました。
これを大規模化し突き詰めていけば脳の働きを模して、いずれは意識を持った人工知能が作れる!情報科学の分野は熱狂に包まれました。これが神田川氏の言う「夏」です。
しかし程なくブームは過ぎ去ります。ちょうどこの頃が私の大学進学に当たっておりまして、良くできた私の友人は実際ニューラルネットワーク研究を目指して進学したものの、途中で他の分野へ移りました。これが「冬」です。
そして現在、ニューラルネットワークは『深層学習(ディープラーニング)』として再び「夏」を迎えています。基礎的な理論は90年代と同じなのですが、主にハードウェアの高速化、大容量化によって”力押し”が可能となり応用の範囲が飛躍的に広がりました。顔認証システムなどが代表的な応用例です。
顔の画像(あいまいな入力)→深層学習機→人物の判定(特定の出力)
ともかくやっと夏が来たぞ!海だバカンスだヒャッハー!
…とは、私は素直に感じませんでした。おそらく神田川氏もそうだったでしょう。なぜか?「AI」「人工知能」という冠をつけられて、深層学習機のイメージが流布されていったからです。
上の図式に書いたように、深層学習機は入力に対して出力を返す箱―ジュースの自動販売機とあまり変わりはありません。それが”意識”を持つということには多くの学者が否定的です。
脳科学の分野では現在、”意識”とは水の入った桶の中で揺れ続ける波のようなもの―脳の各部分が無秩序に共鳴しあって出来る神経活動の波のようなものと予想されています(このへん私の理解に誤りがあるかもしれません)。入力→出力な深層学習機には無いものであり、真の人工知能を作り出すにはどうすればよいのか、人類は未だ端緒すらつかめていません。
深層学習機にまつわる虚飾にまみれたアピールはいつか破綻を迎え、また「冬」が来るのではないか。
ロボット研究者として最先端に身を置いた者としての恐れ、感傷、あきらめ―といったものが本演劇の執筆動機のひとつだったのではないか、と邪推する次第であります。
もちろん思索の結果としての本作は、まがい物ではない”真の人工知能”が実現したら世の中はどうなるのだろう?というシミュレーションであり、人間と人工知能NIGHの同居する風景、一種の理想が描かれておりますので、鑑賞して楽しむには全く問題の無いものになっています。
物語批評っぽい事と、萌え。
大きな寄り道から戻りまして…本作ですが、音声(音と声)に関して独特なものがあり戸惑う箇所があります。
セリフが聴きづらい箇所が多いです。ついでに”鈴の鳴るような声”の女優さんが多いため輪をかけて聴きづらいです。
さらには意図的だと思いますが、セリフに大きな効果音を被せるシーンもあります。ですので、これはもう「全部のセリフを読解しなくても良い演劇なんだな!」「Don't think. Feel.」 というふうに解釈しました。
早口で衒学的、時に冗長な言い回しはNIGHの独特な言語感覚の発露なんだな、と思い始める事が出来ればどんどん楽しくなっていくことでしょう。
上演時間は120分程度で、ストーリーをもうちょっとスリムに出来なかったのかなとは思いましたが、演劇の最小単位である場面場面の描写は演技もセリフも楽しく観られます。キャラも立っています。NIGHの姉妹コンビ良かったなあ(*´ω`*)
演劇に縁が薄いかたは「演劇」と聞いてシェイクスピアとか小難しいもの思い描くと思いますが、全くそんな事はありません。神田川氏は漫画やアニメ、はたまたエロゲ―に耽溺してきたゴリゴリのオタクサブカルチャーの人です。こんな事を言うと演劇畑のかたに怒られそうですが、声優や地下アイドルのスタジオライブみたいな雰囲気と思って頂いても、あながち間違いでは無いです。
メイドさんが出ます。(上は女優さん御本人と本番衣装)このキャラが物語をしっかり引き締めてるもんだから困る。
舞台、演劇の魅力というのはライブステージと同様、映像等をもってしても非常に伝えづらいものなのですが、「表現すること」にご興味がおありであれば、一度は生で鑑賞してみることをおすすめいたします。演劇空間や演者の気迫が直に、身体に伝わってくると思います。
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