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「日月神示」(うへつ巻 第一巻 1-5)朗読と気づき
Meteorがいま全集中で取り組んでいる活動のひとつ
「日月神示」のメッセージをお届けすること。
YouTubeの動画では、日月神示のメッセージをそのままお届けすることをたいせつに、原典の訓読文を朗読しています。
noteには、配信している今現在の私たちが受け取ったこと、気づいたことを書いていきたいと思います。
実は今から18年くらい前、一度手に取り読んだことはあったのですが、あの頃とはぜんぜん違って感じることに驚きながら読み進めている日々です。
人によって時によって、感じるもの、受け取るものが変わってくる。
今日は、「日月神示」うへつ巻 第一巻 1-5 でとくに響いたことば
「見晴らし台とは身を張らすとこぞ」
「身を張らすとは、身の中をカミにて張ることぞ」
「臣民の身の中にいっぱいにカミの力を張らすことぞ」
「富士を開くとは、心にカミを満たすことぞ」
「富士とは見晴らし台ぞ」という前章のメッセージの後に
見晴らし台についてわかりやすく伝えてくれているのですが、
富士山に限らず、からだいっぱいに大いなる(カミの)力が漲るところを見晴らし台だと伝えてくれていたんだな、と知ってストンと腑に落ちました。
カミが宿り、カミとつながれる場所
カミの力が自分自身のからだいっぱいに満ちあふれてくる場所
私たちMeteorは、無意識にもさまざまな見晴らし台を訪れてリトリートをしているんだな、という気づきとワクワクと勇ましさと
そして、昨日のnoteにも書いたように、自分の内に宿る無限の宇宙とつながることこそ、カミとつながる感覚なのだと私たちは感じています。
雄大な自然を仰げる場所は素晴らしい見晴らし台に違いないのですが、それに限らず、いつどこにいても自分が今いる場所が見晴らし台になる。
そんな自分でありたい、そしてそんな仲間たちと手をとりあって新しい世界をつくっていきたい、という思いもまた強く深くなった章でした。