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ポジティブシンキングの一歩手前にある思考
なんだかとっても理不尽だよな。
と思うことがある。
生きていれば納得いかないことなんて、たくさんある。
そういうネガティブ感情に襲われた時は、気持ちを無理やりにでもポジティブに保たなければ…と思ってきた。
嫌だな…嫌だな…と思っていたら、うまくいくこともうまくいかなくなるから。
愚痴めいた人のところには、人は寄り付かなくなるから。
そうならないためにも、マイナス感情にはふたをして、ポジティブ思考にらないと。この状況を意識的に明るく捉えるべきなのだ…。
でも。
それって感じていることに無理やりふたをしているようなものだ。
無理やりに明るくしたって、心の奥底にある不満は消えない。
自分を偽っていくと、ただただ病んでいってしまう。
明るくなれない自分にまで嫌気が差してきたりする。
以前の職場にいた頃は、毎日が嫌なことのオンパレードだった。
仕事を増やされたり、何の断りもなくシフトが長くなっていたり、会社の使いたいように使われることに、いつもいつも怒って不満でいっぱいだった。
頭にくるようなことがそこかしこに転がっていて、それが普通だった。
けれども、そんなことも日常茶飯事になってくると、怒ったり、不満を持ったりすることすら、面倒くさくなる瞬間がたまにあった。
それは半ば、あきらめにも、感覚麻痺にも似ているけれど。
いちいち感情を荒立たせることすら無駄だな…と思って、
「そんなに気にすることかよ」と、自分でスルーを決め込むと。
不思議と精神が安定するような気がした。
何だろうこの感覚は。
無理に明るく捉えて、マイナス感情を塗り替えようともしていないし、「まあ、何事も経験だ。がんばろう!」と不自然に自分に言い聞かせることもしていない。
「うわ、嫌だな」という自分のありのままの気持ちを、一度受け止めたうえで。
「でもそんなに気にすることか?気にするほうが疲れない?」と手放した。
何かが軽くなる感覚が、確かにしたのだ。
仕事を変えてみても、「それってどうなの?」と思うことはたまにある。納得いかないな、自分の考えとは違うな、と思うことって、この先もずっとついてくるだろう。
それで、嫌だなと感じることも、きっと出てくるんだろう。
でも、いちいち反応していたら、もっと自分を消耗する。
自分が悪感情を抱くことで、その嫌なことは立ち向かうべき問題としての「価値」を持ってしまう。
そして、本来の悪影響よりも深く、私からいろんなパワーを吸い取ってしまう。
むやみやたらに重く受け止めすぎない。
プラスに転換もしない。
問題として、取り上げない。
ただ、ありのままを受け止めて「あーそうなんですね」と波絶たない心で接すると、そこにあったはずの、私を悩ませていた「嫌なもの」は急にすっと見えなくなったりする。
そうして生まれた余白に何を詰め込むか。
余白を作れば、明るいことも考えられる。
そうして好きなことにフォーカスするとこで、やっとポジティブになれる。
いろんなことをスルーする。
かわす。
そうしたほうが、時間はたのしく過ごせるんじゃないだろうか。