「頭がいい」ということは、「知っている」ということ。
この間、読書会に行ったら「GAFA」の本を紹介している人がいた。
ビジネス用語に弱い私。
GAFAがなんであるのか。
知っている前提で話しがどんどん進んでいく中、頭の中は???ばかり。
わからないまま聞いても、しょうがないので、
「GAFAってなんですか」
という質問を恥をかなぐり捨ててそのまんまぶつける。
ほんとわかんないことはさっさと聴くに限る。
GAFAとは・・・
G Google
A Apple
F FaceBook
A Amazon
というアメリカの4大企業の総称なのだそうだ。
なるほどなるほど。
ふたを開いたら、全部知っている言葉じゃないか。
システムエンジニアとして働いているらしいその人の話では、この4企業は、根本から会社の仕組みが他と違うらしい。
そして、その仕組みが違うことで何が起こるのかと言えば、まったく同じ仕事をしているのに、お給料が他の会社よりいいんだって。
詳しい仕組みについては語られなかったけど。
作業効率とか、生産性が高いってことなのかなー。
ということくらいしか予想できない。
仕組みを知らずに生きていくのは損だと学んだ、って言ってた。
確かに。確かに。
とてもわかりやすい例がギャンブル。
宝くじよりもパチンコ。
パチンコより競馬。
競馬よりカジノ。
仕組み的に考えると、この順番で儲かる確率が高くなるらしい。
もしわずかなお金しかなくて、一攫千金を狙うときにこの比率を知っていたらな、やっぱりカジノを選んじゃうのかな、と思う。
日本にはないけどね~。
そういえば、少し前に読んだ北村薫の本に、「続・二銭銅貨」という話があった。「二銭銅貨」はもともと江戸川乱歩が書いた短編小説。
北村版の続編のなかでは、乱歩ご本人が登場して、二銭銅貨の犯人のモデルとなった人物との対峙が描かれている。
続編とはいえ、物語自体の続きではなく、作者の後日談といった感じ。
そのモデルの人物は、乱歩に「二銭銅貨」の着想を実体験として提供した人物なのだけど。
「僕は自分で書いておきながら、どうもこの話にはおかしなところがあると思うのです。実際は違ったのではないですか??」
と言って、物語における欠陥を乱歩の口から指摘させている。
好きな人にとってはたまらなくおもしろい展開なんだけど。
「続・二銭銅貨」というだけあって、「二銭銅貨」のことをしらない人は、完璧に置いてけぼりを食らう。
二銭銅貨のあらすじに関する情報は一切ない。
私は好きでも、読んでかなり時間が経って忘れていたので、ネットでもう一度読むはめになった。(楽しい)
そうしないと、本当に意味が分からない。
北村薫は、「二銭銅貨」を読んでいない人を、完璧に相手にしていない。
良く言えば、あの名作に人々を誘導させようとしている。
(北村先生は著書を読むほどに「このひと乱歩大好き人間だ、絶対」と思う(笑))
社会的仕組みについて知ることも、物語の大前提を知ることも、なんとなく構造は似ている気がする。
社会でうまく立ち回れる、物語を深く楽しめる。
知らない国の言葉を知っているか否かでも、世界の広さは違ってくるだろう。
私は小学生の時から、頭が良くなりたいと思っていた。
卒業アルバムの「一つ願いがかなうなら」のコーナーには、そのまんま、そう書いてある。
なんとも夢がないお願いごとだ。
とにかく勉強ができるようになりたかった。
でも、ケアレスミスばかりするし、苦手なものはがんばっても、ちょっと良くなるくらいで苦手なままだった。
いまだって、かなっている気はしない。
しかし、頭の良さって何だろう。
テストで100点取ること?
クラスで一番になること?
良い大学にいくこと?
頭の良さって、どこか先天的なものな感じがして、それが「エリート」みたいな言葉に連なってくると、ほど遠いものに見えても来るけど。
結局、頭の良さを構成するものって
知っているか、知らないか
なのかもしれないな、と思う。
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