気持ちがぐちゃぐちゃな時は、掃除をしよう。
この1週間気分が落ち着かない。
ちょっとた言動にイラッとしたり、急に寂しくなったり。
なんだか情緒不安定である。
何か栄養不足かなと思って、メランコリックな気持ちの原因を突き止めようと、「わけもなく悲しい」とググってみたら、
そりゃ、あんた鬱だよと答えが返ってきた。
うーん、鬱に陥るほど病むような問題は、悲しいことに持ち合わせていないんだよな、と思う。
ここ一年、人生は結構自動操縦で、何にも立ち向かってはいない。
ゆるゆるゆるゆる時がすすんでいく。
悩み事…強いて言えば、上に住んでいる人の騒音が気になる。
毎日毎日足音がうるさくて、一度注意を入れてもらっているにも関わらず、どすどす、どすどす音がする。
ベッドが高いのかなんだか知らないけど、毎朝決まった時間に飛び降りるような、どしん!という衝撃音もする。
ゴリゴリ何かをひきずるような音もする。
今まで音がしてげんなりするたびに、昔のダウンタウンのごっつええ感じのコントを思い出して、なんとか気を紛らわせていた。
世代じゃないんだけど、親が好きだと子にも遺伝する。
夜な夜な受験勉強をしている浜ちゃんが、上階から響いてくる物音に悩まされ、ああああもう!うるさい!!!文句言ってやる〜!!と怒りいっぱいで階段を駆け上がり、抗議しに行くのだけど、ドアを開くと予想外の光景が広がっていて、いつもポカンと拍子抜けしてしまうのだ。
室内で、複数のゴリラが大暴れしていたり、博士に扮したまっちゃんが不可思議な実験をしていたりして、浜ちゃんも抗議しにきたのも忘れて、「見ててもいいですか?」なんてとぼけたことを言う。まっちゃんは「ダメだね」、と言って追い返す。
ドアの先にある変な光景は何パターンかあるのだけども、わたしの上の階の人もそういう訳のわかんない事態ゆえの騒音だと思ったら、少しは笑けてくるかな、と思う。
だから、きっとダンサーが住んでいるんだとか、きっと毎日模様がえしないと気がすまないんだ、とか、ベットから起きるときに立ち幅跳びでもして、毎日飛翔距離を記録して、昨日の自分と戦ってんのよとか、なけなしの想像力で容認してきたわけだ。
脳内で浜ちゃんになり、部屋に抗議しに行く。
そしてポカンとなる。
これでいいんだと思っていたんだよ。
しかし、精神的に疲れているとき。
帰宅して、待ってましたとばかりにどすどすされると、頭にきてしまった。
要するに積み重ね。
溜まりに溜まったものが切れた。
抗議の意を込めて、強めに足踏みしてみた。
そうしたら、特大のドシーン!が返ってきた。
こちらの意は確かに伝わり、それが相手方にとっては完璧に釈に触ったらしい。
それ以降、どすどす音も改まるどころか気持ち酷くなった。
まいる。
ネットなんか調べると、共同住宅におけるこの手のトラブルは星の数ほど例がある。わたしのような悩みを書き込んでいる人もいる訳だけれど、そういう人の回答には、「かべを蹴るあんたも悪い」という意見がほとんどだったりする。口があるんだから、口で言えと。
確かにそのとーりなんだよ。わたしのやり方が悪かったのは認めないといけない。
やっちまったなーとも思うよ。
でも、一回管理会社を通して抗議文まで送っても直らなくて、毎日毎日やられると流石にイライラもするじゃないか。人間だもの。
都心のご近所付き合いなんて、ゼロに等しくて、あったこともすれ違ったこともないのだけど、遠目にみたことはあって、ひょろひょろ背の高い男性だった。失礼ながら、うど野大木さんと呼ぶことにした。
はい、悪口。悪口。ごめんなさい。
図体が大きければ、音も響くってことで多めにみるべきか。というか天井をつつくまでもなく、足踏みでしっかり伝わるなんて、この家も家だな、と思う。都心の住まいなんて家賃は高いくせに、こんなものだ。
もうこわいからひたすら無視を決め込むことにする。
もしくは、どすどすタイムの始まりだーい!いえーーい!!!やれやれー!と拍手して1人盛り上がってみたりする。
うーん、平穏に暮らしたい。
なんとなく、何か運勢の巡りが悪いような気がした。
そういうタームに入っているなぁ、と思うことがたまにある。
攻撃的になるし、イライラするし、悲しくなるし、負が負を運んでくる感じ。
もう、そういう気の巡りに入っている時は仕方がない。
何をやってもうまくいかない日、みたいなものだから。
そういう時は、流れを変えるために大幅に断捨離するか、友達と思いっきり喋り倒すか、本格的な大掃除をする。
で、今回はお掃除をしてみた。
キッチンのシンク、排水溝、お風呂周り、洗面所、お部屋の掃除機がけ。
床掃除。
全部片っ端から磨き上げてみた。
いつも以上にしつこく、念入りに。
おまけにお天気が最高にいいので、お布団も干してほかほかに。
溜まった汚れを浄化すると運気も良くなりそうだと思う。
そういう意味で、うまくいかない時は掃除!と決めている。
けれど、一人暮らしを長年していると、気持ちが乱れているときに掃除をするのには、浄化とはちょっと違う効能もあるような気がする。
昔、好きだった本の主人公のお母さんが、怒るとひたすら掃除をする人だったことを思い出した。
パパと喧嘩するとママはいつも掃除をする。
でも、なんでもないふりをして、勢い余ってお皿を数枚割っちゃうんだ。
なんて、書いてあったような気がする。
当時はなんてことない設定に思えて、ふーんくらいにしか思っていなかった。
なんで掃除なのかもわからないけど、そういう人もいるんだ〜って、ちょっと意外で印象に残った。
でも、なんだか今は、その心理がすごくわかる気がする。
思いっきり掃除をするとなんだかすごく無心になるのだ。
ここの汚れを落としたい、とかもう少しで綺麗になる…とか、目の前のことに酷く集中している自分に気がつく…。
そうして過ごしていると、自分の落ち着かないメンタルのこととか、2階のうど野さんのこととか、くるくるくるっと小さく折りたたまれて、ゴミ箱にポイっと捨てるように、ぜーんぶどこかに消えてしまったりするのだ。
絵を描くとか、映画を見るとか、我を忘れるフロー体験って大事だなと思うけど、いつもいつもうまく入り込めるとは限らない。
だけど、掃除はいつでも思考が沈下して、無心で何かを磨いていたりする。
本当に気持ちが無になる。
そして、気がつけばまわりはピカピカ。気分もスッキリ。一挙両得。
小説の中のママさんもそう言ってたような記憶。
書いたのはあさのあつこさんなのだけど。
やっぱりこの設定は適当な思いつきではなくて、実体験に基づいているのではないだろうか、と今思う。
そうして自分が小学生の頃、行き当たりばったりに小説を書こうとしていた時のことを思い出す。
書きたいところから書き始める。
なんとなく、こんな設定もつけとこうかな、なんて。これまた行き当たりばったりに、登場人物の特徴を決める。
あー、プロの小説家というのは。
細部にわたり、意味のないことは書かないものである。
大好きだった児童書の謎が軽く10年以上経った今解ける。
これだから、書ける気がしないのだ。
お掃除して、気持ちスッキリ。
ちょっとした発見もあり、ショッピングもして、読書をしながら大好きなナナズグリーンティの抹茶もたのしめた休日だったから、結論。
また1週間頑張れそうだ。
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