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瓜生中『よくわかる山岳信仰』
書評はこちらです。
山は古くから信仰の対象だった。現代広く信仰されている宗教の多くはそれぞれが厳格な教義を持ち、その教義を守りより良い暮らしを送るという形である。その一方で、山岳信仰の始まりとなったものは具体的な教義を持たない。昔から人々は、日々の生活が豊かであることを山にいる「何か」に対して感謝し、山に対して畏敬の念を持って暮らしていた。
ここで石川啄木という詩人のある歌を紹介してみたいと思う。
ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな
この短歌は、彼の歌集『一握の砂』に収められている。石川啄木は岩手県の出身であり、この中で歌われている「ふるさとの山」は岩手山のことだとされている。
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古くから岩手に住む人々にとって岩手山の存在は故郷のシンボルだった。彼もまた、シンボルに思いを馳せ故郷を想った。
現代に生きる私たちは、じっくりと山を眺め、更に山に対して「ありがたい」と感じることは殆どない。しかしながら、帰郷をした際に見る地元の風景に対して言葉にならぬ安心感を覚える事はあるだろう。その安心感こそが「ありがたい」の源なのだ。是非一度故郷の山をじっくりと眺め、遙か太古から続く山岳信仰を体験して欲しい。