キリスト意識とその伝えが残す伝達が残したメッセージ(教訓、反省)
キリストはその救済情報を「真実」として語り伝えたが、
それを受け取った者がさらに言語化した場合、それぞれ受け取り者のボキャブラリー、理解度、認識内容の差異の影響によりその真実にはある程度の歪みが加えられ、さらには宗教や政治利用、金集めなどに利用するためという救済意図ではない別の意図の混入やアレンジなども加わり、もとの真意から遠ざかりその救済情報は見失われてしまった。
この伝達後の悲惨な結果自体がメッセージすることは、真実をコンセンサス概念に落とし込むための言語化行為は出来ないに等しいのか?ということだ
さらにこの気付きはメタなメッセージとして示唆する。
真実を真に理解した複数の受け取り者が、綿密にお互いの理解を確認しながら言語化すれば、まだ真実を知らぬ他者大勢に伝達することが出来、コンセンサス可能な新しい概念としてコンセンサスを
獲得できる可能性があるということだ。
具体的で理想的な複数での確認方法は、すでに理解者により言語化をされたもの(1)を、感覚的には理解しているものも含めその言語化されたものを読み込み、その感覚的だった理解をさらに言語化済みのものとも照らし合わせながらその理解を咀嚼したものをさらに言語化し(1’)、
最初に言語化を行っていた者(1)がその受け取り者の理解度(1’)を確認しそれが間違っていない場合、1’に対して二者間内でのコンセンサスを得ることとなる。
また、もとの言語化(1)の理解者、及び同意者は新しい視点からの真実の理解(1’)を見ることになるので、咀嚼済の消化しやすい情報を含む二つの伝達度を増した1+1’を再受け取りをすつことともなり、さらに他の理解者候補へもコンセンサスを取りやすい言語化内容(1+1’=2)として、さらに伝わりやすい真実の言語化(2)を生むことになるはずで、(2’)を言語化することになる受け取り者へ伝えることが出来ることとなる。
(以降、同プロセスを繰り返すことで、2+2’=3、3+3’=4、…となり、10まで行かなくてもサルでも分かる真実5ようなものへの到達が期待できる)
追記:
他我化が究極的に蔓延したこの世界では、逆にコンセンサス済の情報は間違いのないものとして鵜呑み的に取り込まれるので、
真実をコンセンサス可能なものまで磨き上げれたとすれば、その全体への伝達は爆発的スピードとなることが容易に推測でき、
その真実が救済情報であれば一気に救済が起こることが期待できる。