題名のない人生——KulfiQ『無題』
タイトルを付けるのは難しい。そのくせ、やたら目立つ。
このnoteも、幼い頃に作った曲も、描いた絵も、いやメールですら、何か作れば決まって「タイトルを付けろ」と言われる。実際、今はタイトルに「——KulfiQ『無題』」とだけ書いた状態でこのnoteを書き進めているし、今のところタイトルは全く思いついていない。
メールならまだいいだろう。
「○○の日程のご相談」とか、「△△の確認依頼」とか、本文にはその内容しか書いてないのだから。
でもタイトルを要求される大抵のものは、そんなわかりやすいもんじゃないから困る。
そんな綺麗に一言で言えるようには、作ってないし、考えてないし、生きられない。
*
KulfiQ『無題』。「社会人たいへんだね」って趣旨の曲。※1
冒頭から軽快なギターリフが音楽を進めてくれるのに反して、歌はどうにも立ち止まっている。
その場で呟くように始まる「最低で最悪な意味を」という出だし。ほとんどドレミソの4音で手を動かさず弾けてしまうAメロ。ずっと俯いている動画の女の子。
誰に問いかけも呼びかけもしない歌が、妙に明るい他の楽器たちと対照的に映る。
サビに入るとドラムが倍の拍で叩き出して、メロディも思い切って3歩で1オクターブ上まで足を運ぶ。だけどその歩みは推進力にならなくて、かえって音域の上がった声はいささか線の細い息に聴こえて苦しい。
そして2番の(やっぱり1番とはメロディがちょっぴり違う)Aメロが終わったあと、さもBメロのような顔をして先のサビで聞いたメロディが覗く。
何回目かのサビで急に囁くように(大抵、弱さや本音を)歌ってみせて、パキっと元の音量に戻る、という曲はよくあるように思うけれど、どうにもこれはその類に思えない。
同じフレーズで始まるのに、確かにそれは違う役割を持つ。そしてそれは不思議と同じことの繰り返しには聞こえない。
そうやって2回、言葉を絞り出すように音を紡ぐと、音域を下げて最後のサビ。ドラムを連れて、無理をしない息は安定していて、何かを受け入れたように落ち着いてる。
歌の最後、動画の女の子の表情が変わって微笑む瞬間がとっても好きだ。
変わらなくたって、サビみたいにもBメロみたいにもなれる。
逆に、1番と2番でおんなじことをしなくたって、人は意外と気付かない。
原稿用紙に、『無題』を書いた
10年越しの感想文
先生、ちょっと遅くなりましたけど
今の、僕の、生きてきた道です
変わんないような日々だけど、だからって一貫した何かはないけれど。私の『無題』も、それでいい。
*
学生時代、部活でいくつも掛け持ちした係の仕事に明け暮れて「仕事好き人間」を自負していた。もっとこうしたらよくなる、自分たちで変えてやる、それは何にもコントロールされたものでない(と思っていた)。
最低な日々だと愚痴る間にも
絶えず、歯車は回り続ける
いつしか、その流れに組み込まれて
今だって、仕事は好きだし楽しい。
けれど、社会人になって改めて聴くと、何故かぎくりとする。
そう、知ってるんだ、来年度はどんなテンポかも調かも私には分からないって。
そんなちっぽけな会社員だけど、まあ、ここで今日も、題名のない人生を歌っていようか。
※1 KulfiQさんのブログより(http://kulfiq.seesaa.net/article/393969182.html)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?