夏とは、青いことだ ——n-buna「アイラ」
青くない。
カレンダーを見れば8月で、いつからか足元に死にかけのセミがいないかヒヤヒヤしながら歩いていて、外の日差しは容赦ない。
だけど、「夏だなあ」と思うには何かが足りない。
そりゃ今年は——2020年の夏は例年と違う。でも別に元々夏だからって海に行ったりプールに行ったりフェスに行くようなことはしていない。でも何かが足りない。
そう、青くない。
何をもって青さを得ていたのか分からないけど、吸い込まれるような青を見たかった。
*
n-buna『アイラ』を聴こうと思った。
本作はニコ動に投稿されたものと、アルバム《カーテンコールが止む前に》に収められたものがあって、それぞれはちょっぴり違っている。(めちゃくちゃ余談だけど、私が人生で初めて自分で買ったCDは《カーテンコールが止む前に》だ)
そう、ちょうど《負け犬にアンコールはいらない》と《盗作》の「爆弾魔」のように。そういや大学の音楽学の講義で曲の定義みたいなものについてやったとき、n-bunaさんの曲のこと考えたっけ。「劇場愛歌」もそうだし、n-bunaさんの曲は少しばかり持ち物を変えてもう一度やって来てくれるものが多々ある。
わたしは大体そのどっちも好きなので、以下ごちゃ混ぜで『アイラ』の話をする。
1. mikiの声
CD版で歌うのはmiki。何を隠そうも隠すまいも、私はn-bunaさんのボカロの中でmikiがいちばん好きだ。
n-bunaさんの使うmikiの声は、ぎゅっと抱きしめたくなるような、かと思えば抱きしめられているような、折れそうで強い力を持っている。
泣きそうで震えそうで、強い。陰を知った生。それでも、だから、生きよう。
めちゃくちゃ勝手にコピーをつけるなら、そう言いたい。
2. 「Aira」
曲名、「アイラ」。歌詞中では最後に1回しか出てこないが、動画を見ていると何度も何度も見ることができる。
そう、ふとした歌詞の切れ目に「Aira」の文字が浮き上がるのだ。
それは、音を伴わない。叫びたいのに、叫べない。見ていると次第に、なぜかこちらまで息が詰まって苦しくなってくる。
そうやって耐えた最後——mikiはようやっと「アイラ」を澄んだ高音として放ち、それは気持ちがいいほどに、どこまでもどこまでも伸びていく。そこまで息が持つボーカロイドが、いささか羨ましい。空に消えていくのを追ううちに、先の苦しさからは自然と解放される。
多くを主張しない「Aira」と、どうにも入ってくる真っすぐな「アイラ」——その表記も、それに一役買っているようで好きだ。(たぶん、「アイラ」って何度も文字が出てきたら、やや鬱陶しいんじゃないだろうか)
3. 青(くて白)い空
これにたくさんの説明は要らない。言うまでもなく、その動画は青い。
ただ、同時に、それは意外なほど白さによって補強されていることに気づく。
青と白を混ぜて水色だと、あんまり夏っぽくない。どっちかっていうと冬っぽい気がする。
歌詞中でも「青く」と同じぐらい、いやそれ以上に、「白く、白く、白く」と歌う。夏の青さは、白に支えてもらわないといけないのだ。
*
アイラのすきなとこは、まだいっぱいある。「連れ去ってみて」に代表される補助動詞「てみる」とか「てしまう」が、どこか心に引っかかるようなニュアンスを付加してくれることとか、ある深夜に聞く「何をどうやったって今日が来て」という歌詞に泣きそうになってしまうこととか。
でもいちばんは、やっぱり青いことで、フルスクリーンにしてPCの画面いっぱいにそれを見たい。
うん、夏だ。
動画の中の女の子が着てるような、白くて青いワンピースが欲しい。
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