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どうせ面白いを撲滅する運動:『サンドマン』

まさかの、この時代にサンドマンシリーズが再刊というか復刊というかされることになり(ドラマ化のおかげなのか?)、当然のように買い集めてはいるが読めてはいなかったのでここで。以前も企画が出て立ち消えた記憶があるから疑っていたけど、本当に刊行されるとは。

刊行順としての最新刊でありつつエピソード0的な物語でもある。おなじみのキャラクターたちを『プロメテア』作画のJ・H・ウィリアムズ3世が描いていて豪華。作画の繋がりではないけど、『サンドマン』はニール・ゲイマンの『プロメテア』的な物語とも言えなくもないような気がしてくる。主人公がドリームなので陰気さでは勝っているけれども。本編後半の自分がまだ知らないエピソードと呼応するような要素も多々ありそうで、シリーズを最後まで読んだら再読してみたい。

Netflixのドラマは忠実に冒頭からやったのだなと。気合の入ったカバーアートに比して、本編の絵柄はあの頃のアメコミっぽさの強い絵柄(あとがきにもある通り、その辺は紆余曲折あったようだ)。申し訳程度に登場するDCコミックスのキャラクターに笑ってしまう。ジョン・コンスタンティンは流石に馴染んでいたけれど。

物語もわかりやすく、ドリームを主人公にしたモンテ・クリスト伯的な流れ。ただ、ドクター・デスティニーはあの絵柄だからこその怖さみたいなものも出ていて、語り口もそこからフェーズが変わる。「24時間」はドラマよりちゃんと過激。

ドラマでも出色の出来だった「翼のはためき」は、コミックでも素晴らしい。ドリームの姉:デスの優しいキャラクターは、単に「死」にまとわりつく負のイメージを裏返したわけではないことが、既に初登場のこの時点で示されている。デスは、「死」が人にとってどういうものなのかという作者の思想であり、どういうものであってほしいかという願いが反映されたキャラクターなのかもしれない。

ドラマでは構成の都合でオミットされていてた「砂漠の物語」は、前巻の「地獄の望み」でちらっと登場するナダが何故地獄に囚われたかが語られる物語で、民話風の語りが好み。なんとなくのイメージだけど、ラファティの短編にありそう。

ドリームが囚われた間に起きていた異変(眠り病)から、この巻の主題「人形の家」までが、デザイアとディスペアの陰謀というか戯れだったことが明らかになるものの、その部分はあまり本質的ではない。ある側面では永遠に未熟なドリームだが、エンドレスという存在が人間に対してどういった存在なのかはハッキリと自覚している。まぁ、そんなことにデザイアが興味を持つわけもないが。このあたりは『アメリカン・ゴッズ』にかなり近いというか同じテーマだ。

ドラマ版は大筋コミックスと同じであるものの、特にこの「人間の家」編で細かく設定を変えていて、その部分が興味深い。リタの設定を変えてローズの保護者にしたことで、コミックスとドラマでは印象が全然違う(そもそもコミックスではローズとリタに直接の関わりはない)。ドラマでは夢のサンドマンはジェドになっているが、コミックスではヘクターがサンドマンを名乗って夢に囚われており、その最後も含めて物悲しさに味わいがある。逆に、忠実にビジュアルを再現しているコリント人やギルバートは、ドラマ版でも印象にそこまでの差はない。

一見して本編とは無関係そうに見える「運のいい男」が「人形の家」に組み込まれているのは、オチとしてあるドリームとデザイアの対話と静かに呼応し、「どちらが操り人形か?」という問いに別の答えを与えるからだろう。我らは単に友人であり隣人なのだと。

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