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AIは人間観をどう変えるか、「記録」から「生成」へ

今がAIの黎明期だとすると、20年後、私たち人間はAIとどのように共生しているでしょうか?おそらくAIの普及を通じて人間観がAI風になるはずなので、AIと人間の区別が曖昧になり、AIは人間の暮らしに自然に溶け込んでいるのでしょうね。

将来を予測するに際して、次の3段階に整理できそうですね。

①新聞・テレビ
②インターネット掲示板・SNS
③AI

まず①新聞・テレビと、②インターネット掲示板・SNSの関係について整理します。
2000年代、インターネット掲示板やSNSは普及したけど、これらは当初、テレビに寄生していましたよね。2chでテレビアニメを語るスレッドが盛り上がったり、SNSでニュース番組を「報道が偏っている」と批判したり…。ネットや掲示板などのニューメディアは、新聞やテレビなどの旧来メディアをネタとして取り上げていたに過ぎず、旧来メディアなくしては成立しなかったはずです。

その後、テレビや新聞などのオールドメディアは、逆にネットやSNSを取り込むようになりました。テレビ番組の企画で「SNSで友人の友人の友人…を辿っていくと有名人に行き着く説」が検証されたり、ニュース番組を作る情報源としてSNSが必須となったり…。あるいは2020年現在、アニメやドラマなどのエンタメ系番組は初動が大事であり、「いかにリアルタイム放送中にSNSで話題になるか」が勝負であると聞いたことがあります。第1話の放送が話題になれば、その後の見逃し配信(有料版)も多くの人に見てもらえるし、コラボやグッズ展開なども開けてくる、と。今や、新聞・テレビとSNSは相互依存の関係にあると言えそうです。この辺りの議論は、岡田斗司夫がどこかで話していた記憶があります。

さて、以上の見方は、AIが普及した未来を予測するうえで役立ちそうですよね。要するに、今はAIの黎明期なので、AIは旧来のネット・SNSに寄生している段階だけど、いずれAIとインターネットが相互依存するということですね。

では、AIとインターネットが互いに溶け合うとは、具体的にどういう事態なのでしょうか?色々考えられそうだけど、少なくとも私たち一般ユーザーにとって、「Google検索」と、「AIによる都度生成」との区別がつかなくなるのではないかと思われます。

今現在、黎明期にあるイラストAIでは、「金髪美女が喫茶店でコーヒーを飲んでいる」と文章を入力すれば、その通りの画像が出てくる。ユーザーの使用感としては、「金髪美女が喫茶店でコーヒーを飲んでいる」という画像をGoogle検索しているのとあまり変わらないのですよね。

これはイラストAIの仕組みを考えると当然の話で、今のイラストAIはネット上に大量に存在する画像を学習している段階、つまりネットに寄生している段階です。ネット上に存在する画像の多くはスマホで撮影された画像でしょう。つまり単純に図式化すると、「スマホでリアル風景を切り取って画像化→ネット経由→イラストAI」という構図ですね。この構図が、画像・映像・立体情報・文章、etc...あらゆるジャンルに波及すると、どうなるでしょう。

半ば私の妄想だけど、「20年前の私は何をしていたのか」を検索する感じで、「20年前の私は何をしていたのか」をAIに対する指示文として入力すると、指示通りの画像や文章が出力される…という未来が2045年辺りに訪れてそうな予感がします。たとえば「3日前(2045年X月X日)の私の夕食を教えて」という質問だと、生成画像の再現性が高く、「20年前の今日(2025年X月X日)の私の夕食を教えて」という質問であれば、参照できる情報が少ないので生成画像の再現性は低くなる。現在の私たちにとって、30年前のVHS映像の画質が荒いのと同じです。そして2045年頃、私たちの孫世代の人間にとって、生成画像の正確性はさほど重視されないのではないか。

この数十年を通じて、記録メディアが普及しました。VHSの普及によって映画は後から何度も見返すことができるようになったし、スマホの普及によって私たちの生活は簡単に記録できるようになりました。総じていえば、私たちの暮らしは、「今、この瞬間に集中すること」から「記録すること」へと移り変わったといえそうです。そしておそらく今後、AIの普及を通じて、「記録すること」から「生成すること」へと変化するはずです。

「生成」と言っても「創造」と言っても良いけど、映画を撮るとか、芸術作品を創り上げるとか大げさなものではなくて、「金髪美女が喫茶店でコーヒーを飲んでいる」と検索窓そっくりの入力窓に打ち込めば、その通りの画像が出てくる。このとき画像の著作権は文章の入力者に認められるはずで、彼は画像を生成したといえます。いわばカジュアルな画像の大量生産ですね。本人は画像を生成しているつもりがなくても、実は都度生成しているという。過去の記録を検索する要領で、実は、画像・映像・立体情報・文章、etc...を都度生成しているという。そんな感じ。

冷静に考えると、私はかなり変なことを言っていますね(笑)。「検索≒生成」ということは、「コンテンツに辿り着くための検索行為がコンテンツを生み出す」と言っているに等しいですからね。「2001年宇宙の旅」と映画名を検索すると、1本の新作映画がAIによって創り出されてしまう。たぶん過去の試聴履歴から「2001年宇宙の旅 歌舞伎版」とかが勝手に提案されて創り出されてしまうのですね。100万人が検索すると100万通りの「2001年宇宙の旅」が生成される。あかん、自分の話に悪酔いしてきた...。

私は記録を重視する時代に生まれました。私は検索型人間であり、歴史的事実を重視する人間です。「誰がいつどこで何をしたのか」という歴史的事実を確定するために、Google検索でヒットしたいくつかの資料を相互参照するタイプの人間です。が、AIの普及を通じて人間観が変わり、「生成」が重視される時代にあっては、旧来のネット検索型人間は老害扱いされるのでしょうね(笑)。歴史的なパースペクティブの持ち主が激減し、人類史的にほぼ無価値なコンテンツが大量生成されフローし続ける時代にあって、旧来のネット型人間は珍しい味のコンテンツ(賞味期限3日)を提供するくらいはできるかもしれませんが…。

一方、SNS型人間はどうなるのでしょう?「今夜はどうやってAIに楽しんでもらおうかな」などと考えつつ、意外とSNS型人間は視聴者AIと楽しくやってるのかもしれませんね。もう正しさにこだわるのは古いんだよ…。これからは楽しさの時代なんだよ…。楽しければいいじゃない…って、それじゃ自慰に耽る猿と一緒じゃないか…。まったく同じことを30年前にも言ってた人がいたな…。なんだか私はキーワードを羅列してるだけだな…。歴史が終わり、暗黒の中世がはじまる…。これすなわち、ユーザー天国である…。欲望を刺激するだけのコンテンツの洪水の中で動物化したって別にいいじゃないか…。楽しければいいじゃないか…。この状況は何かに似ている…。大量生成されたコンテンツ、歴史的に価値がなく、快楽を追究するだけのコンテンツ…そうだAVだ…。

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