技能五輪という舞台
1996年1月。
振り返るともう28年も前のことなんだなぁ。
高校3年生だった僕は、とある場所へ引越しの準備をしていた。
前の記事で触れたように、企業学校なのでこの時期はもう会社の配属先が決まっている。
他のみんなは10月から各工場で実習を行って、3月の卒業式に戻ってくるって感じだけど、僕の配属先は至近距離だったので学生寮に住み続けた。
引越しの理由は、技能五輪の選手に選ばれたから。
秋ぐらいから選抜訓練に参加したが、1次選考、2次選考をパスして晴れて訓練生になったというわけ。
晴れて、というけどやる気はなかったのよ。
訓練が厳しいというのは学生の間でも有名な話で、ティーンエイジャーにとってはこれから訪れるであろう青春を棄ててまで…という感覚だ。
僕はそんなに人生に対してストイックではない。
けっこうな期間押し問答があったけど、結局は大人の説得に負けて、といった流れでやることになった。
訓練生の1日の流れとしてはこんな感じ。
6時起床→朝食→7時半出勤→掃除→ジャージに着替えてグラウンド集合。
ラジオ体操の後隊列そろえてトラックをジョギング。
1周回ったと同時に手ばたき。
ストップウォッチで1600メートルの全力疾走を測る。
前日より遅かったらもう一本。
走るのが嫌いな僕にとって、最初の地獄。
この頃は6分近くかかったけど、1年通して4分50秒くらいまで縮まったのは身体が出来上がったんだろうな。
その後腕立て、腹筋、背筋を20回ずつ。
寒い朝に、顔から湯気が出る。
訓練場に戻り、朝のルーティーン。
技能五輪といっても色々なジャンルがあり、僕は構造物鉄工という職種の選手。
息も整っていない状態で、ガス溶断の要素訓練をする。
厚さ6mmの鉄板を切って、窓を切り抜いて、歪を取って時間を測る。
もちろん寸法も測る。
構造物鉄工の組立精度は、すべてガス溶断にかかってくるので、どんな部品でも±0.2mm以内で切らなくてはいけない。
時間だって最初の頃は1時間以上かかって泣きそうだったけど、最終的には20分くらいで終わるようになる。
まぁそんな感じでガス溶断に始まり曲げ、組立、溶接、ボール盤など必要なスキルをひとつずつ学んでいって、鋼鉄製の作品を作り上げるのが構造物鉄工の特徴だ。
地道に1年間、しんどい思いをしながら身体に叩き込まれた。
僕の世代はパワハラという言葉は存在しなかったからね、そこは想像にお任せするよ。
胃も腎臓も壊れたし、心にも傷は出来たと思う。
さすがに今はもっとのびのびとやってるだろうけどね。
技能五輪という舞台は、まさしくオリンピックと同じ考えでいいと思う。
開会式は華やかだし、全国から機械系だけでなく美容師、大工、調理師の若手が集まってくるから、色んな想いが交錯する場所でもある。
でも一度笛が鳴って始まれば、そこにドラマはない。
いつもの訓練、いつもの炎、アーク、鉄粉が目の前を舞うだけ。
毎日1課題、この本番を意識しながら組み立ててきた。
ギャラリーが見守るこの舞台に飲まれたら、もう何もできなくなってしまう。
そのためのメンタルトレーニングもしてきた。
隣でどんなアクシデントが起ころうとも、全然気にしない。
いつもの感じ、いつもの感じ。
終わってみれば、僕はだいぶ先輩方をハラハラさせるほど時間ギリギリだったみたい。
作品はね、制限時間より30分前に出来上がってたの。
急にこれで終わりだと思ったら寂しくなって、ずっと磨いてた気がする。
時間点はもう諦めてた。
2年目の先輩が僕より1時間先に上げてたから。
だから、せめて外観だけでも先輩より目を引くものを、と思ってた。
優勝は、その先輩で確定だった。
そもそも実力差がありすぎる。
よっぽどの天才でない限り、1年目が2年目を食うって展開はない世界だ。
それを考えると、僕は4位に食い込めればよかった。
そう思って結果を聞いていたら、まさかの2位。
ライバル工場に2年目の先輩が2人いたんだけど、ミスがあったんだろうか。
首にかけられた銀メダルを見て、
「なんで俺が…ヘボって言われ続けた俺が」
って感じで、まったく実感が湧かなかった。
金メダルを獲得した先輩は、翌年の国際大会に臨む。
初出場で銀メダルの僕は、翌年金メダルが確実視されるわけだ。
でもここでひとつの問題が。
国際大会は2年に1回。
僕が2年目で優勝しても、世界の舞台には立てないわけだ。
「3年目も出て、2連覇すればいいじゃないか」
つまりこういうこと。
19歳→銀
20歳→金(じゃなくてもいい)
21歳→金
22歳→国際大会
若い僕に、人生の一番いい時を会社に捧げて、地獄の訓練を4年も続けるというメンタリティはなかった。
それなら職場に戻って実務を覚えて、気の合う仲間と遊ぶ方が良かった。
まさかの引退宣言に、周りは必死で止めにかかった。
でも僕の気持ちはもう五輪から離れてしまった。
3年目に金が確実に取れるのか。
それは誰にも分らない。
もしかしたら、後輩に負けるかも知れない。
この銀は、僕の中で金なのだ。
これで満足。
もう燃え尽きた。
それでしぶしぶ指導員も引き下がった。
技能五輪に人生の全てをかける、そういうメンタルを持ってる人が出るべき大会なのであって、遊びたいを優先する僕には長続きしない世界なのだ。
結果的に、翌年に僕の後輩が地獄入りを果たすわけだが、あの子は合ってたね。
すごく楽しそうに指導員と喧嘩してた。
1年目は振るわずだったけど、2年目にはしっかり優勝して、翌年の国際大会。
そこでなんと金メダルを取ってしまった。
世界一ですよ奥さん!
その時思ったわけ。
「あ、俺が続けててもコイツに負けただろうな」
って。
無事に技能五輪という地獄から生還した僕は、これまでの反動が来て堕落した私生活を送ることになる。
それはまぁ機会があればお話しします。
オッサンの長い昔話に付き合ってくれてありがとうございましたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww