次男が一歳になったので、産まれたころのことを書き記しておきたい
未曾有の大災害、コロナ禍でどうしていいかわからないことも多かった2020年7月に次男は産まれた。
忘れたくないのでまとめておきたい。
妊娠中〜入院までどんな状況だったか
お互いの親に第二子妊娠の報告をしたのは2020年1月。新型コロナウイルスのニュースが世間を騒がせていた。クルーズ船の様子が毎日テレビに映っていたのを覚えている。
2020年2月。戌の日の安産祈願を延期するか、夫婦で話し合った気がする。まだ感染者数も多くなく、安産祈願に行くことにした。俺はマスクをして写真に写っている。
花粉症対策でマスクは箱で家に常備していたが、さすがに品薄になってきて、洗って使ったりユニクロのエアリズムを買って使ったりしていた。妻が朝イチにドラッグストアへ買いに行ったところ恐ろしい行列で諦めて帰ってきたこともあった。そのころTwitterではマタ垢のみなさんが不安をつぶやいていた。在宅勤務がない夫と接触しないために帰省したり、旦那さんがホテル住まいしたりと、感染症対策のレベルは各家庭さまざまだった。自分自身も少なからず不安だったが、妻のほうは「心配してもしょうがない」と肝が据わっていたのであまりオロオロしないようにした。妻はずっと変わらず豪胆である。
妻の仕事はテレワークにならない職種で、産前休暇に入るまで週5で出勤していた。妻の職場の上司がいろいろと心配してくれ、2020年5月は週に1−2日有休を取らせてくれて、さらに通常の予定日6週間前より少し前に、特別休暇という形で産休に入らせてもらった。これには大変助かったのをよく覚えている。
上の子のケア
長男はあまり、「だっこだっこ、お母さんだっこ」というタイプではなかったが、お母さんがだっこできないことをあんまり理解できないようだった。お母さん、だっこできないからぎゅーしよう、と妻がハグをして、俺はとりあえず抱っこしたり肩車したりぶん回していた。「お父さんがだっこすると肩車やアクロバティックなことになって楽しい」というふうに思ってもらえればいいな、と。
当時、長男は2歳半でどこまで理解できるのかなという心配はありつつも、産まれてくる赤ちゃんに敵意を持ったら嫌だな、という心配はしていた。
胎動があるときにお腹に手を当てさせ、ここに赤ちゃんがいるんだよ、と伝えたり、名前の候補を考えるときに一緒に考えてもらったりしていた。いろいろ調べて『おへそのあな』という絵本を買って読み聞かせてみた。長男の中で、作中のお腹の大きいお母さんと、彼自身の母がリンクしたかは定かではない。
名前を考えるとき、我々夫婦はお腹の中の子にむかって「○○ちゃん」「△ちゃん」など、いくつか名前を変えて呼びかけていた。しっくりくるものを探すためだ。その中で長男が覚えたものがあり、ある程度絞られた。長男は名付けに大きく貢献している。
入院から出産まで
予定帝王切開のため、前日に入院する。入院グッズをもち、病院へ。その間、長男は実両親に見てもらっていた。日曜日のため、病院の夜間窓口から入院の手続きをする。受付の警備の方が、「今日入院の○○さんと、その付添の方が見えています」と。付添。まあ配偶者とは限らないからな。うん。
ボストンバッグとIKEAの大きなカバンを担いだ俺は産科病棟の入り口に荷物を置くよう言われ、妻は中で何やら書類を記入している。待っていると「明日の10:45にここに来てください。じゃあ今日はこれで」と。うむ、退散。
家に帰ると、じじばばにたくさん甘やかされていた長男が待っていた。実両親に御礼を言って二人を見送った。当時の俺のメモによると15時過ぎ「おかあさんいない」と長男が気づいた。その時は泣かなかったが、夕食を二人で食べ、20:40。トミカで遊んでいたところ突然大泣き。「おかあさんいないー!!」なだめて風呂に入ったあとで、妻にビデオ通話を打診した。
個室にいる妻とビデオ通話したのは22:30。長男は嬉しそうに持っているおもちゃをカメラに写していた。そのあとはあまり「おかあさんいない」と言わなくなった。
出産当日
朝、保育園に長男を送り届けて家に帰る。一瞬「あれ、何したらいいんだ?今」と頭が混乱した。前日に何も決めてなかった。病院側に来いと言われた時間まで随分ある。なぜか「今じゃなくていい作業」に手をかける。絵本棚の組み立て。ワイシャツを洗って干す。
病院に到着し、2回の検温を済ませて産科病棟につくと、多目的室に通された。本来は見舞いに来た家族の面会スペースなのだろうか?いや、ドアがあるから病院職員のミーティングスペースかな?流しがあってお茶が入れられるから来客もここかな・・・とかどうでもいいことを考えながら、30分経った。手術は始まっていて、いよいよ、というときに呼ばれるのだ。
何気なくカメラの電源を入れると、起動しない。「レンズの装着を確認してください」というエラーが出る。嫌な汗がドバドバ出る。カメラは持ち込みひとつまで、と言われているのだ。え、赤ちゃん撮れないの?カチカチカチとON-OFFを繰り返す。つかない。絶望的に本番に弱い。そうこうしているうちに呼ばれてしまった。
帽子とエプロンをつけて案内された手術室はドア全開。とにかく人がたくさんいる。我々のために10−15人のプロがいる。手術台の上の妻にはいろいろな線がついている。胸の下あたりに布でカーテンのように仕切られている。妻の頭の左側に丸椅子が置かれ、そこに座った。布の向こうからチョキチョキと音がする・・・!
ふぇー
声が聞こえた瞬間、妻の目から涙が流れていた。なんと声をかけたっけな。「よかった」かな。
産まれたばかりの赤子は、足や手が赤を通り越して紫色だった。その迫力に圧倒されていて、写真を撮ろう、と手が動かなかった。周りでは真っ赤に染まったタオルを片付けている。
命、って感じだった。
きれいに拭かれたあと、体重を測定するときにようやく写真を撮ろう、と思った。ダメ元でカメラをONにしたらカメラが起動した。えっ。本番に強い。
カンガルーケア。妻が今回、楽しみにしていた。次男は妻の胸の上に置かれ、俺も左手で頭を支えることが出来た。温かくてまだやわらかい頭。手のひらに、赤ちゃんならではの頭蓋骨てっぺんの空洞を感じる。
ようこそ我が家族へ。よろしくね。家族で幸せに暮らそうね。このへんが長男に似ているね、爪の形は父親似かな、優しそうな顔だねという妻との会話。
少しして退室を促された。「ここで3,40分待ってください」とベンチへ。しばらく待つと呼ばれ、三人で記念撮影するチャンスをいただいた。その後、妻を個室に見送る。次に会えるのは退院の日だ。
父と子、二人の生活
入院期間は父と長男の二人きりの生活となる。2020年4月の緊急事態宣言中は、妻が出勤、自分が在宅勤務在宅保育だったので、一ヶ月と少し、日中は図らずも父と子二人きりの生活だった。ここでばっちり予行演習が出来た気がする。
妻の入院中、実母が毎日来てくれることになった。保育園のお迎えと夕食をやってくれるという。丸亀製麺とマクドナルドでしのごうと思っていたので大変ありがたかった。
退院して、妻と長男が再会する
二人目の誕生で気を張るのはここだろう。二人育児の先輩方も、よく「上の子とお母さんの対面シーン」について気を配っていた気がする。寂しい思いをさせていた長男。やっと会えたお母さんが知らない赤ちゃんを抱っこしている・・・!!母を奪われたと思ってしまう、敵認定してしまう、という話を見かけた。
事前に妻と打ち合わせ。保育園に迎えに行って、家に着くときにはLINEで、タイミングを見計らう。次男が長男と一人で会うように。
保育園からの帰り道、「今日はお母さんお家に帰ってきているよ、おかえりって言おうね。赤ちゃんも一緒だよ」という話をしていた。
長男は、あまり感情を爆発させるタイプではない。とはいえ、会った瞬間にわああ、となるんだろうなと思っていた。意外と静かな対面だなー、照れくさいのかな、と思って見ていたら座っている妻にすーっと寄って、何も言わず、ぎゅー、っと。誰も泣いていないのに、俺が泣いてしまった。
このあと、長男が赤ちゃんに慣れるまで、いろいろと大変だったのだけどそれはまた別の話。
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